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蛙になった人の物語
 リスボン
   
 ああ、なんでこんな姿になってしまったんだろう。
もう、戻れないのかな。
そんなの絶対にいやだ!

      ***** 
 事件が起こったのは、ちょうど三日前だ。さわやかな風が吹いていた。
私は陸上部の朝練のために、早くに家を出て、学校に向かって林の中を歩いていた。
私は白雪(しらゆき)霙(みぞれ)で、一応部長なの。私より早く走ることができる人なんてたくさんいるのにね。

      *****
「やあ、霙ちゃん。今日も朝練かい?」
そう話しかけてきたのは、カエルのピョン吉おじさん。このあたりで一番の年寄り。いつも私に話しかけてくれるの。でも、ピョン吉おじさんの姿は普通見えないらしい。つまり私が変人ということね。
「白雪先輩、おはようございます」
そう言ってきたのは、陸上部の後輩、川(かわ)海(み)大(だい)だった。陸上部で唯一の常識人で、もちろん、ピョン吉おじさんの姿は見えない。まあ、おじさんの姿が見えるのは、神話などを本当だと信じている私ぐらいだろう。
事件は私が川海大に――
「おはよう」
と返した直後に起こった。
私がドジなのは十二分に承知していたが、まさかこんなことが起こってしまうなんて……
私はこの林で一番大きな木にぶつかってしまった。その瞬間、私の体は縮み始めなんとカエルになってしまったの。
ひとつだけ良かったのは、醜いガマガエルではなく、きれいな緑色のアマガエルになったこと。まあ、それでも……ショックだったけど……。
「霙ちゃん、大丈夫かい!」
そういってきたのは、ピョン吉おじさんだった。川海君は固まっていた。
「………………」
次の瞬間、私はショックな言葉をピョン吉おじさんにぶつけられた。
「もう、戻れないかもしれない……」
「えっ、もどれないのですか? そんなの絶対にいやです!」
「いや、戻る方法はある……だがな……私の口からは…… 言えないんだ」
「どっどっどうしてですかっ!!!」
「あのー、そのー、つまりだな。私の口から方法を言ってしまうと、そなたはもう戻れなくなるのじゃ。だからそなたは自分でその方法を見つけなければならない……」
「ええっ」
私は思った。そんなの絶対に無理だよ。この姿で家に帰るだけでも、大変なのに……
「わあっ!」
私は、声を上げた。急に自分の体が持ち上げられたからである。持ち上げた主は、川海君だった。
「先輩、あと十五分で部活始まるんで、とりあえず学校に行きましょう」
「ええっ、こんな姿を後輩に見られるなんて絶対にいやだよ」
「もうすでに見ています。それに、今日は絶対に授業に出られないのだから、部活中はロッカーにいて、授業が始まる前に校長先生に話しに行きましょう」
 校長先生こと貝塚先生は、私の母方の叔父である。身寄りがない私のために、授業料だけは免除してくれた。もちろん川海君は、そのことを知らない。私は答えた。
「わかった」

      *****
私は川海君に抱かえられて、部室に行った。川海君が素早くロッカーの中に隠してくれたので、誰にもばれずに済んだ。
外から後輩たちの声が聞こえた。
「白雪先輩はなんで休んでいるの?」
「風邪をひいたんだって」
「へぇ 昨日あんなに元気だったのにね」
「うん あの先輩が一番明るくて優しいからちょっと寂しいね」
川海君は私が風邪をひいたということにしたらしい。霙はなみだが出そうになった。そして、止めようとした。が、止めることができなかった。緑色となった私の手にポタポタとなみだが落ちた。
 部活が終わったらしい。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様で~す」
「リレーの練習、またお願いします」
二年後輩の中3たちである。中1の女の子の声も聞こえた。
「先輩、部活のカギ返しておきますよ」
川海君が答えた。
「いいよ。俺が返しておくから」
「わかりました。おつかれさまです」
急に静かになった。そして、ロッカーが開いた。
「川海君、面倒かけてごめんね」
「かまいませんよ」
そう言いながら、川海君は校長室のドアをノックした。
「どうぞ」
と中から、叔父の声がした。川海君は、校長室のドアをノックした。
「どうぞ」
と中から叔父の声がした。川海君は、
「失礼します」
と言いながら、ドアを開けた。叔父の目はまず川海君にいって、次に私(川海君が抱いているカエル)に釘付けになった。
当然のことである。高1のごく平凡な男子生徒が1メートル級のカエルを抱いていたからである。
「ええと、君はなんという名前かね?」
「川海大と申します。」
「川海君。その緑色のスライムみたいなやつは何かね?」
「先輩です。陸上部の先輩です。」
「……………」
校長先生は、絶句してしまった。
川海君は続けた。
「このカエルさんは、陸上部の部長の白雪霙先輩なんです。」
「…………」
「まあ、事情は本人が話してくれるでしょう。僕は授業がはじまるので、失礼します。」
オイッ、ほったらかしにするな! 
しかし、その願いもむなしく散り、川海君は出て行ってしまった。
私は叔父があまり好きでなかった。私の両親が事故で死んでしまったときもなぐさめてもくれず、嬉しそうに、
「やっと死んだか。これで大金が手に入る。」
と呟いたからである。私が叔父と一緒に暮らしていないのも、この理由からだった。
 *****
 私はこんな姿になった経緯を話した。叔父は冷たかったが、話は聞いてくれた。そしてこう言った。
「こんなことがあるなんて。君を見なかったら信じなかった。しばらくは何かの病気で休んでいるということにしておくから、その間に元に戻る方法を探しなさい。」
こんな姿でそんなことできるわけないないだろ!
と霙は思ったが、声に出たのは違う言葉だった。
「わかりました。見舞いに誰かが来てはいけないので、重体で面会ができないとでも、言っておいてくれませんか? お願いします」
「わかった。家までは私が送ってあげよう」
 そうして、家に帰ってきたのはいいが、霙は途方にくれていた。手がかりがあるわけでもない。検討がついているわけでもない。本当に、途方にくれてしまった。
「ああ、本当にどうしよう」

        *****
 その日の夜、霙は不思議な夢をみた。霙は学校の制服を着て林の中にたっていた。すると、ピョン吉おじさんが出てきてこう言った。
「君は確か稲穂市に住んでいたね。稲穂市の北の方に魚市がある。その中心から南の方に5.4メートル、西のほうに2.6メートル進んでごらん。するとちょっと地面がもり上がっているところがある。そこを掘るんだ。ヒントがあるはずだよ。あとは自分で考えてごらん」
「そっそんなの無理です」
「やるんだ。やるんだよ。霙ちゃん」
ピョン吉おじさんがそう言ったのと、霙が目を覚ましたのが同時だった。霙は呟いた。
ヒントってなんだろう。
 地図で魚市の場所を探してみた。稲穂市の北は森林市だった。稲穂市の周りの市、さらにはこの国全部の市を調べてみたが、魚市はなかった。霙は落胆した。
「ピョン吉おじさんのウソつき」

        *****
 次の日の夜も、霙は夢をみた。ピョン吉おじさんがまた出てきてこう言った。
「ヒントは見つけたかね?」
「おじさん、ウソをつかないでください」
「えっ。私はウソをついておらんよ。普通にヒントをあげただけだよ。」
「だって稲穂市の北は森林市ですよ。魚市ではありません」
「えっ、あのヒントはワシがおととい聞き取った神のお告げなんだ。間違っているわけがない」
「それ、信じてもいいのですか?」
「失礼な! 神がウソをつくわけがない。つく理由がない」
「分かりました。もう一度考えてみます」
「ワシも考えてみるよ。ではまた」
ピョン吉おじさんが手を振ったのと、霙が起き上がったのが同時だった。今日は土曜日だ。新聞屋さんが新聞とチラシを入れていった。霙はチラシを何気なく見ていた。近くのスーパーのチラシ、不動産屋のチラシ、肉屋のチラシ、八百屋のチラシ……
「わかった!」
霙はチラシの上で飛び跳ねた。そのチラシは稲穂魚市場からのチラシだった。
「土曜日は魚市の日」
と書いてある。魚市というのは都市のことではなく、魚市場のことだったのだ。霙は地図で稲穂魚市場の場所をさがした。
稲穂魚市場は、稲穂市の北部にあった。霙はカエルのこの姿を見られたくないので、夜に出かけようと思ったが、夜になってから出ると朝になるまでにつけないので、いまから出ることにした。
 霙はかまぼこが好きだ。冷蔵庫に十個は買い置きしていた。
霙は持てるだけのかまぼこを持っていくことにした。かまぼこを板から外し、細く切った。そして、それを一回で食べる量ずつ袋に詰めた。水も水筒に入れた。霙はこれらが全部入るリュックを探したがなかった。仕方がないので、ふろしきに包んで持った。出発しようとしたその時霙はきがついた。
「体が乾燥してきている! それに魚市場までの道がわからない!」
その時、誰かが戸を叩いた。時刻は十七時十五分だった。
       *****           《続く》