TOTAL: 94904 - TODAY: 180 - YESTERDAY: 6
少女
希宮春風

 もう何年いや、何十年前のことだったろうか。


 彼女は白銀の翼で大空を駆け巡る神の使い、いわば天使だった。

 背中まで流れるブロンドの髪、空の色を映したかのような青い瞳、

陶器のようなつるりとした白い肌。白魚のような指で金の琴を奏で、

小鳥に劣ることのない澄んだソプラノで歌った。

 誰もが虜になる、愛らしい天使だった。


 しかし、今彼女は黒い棺の中。


 白銀の翼は濁った黒金となり、髪は脱色して白くなり、瞳は血に飢

えた物の怪の目のように赤くなった。体は茨の鎖で締め上げられ、白

い肌を赤くして、褐色に汚れた。

 彼女は嘆き悲しんだ。
 しかし、神は彼女を赦さなかった。


 お前のしたことは神への反逆、堕ちて飢えた獣に喰われてしまえ。


 棺に納められたまま彼女は天空の宮殿から落とされた。

 神の名を叫んで嘆くが神は聞く耳を持たない。

 地の重力に引かれる中、彼女は謡う。



 あぁ、吾は黒金の天使(とがびと)。
 濁った翼は罪の色。
 吾が身は汚れ、朽ちにけり。
 だが、吾は死なぬ。
 黒金の両翼を剣に変えに、いざ立ち向かわん。
 全ての哀を糧とし、吾破壊せん。




 彼女を納めた棺は地の大海へと落下し、ある大陸の脇にある極東の地に流れ着いた。
 もう何年いや、何十年前のことだったろうか。


 私が恋した人は何の力もない者、いわば人間だった。

 闇のように黒い乱れた髪、星の無い夜空を映したかのような黒い瞳、

大樹のようにざらりとしているが、温かみのある肌。大きな掌で私を

優しく撫で、いつも微笑んでくれていた。

 私を守ってくれる、優しい人間だった。


 しかし、今私は棺の中。


 彼の髪は老いて白くなり、目からは生気が失われ闇色に染まってし

まっただろうか。体は衰え、小麦色の肌には皺が出来てしまっただろ

うか。

 私は悲嘆する。

 しかし、私はどうすることもできなかった。


 きっと、僕の生まれ変わりが君を迎えに来る。僕はもう・・・・・・


 棺の外から枯れたあの人の声がする。
 しかし、私は返事が出来ない。

 この中は神から私を守るための空間。

 彼とはもう会うことは叶わない。

 もちろん、声を交わすことも。

 もうすぐ、私の意識は永い眠りにつく。

 次に目覚めるのは何年後? いや、何十年? いや、何百年?

 動かない私の体は十六歳の少女のまま。

 あの人はもうすぐ、七九歳の御爺さん。

 悲しみにくれ、私は謡う。

 あぁ、私が恋をした人は死んでしまう。
 しかし、私は眠り姫。
 あの人の死を感じれない。
 あぁ、もう一度彼の手に撫でられたい。
 彼の手を握りたい。
 彼の手を触りたい。
 彼の顔を見たい。
 彼の声を聞きたい。
 せめて、私の声が彼に届けばいいのに。



 私の意識はここで途切れた。




 バキン!


 棺が開けられ、私は目を覚ます。

 彼が私に会うために戻ってきてくれた。

 私は涙した。
 ただ、ただ嬉しくて。



冬号 By杏

2012年11月30日
ある少女の出逢い、そして残酷な終焉(END)


             ***

「私、あなたの事が嫌いなの」

私の意識はブラックアウトし、夢の中に迷い込んでしまった。

             ***

 事の発端はといえば、七月に彼女が転校してきたということで間違いないだろう。
 教室に入ってきた彼女は、名乗ることもなく一度だけ頭を下げた。転校初日にも関わらず人だかりもできない、今時珍しい転校生だった。彼女自身、何の取り巻きもなく読書しているだけ。しかし、私はその強さに惹かれたのだった。
「名前は?」
 彼女は読んでいた本に栞を挟み、顔を上げて名を告げた。嫌いだと宣言された今、名は頭から消えているが、確か……伶(れい)、だったか。眉の上に綺麗に切りそろえられた茶色い髪と、切れ長の瞳が印象的だった。
「よろしくね」
 私が精一杯話しかけても、何も答えてくれなかった。自分自身、話すのは得意ではないので、話すことも聞くこともテンプレートだったと思うが、それにしても些か無愛想が過ぎると思った記憶がある。今思えば私が聞いていたのは家庭のことばかりだった。それなら答えられなくても当然だろう。

 夏休みが過ぎて、放課後の校内が文化祭準備一色となっていた頃。皆でペンキを塗っている時、突然彼女は倒れてしまった。
「大丈夫!?」
 私が叫んだのを皮切りに、皆口々に声をかける。名前を呼ぶクラスメートが一人もいなかったのは、覚えていなかったからに違いない。私がそんな事を考えている間にも彼女は立ち上がり、すたすたと歩いてどこかへ行こうとしていた。私は大急ぎで後を追いかけた。他の子が追いかけてくる様子はない。大方、私に任せようとしているか名前も知らないクラスメートの事など気にしている暇はないのだろう。私は参加こそしていたものの、文化祭にそれほど協力する気はなかったので、体調を崩した子への気配りと称して涼しい保健室に行けるなら本望だ。
 しかし、彼女は保健室には向かわなかった。そのまま校門から外に出ている。
「ちょ、ちょっと待って!!」
 彼女は振り向き、少し悲しそうな笑みを浮かべた。思えば、この時も美しさに驚いたものだった。
「何か?」
 私が彼女の声を聞いたのは、これで二回目だった。透き通るような綺麗な声だった。天は二物を与えずと言うが、彼女は三物も四物も与えられている気がする。
「えっと……保健室、行かなくて大丈夫?」
 彼女は、おもむろにポケットに手を入れた。そして取り出したのは、
「携帯!?」
 確か校則では禁止されていたはず。クラスにはこっそり持ってきてる子もいたけど、彼女はそういうタイプには見えなかった。
「特例で……ね。内緒だよ?」
 彼女は悪戯がバレた子供のように微笑んだ。
「と、特例? そんなのあるんだ……? ねぇ、実はお嬢様だったりする?」
 半信半疑で訊いてみた。勘以外の何物でもなかったが、
「うん。なんで分かったの?」
 まさか当たっているとは思わなかった。
「いや、見た目大人っぽいし、ちょっと病弱っぽかったから。それに私の中での『お嬢様』ってイメージにぴったり合致するんだよね」
「そんなに私ってお嬢様っぽいかなあ? 実をいうと、この茶髪、染めてるんだよね」
「え、嘘でしょ?」
「いやいや、黒髪はお嬢様っぽいかなと」
「普通に考えて茶髪みたいなめったにない髪色の方がお嬢様っぽいよ!」
 彼女と話すのは、すごく楽しかった。
「……ふう、疲れた」
 彼女はぼそりと呟いた。
「え? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。久しぶりにこんなに話して、疲れただけだよ」
 私はそれを大丈夫と言って良いものかと思案した。が、とにかく元気になったようなので、作業場に帰る事を提案した。
しかし、
「ごめんね。もう帰るって連絡しちゃった。荷物取りに行ってくれない? こんな笑顔で戻って帰るなんて言えないし」
と言われてしまった。反論を試みたが、有無を言わさぬ笑みを浮かべていたので取りに行く事にした。

 作業場に戻ると、皆からの質問攻めに遭った。
「ねぇねぇ、あの子大丈夫なの?」
「何で一緒に戻ってきてないの?」
ざっと要約するとこんな具合だ。適当に答えても良かったのだが、ここは一つ、自分の心証をよくしておこうと思って、用意していた嘘を並べ立てた。
「あの子、しんどくなったからって先生にお家の人に連絡いれてもらってたわ。今は保健室で休んでる。荷物持っていくから、ちょっと抜けるね。すぐに戻るから」
「うん、ありがとう」
 荷物を手に取り、また暑苦しい外へ駆け出した。それにしても驚いた。こんな容易く信じてもらえるとは、優等生という地位も捨てたものではない。実は不肖私、学年で成績トップなのである。彼女が来てからはどう足掻いても二番になってしまうようになったのだが、まぁそこまで執着心があるわけではないので、私はいつも通り勉強に励んでいる。
そんな事を考えながら校門までたどり着くと、彼女の脇には見るからに高級そうな車が止まっていた。
「これ、荷物ね。体に気をつけて」
 そう言って荷物を手渡したのだが、彼女はまだ車に乗らなかった。
「ねぇねぇ、※※※ちゃん」
 蝉の声がうるさくてよく聞こえなかったが、名を呼ばれたように思った。
「何?」
 聞き返すと、彼女は思いがけない事を言った。
「良かったら、うちに来ない? 私、折角だから母に紹介したいの」
「えっ、でも、文化祭準備は……?」
 確かにお嬢様だという彼女の家には興味があるけれど、私はまだ作業場に荷物を置いている。それに皆にすぐに戻ると言ってしまった。
「良いじゃない、今日くらいサボっても。予定表見たけど、あなた毎日来てるじゃない。他の皆は多くても一週間くらいなのに」
 そう、実は私の休みはお盆オンリーだ。そしてそのお盆も元々校舎が開かないので、実質休みはゼロだといえる。やる気はないけれど、家にいても暇だったので全部来ることにしたのだ。今となっては激しく後悔しているが。
「その上、皆は屋根のある作業場でたらたらとペンキ塗ってるのに、私を追いかけて走り回ってさ。今から休んでも誰も困らないよ。本当は苛々してるんじゃないの? あんまり怒りを隠してると、あなた自身が壊れちゃうわよ」
 彼女の話を聞いていると、何だかどうでも良くなってきた。
「分かった、じゃあお邪魔するわ」
「ありがと。荷物はうちの使用人に受け取りに行かせるから、心配しないで」

 彼女と私を乗せた車は、豪邸に着いた。
「え、ここ? ほんとに? マジで? 嘘でしょ? デカすぎない?」
 自分でも久しぶりだと思えるくらい、取り乱してしまった。それだけ大きいのだと思ってほしい。そんな私を見て、彼女は、
「早く中に入るわよ。一応うちの伯母を待たせてるからね」
と案内を始めた。

「こんにちは、ようこそ。何もない、広さだけが取り柄の家ですけど、ゆっくりしていってくださいね」
 彼女の伯母は、優しい婦人といった風情だった。
「ありがとうございます」
 形式通りの挨拶を交わした後、彼女はお茶を持ってきた。すぐさま伯母が一口飲んだ。
「……やり直し。あんたはお客にこんな紅茶をだすつもりかい? 全く、ろくな娘じゃないね」
「申し訳ありません、伯母上! 今すぐ作り直しますから!」
 私は今にも飛び出さんばかりの彼女と、叱責を続ける伯母さんを、大急ぎで止めた。
「あ、あのっお二人とも、頂けるだけで十分ですから、むしろ何のお土産もない上にアポイントメントもとってなかったですからっ」
 焦りの所為か、文法はめちゃくちゃだった。しかし、言いたい事は分かったらしい。引き際を心得ていたのは、伯母さんだった。
「分かりました。お客様がそう仰ってくださるなら、我々は下がると致しましょう。伶、あんたは失礼のないようにね」
「分かりました、伯母上」
 彼女の伯母は悪態をつきながら出て行った。
「驚いたでしょう、ごめんね」
 彼女はゆっくりと話し出した。
「さっきも言ったけれど、あれは私の伯母。私の母の姉よ。今はあの人にお世話してもらってる。実は、うちの本家は伯母の家柄にあたるのよね。その事もあって、私はあの人には逆らえないの。……ううん、それだけじゃないわ。実はね、私の母は一族の反対を受けながら父と結婚したの。そう考えてみれば、私の扱いも仕方ないんだけどね」
「あれ? じゃあお母さんは……?」
 少し嫌な予感がした。この展開はもしかして。そう思っていると、彼女は笑顔で言い放った。
「半年前に自殺しちゃった。あ、お父さんが不良に絡まれて死んだ直後のことだったから、一族の圧力とかじゃないよ」
「ご……ご愁傷様です」
私にはそういうのが精一杯だった。この時、目の前にいる彼女を心の底から恐ろしいと思ったからだ。私なら自分の両親が死んだ、なんてあっさり笑顔で言ってしまう事なんてできっこない。
「だからさ、和室に来て、母の仏壇を見て行ってよ」
「わ、わかった。もともとそれが目的なんだよね?」
 私がそう言うと、彼女は頷いて案内を始めた。

 流石はお屋敷、和室は建物から別だった。
「本当に大きいのね……」
 小さく呟いたつもりだったが、聞こえていたらしい。彼女は微笑を浮かべた。
「敷地面積はたいしたことないわよ? ほら、ここ」
「失礼します。小さいけれど立派ね。お母さんのお仏壇はこちら?」
「えぇ」
 彼女は腰を下ろし、静かに手を合わせた。私もそれに倣い目を閉じた。彼女のお母さんの冥福を祈り、顔を上げると、
「……!」
 彼女は涙を流しながら祈っていた。その姿はまるで女神のようで、私は放心状態で彼女を見つめ続けた。

 その後、私達は息つく暇なく話し続け、気がつけばあたりは薄暗くなっていた。
「今日は来てくれてありがとう。あんな伯母がいても良かったらまた来てね」
「こちらこそありがとう、急な訪問だったのに。じゃあまた明日、学校で」
 そう言って家に帰ろうとすると、意外そうな声で彼女は問いを発した。
「え? また行くの?」
「うん、今日サボっちゃったから皆に謝らないと」
 私としては至って普通な答えを返したつもりだったのだが、彼女にとってはありえない事だったらしい。
「良いじゃん、文化祭準備なんかサボれば。もっと面白いこと他にあるのにもったいないよ」
「……分かった。でも母親に参加するって言っちゃってるから、代わりにお邪魔していい?」
「どーぞ、どーぞ」

 次の日から私は、毎日のように彼女の家に通った。彼女の伯母は聞こえよがしに文句を言ってきたが、私達は気にすることなく勉強や遊びを続けた。伯母さんが言っていたのは文句を通り越して彼女に対する悪口になっていた。しかし、堪忍袋の緒が切れたのは、私の方が早かった。

 その日も私は朝から彼女の家に行っていた。しかし目的は彼女をカラオケに誘う事だった。その頃、彼女は元気が無さそうだったからだ。こういう時は話を聞いてあげるべきなのだろうが、彼女自身が話したくなさそうだったので、元気になってもらうために誘うことにしたのだった。
「こんにちは」
 インターフォンを押して中に入る。すると、珍しく伯母さんが出てきた。普段とは違う、地味な和装だ。
「今日はあの子はいませんよ。お祖母さんが亡くなったのでね。全く、運の悪い子です。これで、あの子の味方は消えたも同然。これから我が一族でどうやって暮らしていくのやら」
「何なんですか、一体!」
 気がつくと私は抗議の声をあげていた。
「そんな、仲のいい私の目の前で! あの子を非難するような事ばかり! あの子は、あの子はっ……!」
 思わず咳き込んだ。勢いに任せて、これまでの怒りを爆発させる。
「私の親友ですっ!」
 伯母さんは一瞬、虚をつかれたような顔をした。しかしそれは本当に一瞬の事で反撃した。否、反撃しようとした。
「それは違うわ」
『!!』
 私と伯母さん、二人の驚きが重なった。門の前に止まったタクシーから出てきたのは、彼女だった。普段は女神と見紛う茶髪を、今日は一つに束ねている。葬式のためだろう。喪服姿でも、いつもと変わらず美しかった。
「伯母上、只今戻りました。彼女と二人で話をしたいので、少し席をお外し願えないでしょうか」
「ああ、分かったよ。思うところはあるだろうし、ゆっくり、気の向くままに話しなさい」
 私が呆気にとられている間に、伯母さんは了承した。ただし、恨み言は忘れていなかったが。
「全く、お前も迷惑な子と知り合ってしまったもんだね」

「ここ、座って」
 広い庭の一角にあるベンチに腰を下ろした。
「あのさ、」
 彼女が話し始めた。
「何でわざわざあんな庭のど真ん中で口論するの? そりゃ、原因は伯母かもしれない。でも私言ったよね? 『あんな伯母がいても良かったら』って。あの人の事が嫌ならくる必要はないの。私が出向けば良いんだから」
 そこまで言って、一度言葉を止めた。その姿はまるで泣くのをこらえている様だった。
「百歩譲って口論したことは許せるよ。何を言われたかは知らないけど、あの人に突っかかってしまうのは分かる。でも、あんな所でしていたという事が許せない。うちに住んでて、伯母が『あの子』って呼ぶのは私だけなのね。そう考えると、近所の人は『またあの家の人達は揉めている。渦中にいるのは娘だろう』ってなっちゃうの。そうなると立場が悪くなるのは他でもない、私だよ? 理解できない?」
 続けざまに言われて、私は何も言えなかった。絞り出すように発したのは、
「私達、どんな関係だった?」
という言葉。
 すると、彼女は目に見えて態度を変えた。ベンチから立ち上がり、屋敷の入り口に向かって一歩一歩足を進める。
「あら、疑問に疑問で返す主義? まあ良いわ、とりあえず質問に答えましょう。とは言っても、どういえば良いかしら。ちなみに、参考までに聞いておくけれど、貴女はどんな関係だと思っていた?」
 自分だって疑問に疑問で返したじゃないか、と思ったが、答えを返した。
「親友。決まってるじゃない、あなたと一緒にいて本当に楽しかったんだから」
 私がそう言うと、彼女は鼻で笑った。
「へえ……。残念だけど、貴女とは分かり合えそうにないわね」
 見事な程あっさりと言い切られてしまった。
「どうして? どうしてそんな態度を取るの? 私達、友達じゃなかった?」
 私は、彼女に呼びかける。女神のようにきれいな茶髪を揺らして振り向いた彼女は、不敵に笑っていた。いつ見ても美しい顔立ちには、感嘆してしまう。
「友達? あんた、ふざけてる? 冗談? ならそうと早く言って」
 息を呑んだ。同時に自分の顔が紅潮したのが分かる。冗談なんて、そっちこそふざけるな。戯言を抜かすな。信じていたのに、信じていたのに、信じていたのに。
「信じていたのに、か」
 どうやら聞こえていたらしい。彼女は私の呟きを復唱した後、鼻で笑った。
「人の言う事で信じられる事なんて、一つもないのよ。それが例えどんなに信憑性が高いとしても、百パーセント事実である、という確証はない。九九パーセントが正しいとしても、残りの一パーセントがどういう可能性を持っているかなんて分からない。間違いなのか、はたまた嘘なのか。創作かもしれないわ。つまり、その発言の真偽を知るのはその人自身だけ、という事なの」
 彼女は何を言いたいのだ。頭が混乱してきた。頭の出来は大して変わらないはずだが、私には理解不能だ。
「どうやら混乱しちゃってるようね。でも大丈夫、結論はすぐに出るわ。今のは前振りだから」
 じゃあさっさと結論を述べてほしいものだ。
「へぇ、そんなに結論をご所望? なら遠慮なく述べさせて頂くわ」
 そう言って彼女は、残酷な真実を告げた。

             ***

 こういった経緯で今に至る。つまり『嫌い宣言』をされたわけだ。
 そして私は今、私達の街から二十分ほどで着く海に来ている。どのようにここまで来たのか思い出せないが、丁度日が沈む一番海が綺麗に見えるタイミングのようだ。
 この夏休みの間に、私の心の中での彼女の存在は日に日に大きなものへとなっていった。そんな彼女に嫌いだと明言された今、生きる意味を持つことなど出来なかった。死にたいとも思わないが、生きたいとも思わない。そんな状態で浜辺を歩いていた。可能ならば、どこかの適当な殺人鬼にでも殺されておきたい、という感じだろうか。
朦朧とする意識の中で、目の前にナイフを持った男が二、三人いるのを見た。
――この娘、可愛いぜ――へっ、俺のモンにしてぇなあ――でも、今日は俺達ラリってるもんでな。すまんな嬢ちゃん――聞こえてねぇんじゃねぇの――
 最期に感じたのは、鈍い痛みだった。
                          The enD

なにもの? この手紙
はちみつボーイ                                

〔1〕
 僕はめずらしく机にむかって考えごとをしていた。なにについてかというと、今日、学校の帰りに知らないおじさんから渡された手紙についてだ。
「開けたらダメだよ」
と言われて半ば強引にわたされたのだが、あて名の下には「開けたら楽しいことがまってます」と書かれている。
 ふつう、こんな手紙をわたすなら「早く開けてくれ」と言いそうなのにあのおじさんは逆だった。そう考えると、開けないほうがいいと思うし、また開けたいとも思う。宿題などそっちのけでずっと考えているが、まだ決められない。母さんや父さんに相談しようかとも思ったが、あまりいい答えがかえってくるとも思わず、やめにした。
 何度か開けてみようとはしたけれど、その度におじさんの顔が思いうかんで、結局開けられない。マンガやTVなんかの定番では、こんな感じの手紙は魔法使いからの手紙や秘密結社の極秘文書だったりするが、そんなことが現実にあるわけなく、考えている間に空はすっかり暗くなっていた。
 僕は母さんの「信(まこと)、ごはんよ」の声でやっといすから立ち上がり、階段を降りてリビングにむかった。
「ねえ、知らん人から『開けちゃあかん』って言われて手紙もらったらどうする?」
母さんに聞いてみた。
「せやね、とりあえず開けてみるかな。『アカン』て言われても気になるし」
と母さんは答えた。だが、父さんは
「いや、開けないね。なんか知らん人が『開けるな』ってわざわざ言ったんやったら、ちょっとリアルやん」
と言う。これを聞き、ますます僕は困ってしまった。2人とも同じならいいのに。
 夕飯を食べ終え、部屋に戻って、僕はまた考えたが、やはり結論は出ない。
ついに、「とりあえず開けて中を見よう」思い、封をきった。すると中に入っていたのはたった1枚の紙だけだった。読むと
「~山中そろばん塾のご案内」
と書かれていて、ただの宣伝だった。
 中身がわかるとどっと疲れが出てきた。「僕はこんなもんでずっと悩んでたんか」とため息がでた。
きっとあのおじさんは「今ここで開けないで、帰ってゆっくり相談してね」
と言いたかったのだ。
 なんと紛らわしい。でも心のモヤモヤが消え、スッキリできた。やっと気持ちよく眠れそうだ。

はちみつボーイ

2012年11月30日
はちみつボーイ作

『なにもの? この手紙』

冬号 By月夜猫

2012年11月30日
癒しの声はもう届かない
月夜猫

 ドキドキする。何が待っているんだろう。仲よくしてもらえるかな。友達、できるかな。恋なんかもしちゃったりして。ああ、どうなるんだろう……だめだ、だめだ。早くこの扉を開かないと。さあ、一歩踏み出そう。そこはきっと、私の知らない世界。
「仲村癒愛(なかむらゆあ)です! よろしく、お願い、しまひゅっ!」
――どうやら、少し未来が不安な世界みたい。
 私は今日、この学校に転校してきた。

「仲村さん、仲村さん、名前可愛いね」
「ゆあちゃんって呼ぶねー?」
「前の学校ってどんなところ?」
「好きな食べ物は?」
 ぐ、ぐるぐるする……。矢継ぎ早に繰り出される質問は、多分私を歓迎してくれているものだろうけど。大勢が私の机を囲んで口ぐちに好きな事を言っているのは、眩暈がする。多すぎて答えるのに間に合わないくらいだ。
「えっとね、あのね、あのね、えっとね……」
あうう、あうう、まただ。私のこの照れてしまう癖が出る。昔から照れ屋で、恥ずかしがり屋な私は、私が嫌いだった。ああ、今私の顔は火を噴きそうなほどに真っ赤なんだろう。顔が熱くて、手が震える。眼が廻る。私をとりまく、目、目、目。その眼は好奇心にあふれている。そこには、私を思っているようでその実何の気遣いも存在していない。あるのは、目の前の新参者の全てを知りたいという浅ましい詮索欲だけ。
「おい、お前ら」
 私が何も言えずただオロオロしていると、静かな低い声が突然響いた。その時、急に教室が静かになった。私は思わず、その声のした方を向いた。するとそこには――朝の眩い光を味方につけ、髪の毛は窓からのそよ風にわずかになびき、頬杖をついた、びっくりするくらいかっこいい、男の子がいた。
「さっきからギャーギャーうるさい。質問するなら一人ずつ聞け。その転校生が困ってんのも分からんのか。歓迎するってなあ騒ぎ立てる事じゃねえんだよ。さっきからお前ら本当に う ざ い 」
 艶やかな低音ボイスでそう言い切ったあと、彼はまた窓の外に視線を戻した。痛烈ながらも的を射た指摘に、皆はすまなさそうに謝りながら、自分の席に戻った。あの子は誰なんだろう?
「あ、あの、あのね、言ってくれてありがとう」
 意を決して、話しかけた。この人生で名前も知らない男の子に話しかけるなんて、初めてだよ!
「何が?」
 す、すげない! すげないよ、名も知らないお隣さん! でも私はめげない! が、がん、ががんばりゅ。うん。
「あの、だから、さっき、その言いにくい事ってゆーか、思ってた事ってゆーか」
「つまりお前は俺が言った通り、あいつらを邪魔で迷惑でウザいと思ってたわけか。真っ赤な顔して照れてると思ったらそんな事考えてたんだな、お前」
 がーーーん! そ、そう来るか…っ! うぬう、なかなかに揚げ足取るのが上手いよお隣さん! 
「そ、そこまで思ってないけど、でも、どうすればいいのか分かんなかったから」
「まあ、別にいいけど」
 意地悪だよ……優しいけど意地悪だよ、お隣さん……。

 きーーんこーーんかーーんこーーん

 いろいろ話したり思ったりしていたら、チャイムが鳴った。一時間目ってなんだっけ、そうそう、数学aだ。私ずっと数学苦手なんだよなあ……教科書教科書、えーっと確か……あった、これだっ!
  サルでも分かる数学の基礎
……あれ? もう一回目を閉じよう。ついでに深呼吸もしよう。よし、目を開けよう。

  サルでも分かる数学の基礎

 ままままま間違えたーーーー! 
「お隣さん、お隣さん」
「お隣さんってなんだよ……で、何だ?」
「教科書、見せてくれませんか……」
「……お前転校生だよな? 緊張はないのか?」
「か、返す言葉もございません」
「まあいいけど。ほら、机くっつけろよ」
「すいません……うう、失礼します、お隣さん」
 転校初日から何やってんだろ、私……本当に前途多難だよ……。
「あのさ、そのお隣さんってやめてくんね?」
「ほあ?」
「気持ちわりい」
 ずががががががーーん! き、気持ち悪いと言われてしまった! 「天斗(あまと)」
「え?」
「沖田(おきた)天斗だよ。俺の名前」
「あ、仲村癒愛です」
「まあなんて呼んでくれても構わねえよ」 
 沖田君とか、天斗君とかはありふれてるしなあ…どうせなら仲よくなりたいし……あ。
「ねねね」
「あ?」
「あめちゃん♪」
「ぶっ!」
 あめちゃん、実にいいじゃないか! だってさー、あまとって名前だけど漢字は天なんだもん。天って漢字だったらあめって読んだ方がかっこいいよねー。
「ちょ、おま」
「なーにあめちゃん」
「その呼び方やめろ!」
「そこーー! 何くっちゃべってんだ! イチャイチャするな!」
 うわあ! 注意されたー……あうあうあうあうー。早くこの授業終わってください! このやろー! 


「ハッピーウィンターパーティー?」
 話しかけてきた女の子、亜樹(あき)ちゃんに、私はそう返した。
「そうそう。この学校珍しくってさー、なんか季節ごとに行事があるんだ。秋は文化祭とかね。で、それの冬バージョンがハッピーウィンターパーティー。まあ、ざっくりいっちゃえばみんなでワイワイして遊びましょーっていう催しだよ」
 学生の盛り上がりが字面に現れている……!
「でね、それなんだけど、遊ぶって言ってもやっぱり文化祭みたいな感じで、違う所は一般の客を招待しない所なの。でも、文化祭が一日なのにこれは二日で、生徒を一日目のクラスと二日目のクラスにわけて、誰でも一日は遊べるようにしてあるんだよ」
「それすごいねー。よく先生が承知したねぇ」
「ふふ……確かにね」
 亜樹ちゃんは腰まであるぱっつん黒髪を、サラリと耳にかけた。この亜樹ちゃん、美しい! 女の子にしては高い170の身長に、スラリと長い脚、小さい顔に整った顔立ち、ワンダフル! それに落ち着いた態度は大人~♪ な空気を醸し出してるんだよ。もう、眩しい! もう、何もかも私と違いすぎて……。
「うううー……」
「え、どしたの?」
「もう、亜樹ちゃんが眩しすぎて……」
「何言ってんだか」
 そう言ってクスッと笑うしぐさもお美しいーーー! 
「それで私たちのクラスは何するのー?」
「ああ、私達は一日目のクラスなんだけどね。出し物は」
「仮装喫茶だよ」
「うわっびっくりした!」
 後ろから低い声が聞こえた……! と思ったら
「あめちゃん!」
「その呼び方やめろって言ったろ!」
「おやおや、沖田天斗珍しい。お前が女子の会話に割り込んでくるだなんてねえ」
 亜樹ちゃん、何をニヤニヤとしてらっしゃる?
「お前はキャーキャー騒がねえから楽なんだよ」
「癒愛ちゃんはどうなのよ?」
「こいつはカラカイがいがあるからな」
「あめちゃん酷い!」
「だからあめちゃん言うな!」
「へえ、案外遊ばれてるのはお前じゃないの? ねえ、あめちゃん」
「……お前なあ」
「ねえねえ、二人は幼馴染なの?」
「「なぜわかったっ!?」」
「やっぱり? 当たってた? わーい」
「ははっ、癒愛ちゃんにはかなわないね」
 そう言って頭をなでなでしてくる亜樹ちゃん。
「お姉ちゃん……」
 ひしっ。そうつぶやきながら私は亜樹ちゃんに抱き着く。だってだって、こんな大人な人に頭をなでなでしてもらったらそう思うよ! 大げさ? 違う違う! 会えば分かるよ! オーラがすごいの!
「おい、いつまで抱き着いてんだ、冬の出し物の話するんじゃなかったのか?」
「ああ、お姉ちゃーん……」
 文字通り、文字通りひっぺがされたよ、あめちゃんに……。
「おやおや天斗。嫉妬ですか?」
「ちげえよ、イライラしてんだよ」
「ふふふ……もう、私はあえて何も言うまい」
「それで? 仮装喫茶なんだよね? 出し物」
「うん、私達が仮装して、接客と厨房に分かれて喫茶店をするんだよ、で、私はもう適当なコスプレで厨房にでも回ろうかと思って」
「何言ってるの亜樹ちゃん!」
 何言ってるのこの人! この人が接客に出ずしてなんとする! 
「亜樹ちゃんみたいな美人さんはもうびしーーっと仮装してちゃちゃーーっと接客してお客さんはメロメロ~~なの!」
 ズビシッ! と亜樹ちゃんを指さしながら力説なう!
「ああ、ちょうど次の時間多分その話するから、その時癒愛ちゃんの仮装する衣装も決まると思うよ。仮装する衣装はみんなで一人ずつ話し合って決めるんだ。本人の意思、似合うかどうか、客は引かないか、値段はどの程度かね」
「まあ、本人の意思は正直そこまで大切にされてねーけどな」
 ふくれっ面でそう言ったのはあめちゃん。
「天斗、結局あれだもんねー」
 ニマっと亜樹ちゃんはそう笑った。
「どんなのー?」
「ぷくくくっ笑えるんだよ。盛り上がった女子にテーマまで決められてさ。ほら、自分の口で言ってみなよ天斗」
「……『不思議の国の、正体不明ながらもなんかお偉いさんで危険な香りのする帽子屋』のコスプレ……だーっ、笑うんじゃねえよっ!」
「ご愁傷様です……ぷ、くくくくくくくくっ……」
 だって、うくっくくくくくく!
「ほら、チャイムなったぞ! 席つけこの馬鹿どもが!」
「「あめちゃん顔あかーいwwww」」
「うるせーこのやろー!」
 二人してニヤニヤしながら席につく。しかしこの時私は知らなかった……この先、あんな悲劇が待ち受けているなんて……。
「はいはーい、仲村さんはメイドがいいと思います!」
「アイドルでしょ! フリッフリの!」
「ゴスロリー!」
「天使―!」
「仲村さん好きだー!」
「おい誰だ今地味に告ったやつ」
 そんな事じゃないよっなんでさっきからそんな類のものばっか!
「はーい、それならいい案がありまーす」
 自信満々な顔で手をあげ、すっと立ち上がったのは亜樹ちゃん。
「ふ……このクラスには『帽子屋』がいるでしょ? 『不思議の国』の」
「「「「「「「「「ほう……」」」」」」」」」」」
「という事は、アリスもいていいでしょう? みんなの意見をまとめると……ゴスロリかつフリッフリなアリスかしら?」
「「「「「「「「「さんせええええええええええ!」」」」」」」」」」」
「いい案だね! さっそく注文しないと!」
「いやいや、オーダーメイドでしょ! 家庭部の連中はいる?」
「「「「はい!」」」」
「至急仲村ちゃんにあうゴスロリでフリッフリな服のデザインを!」
「「「「さーいえっさー!」」」」
「さあみんな、動き出せ! ……一週間後のウィンターハッピーパーティーに向けて!」
「「「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおお!」」」」」」」」」」」」
「そんなに近いのおおおおおおおおお!?」
 ちらほらと雪が降り始めた灰色の空、響き渡る私の悲鳴、楽しそうなクラスメイトの歓声。なんだか楽しい事になりそうです。
「ちょっとエロいのはありですか!」
「ミニスカートにしてもいいですか!」
「ええい、もうお前たちの好きにしていいぞ! やれーー!」
「「「「「「「「「「「「あざーーーーーーす!」」」」」」」」」」」」」
 ……みんなの勢いが怖いです。

 そんなこんなで一週間後。みんなの衣装が届いて、みんなが着替えた。それぞれ凝った衣装を着ている。……まあ、中にはネタでしょ! みたいな人も何人かいるけど。
「おい、俺の服、なんだよこれ……」
あめちゃんの声がする。なーんだ、あめちゃんもネタ系の服にされたのかな? テーマもなんだか微妙だったしなあー。さて、さんざん笑います……か……って……。
「え?」
 そこにいたのはあめちゃんだけど、あめちゃんじゃないみたいだった。黒いシルクハットを小粋に斜めにかぶった下は、いつもはしていないのによく似合う、少し濡れたようなセットされた髪。襟元のボタンをはずしたそこは、紐のネクタイがゆるくかかっていて。端っこに向かって長くなっていくアシンメトリータイプのこれも黒いベストに、長い脚を強調する黒いズボン。あめちゃんの不機嫌なような、物憂げなような顔もマッチして、なんていうか――

 かっこいい。

 心臓がどきどきする。ここに来たばかりの時と、似てるようで、全然違っている。呼吸がうまくできない。今までみたいに、恥ずかしかったり、泣きたくなったりなんてしてないのに顔が熱い。視界が、あめちゃんだけしか映してくれない。まるで世界が私とあめちゃんだけになったみたい。
「なんでこんな恰好しなきゃいけないかねえ、ねえ癒愛ちゃん」
「ほあっ! そ、そうだ、ネっ!」
 マリア様をイメージした白い服を着た亜樹ちゃんが話しかけて、現実に引き戻された。あうう、もう少しだけあの二人っきりの世界にいたかったなー……だなんて何考えてんだ私! さっきから私おかしいよ! ちらちらあめちゃん見ずにはいられないのー! 変だよ、絶対! 
「って、癒愛ちゃんまだ服着てないじゃない! あんなにかわい……ぶふっぷくくくくく……」
 え、笑ってらっしゃる? そんなに服酷いの? 
「はいはい、こっち来てー……やれっ! 衣装班!」
 どどどどどーっと連行され、事態を確認する前に複数の女子に着替えさせらーーれーーーてーーのーー。
「「「「完成! ふわふわアリスでーーーす!」」」」
「ほ、ほあああああああああああ!」
 なんじゃこりゃあああああ! 予想以上の酷さっ! こんな恰好私に似合うって言ったやつ誰じゃああああ! 
「うんうん、やっぱり髪はこんな風におろして、頭のてっぺんでリボンっていうのは正解だね!」
「いやー惚れるわー」
 待て待て、なんかおかしいなんかおかしいよっ! な、なにこのふわふわ! しかも……。
「なんつか、仲村ちゃんって着やせするタイプだったんだね」
「うん、結構、その……出るとこ出てるよね」
 そう、最大の疑問はその二つ。一つ目、この大胆かつ繊細に空いた、レースと細いリボンに彩られたこの胸元! こ、ここここここれはかなり恥ずかしい! プーラースー! 見える、見えちゃうよこのスカート! フリッフリかと思いきやもう、ビックリするぐらい短いんだよ! これ、ちょっと風が吹いたら絶対見えるって! 
「あ、あああああ、亜樹ちゃー……ん」
「うっそんな捨てられた子犬のような目で言われると……ちょっと罪悪感」
 ううう、これ、今日、一日、着て、過ごすの……? 
「あ、あああ、あめ ちゃーーん……」
「うっ、おま、なんつー恰好を、して、いる、んだ」
「ほらほらほらほらーー! あのあめちゃんが言葉に詰まるくらい私の恰好おかしいんだよー!」
「ふふ……天斗が言葉につまってるのはそのせいじゃないと私は思うんだけどな……まあ、聞こえてないか」
「みんな準備できたか? そろそろ開店だー」
 あ、あうあう、担任の先生来ちゃった……。
 扉が開く。人が入る。私の、私のセリフは――
「い、いい、いらっしゃいませ、ご主人様――!」
 あ、波乱な予感。もう、この顔が赤くなる癖、そろそろ治ってほしいんだけどっ! 


「「「「「「「「「「お疲れ様―――――!」」」」」」」」」」
 終わった。終わった。いろんなものが。所変わってここは打ち上げの席、焼き肉屋さんでーす。あははは、はは! はあ……。
「いやあ、災難だったねぇ。まさか最後の最後にずっこけて癒愛ちゃんの可愛いパンツ大公開、だなんて羽目になるとは」
「それを言わないでよ――――――!」
 そうなのだ。最後、最後の盛況だった時、あまりの忙しさにつまずいた私は盛大にこけ、よりによってホールに向けてパン
「もうヤダあああああ……」
 もう心の中で言うのも嫌だよ……。
「まあ、その、あれだ……うん、まだ可愛い柄だったからよかったんじゃないのか、うん」
「何がいいの!? ねえ、何がよかったの!? というより、あまちゃんその口ぶりだと思いっきり私のパンツ見たね!?」
「いや、その、誤解……白状しよう。多分ホールの奴らみんな見えてたぞ」
「うえええ……えぐっ」
 しかも制服だと怒られるからって理由でまだコスプレみんなしてるんだけど、これすごく変な光景だと思うの……。
「あ、そうそう癒愛ちゃん、ちょっと天斗と写真撮られてくれない?」
「ふぇっ? な、なななんで?」
 あめちゃんと写真っ? ……なんか、嬉しいんだけど恥ずかしい……。
「だって『アリス』と『帽子屋』じゃない。ぴったりだし、記念にね」
「という訳であめちゃん、笑顔になってください」
 すまなさそうにひたすらジンジャーエールをあおっていたあめちゃんは、こっちを向いた。それだけで私の胸はドクンと高鳴る。
「いいよ、別に。こっち来い」
 こっち来い、その一言に私がどれだけ心を揺らしているか、あめちゃんは知らない。
「はい、チーズ!」
 カシャリ、という軽快な音とともに写真が撮られた。それは、確かにここにあめちゃんと私が存在していたという証。意地悪だけど、優しげな笑みのあめちゃんと、ちょっと顔が赤いけど幸せそうな笑顔の私。その笑顔を見て、私はやっと気づいた。
     ああ、私。
       あめちゃんの事が好きなんだ。
 やっと気づいた。気づくのが怖かった。簡単に好きになっちゃった、自分を認めるのが嫌だった。でも、これは間違いない。私はあめちゃんの事を、好きに、なってしまった――。

「あ、明日、一緒に回ってくれないかな、あめちゃん……」
 家に帰り、私は明日あめちゃんに一緒に歩いてくれるにはどう言えばいいか計画していた。でも分からない。今までこんな気持ちになったことがないのだ。
「……てっとりばやいの思いついたかも」
 そう思って私はお気に入りの便箋を手に取った。カチカチとシャーペンの芯を出し、推敲しながら文を書く。初めての手紙、ラブレターは、愛を運んでくれる言葉無き天使に見えた。緊張する体を無理やりベッドに沈ませ、目を閉じる。明日いい日になりますようにと願いながら……。

 この時私は知らなかった。あんな悲劇が待ち受けているなんて。

 期待に胸を膨らませ、朝の準備をする。少し念入りに髪を直し、どたばたと家を出る。いつも通りだった。ドキドキしている以外は、本当にありふれた日常の一コマだった。私が最後に見たのは、ノンストップで私の目の前に現れた車だった。

「え? 癒愛ちゃんまだ来てないんですか?」
「ああ。保護者もわからないらしい。普通に家は出たらしいんだがな。保護者さん曰く、以前にもこういったことがあった時、仲村は迷子を送り届けていたんだそうだ」
 職員室で先生にそう聞き、思わず笑ってしまった。癒愛ちゃんらしいなあ……。でも、この日にそんなことするかしら? 分からない。私はまだあの子の全てを知っているわけじゃないし。そして隣の男に話しかける。
「天斗、残念。なんだか癒愛ちゃんまだ来てないみたい。一緒に回れないよ」
「別に。アイツとそんな回りたかったわけじゃねーし。じゃあ俺直樹(なおき)んとこ行ってくるわ」
 いっつもそう言うけど、明らかにがっかりしていることが顔に表れているのを知らないのだろうか。いつもあの子の事をいったら、強がっているのがばればれだ。何年一緒にいると思っているのだろう。私はじっと空を見上げた。ここは晴れているけれど、視線を遠くにずらすと陰りのような雲がある。
「まさか……ね」
 私はそうつぶやき、かねてより決めていた店へと足を向けた。


 ここはどこだろう。ベッドに寝かされている。いっぱい繋がれている。眼を開けた私を見て、お医者さんとお母さんが目に涙をためて何かを叫んでいる。聞こえない。お母さん、聞こえないよ。嫌なものだ。自分の気持ちがすぐにわからなかったくせに、もう死ぬんだなあ、なんて事は直感的に分かる。あはは、哀しいなあ。私結局あめちゃんに何も言えてない。亜樹ちゃんにも何も言えてない。せめて、あの手紙をあめちゃんに渡したい。あなたの事が好きですって、私の口で言いたかった。あめちゃんにぎゅってしてほしかった。優しくしてほしかった。名前を、呼んでほしかった。
「手紙、あめちゃんに……生きてって……」
 お母さんにつぶやく。届いたかわからない。みんなの声が聞こえないなら、今つぶやいたのも届いたか分からない。嫌だ。会いたい。短い時間だけど優しくしてくれたみんなに会いたい。あめちゃんに会いたい。目の前にあめちゃんが見える。見せたことのない笑顔で微笑んでいる。ああ、これは私の幻想だ。神様ありがとう。あめちゃんを見ながら死ねるなんて、私は幸せです。だから最後にわがまま、聞いて。どうかさっきの言葉、届けてください。
「だい、す、き」
 口が緩く弧を描き、目から暖かい何かがあふれる。何かすごく大きな音がして、誰かが駆け込んできたそのあとを――私は知らない。


「……まとっ天斗おおおおおおおお!」
 教室の隅でうつらうつらしていた俺は、幼馴染の叫びに起こされた。騒々しい。アイツが騒ぐなんて珍しい。ていうより、祭りの日なのに公衆の面前で騒ぐな。
「ぼーーっとするな! 行くぞ!」
「え、お……おいっ!」
 手を引かれるままに、俺たちは駆け出した。亜樹の足は速い。意味がわからないまま、学校を風のように抜け出した。走っている途中、何度もどういうことだ、説明しろ、どこへ行くと質問をぶつけたが、答えなかった。生真面目な亜樹が信号を無視し、車道を渡り、裏道を駆け抜ける。亜樹は眼を見開いて、カタカタと震えながらも全力で走り続けた。何が起こったかはわかっていなかったが、止まってはいけないことは分かった。そして俺たちは、勢いよくとある病室の扉を半ば蹴破るように開いた。
「だい、す、き」
 バーーーンという轟音のさなか、誰かの声が聞こえた気がした。

     ピ――――――――――……

 無機質な音が響いた。何で亜樹はこんなところに? 亜樹はそのベッドへとかけよる。カーテンを開け、俺の視界から見えなくなると、亜樹の泣き声が聞こえる。どうしたっていうんだろう。誰がいるんだろうか? 俺はそのカーテンを引いた。
 この人生で、俺はこのカーテンを引いた事を最も後悔するだろう。全てが純白に包まれたその中で、俺の好きな人が、眠っていた。
「は……?」
 落ち着き始めた呼吸が、なぜか忙しないものへと再び変貌を始める。眠っているんだ。きっと眠っているに違いない。さっきの音は、間違いだ。今は寝ていても、またあの呼び方で俺を呼んでくれるんだ。顔は笑っているし、目は静かに閉じている。何で亜樹は泣いてるんだ? 寝てるだけじゃないか。ただ寝てるだけじゃないか――。
「仲村癒愛様、十二月六日午後二時四十二分三十五秒ご臨終です」
 看護婦の苦しそうな声が響き、亜樹の顔が絶望に染まる。泣き声が大きくなる。俺はなぜかここに入った直後の時間を覚えていた。午後、二時、四十二分、三十六秒――。目の前が暗くなる。

 俺の好きな、好きだった、大好きな人が今日――死んだ。

それから先どうやって帰ったかを、覚えていない。涙は出なかった。亜樹がおばさんに迎えにきてもらって、俺は家まで歩いた気がする。
色は目に入らなかった。耳はノイズすら拾わなかった。口の中はカラカラで、何の匂いもしなかった。ただグルグルと残酷な現実が頭を支配していたことは覚えている。気づけば、俺は着替えもしないでベッドに腰掛けていた。そのままごろりと横になる。暗い部屋で、天井に向かって手をかざしてみた。受け止めきれない現実がここから通り抜けて、その分幻になればいいのに。いや……不可能だ。通り抜けた現実はやっぱり現実で、それは鋭利なナイフとなって俺の心に突き刺さる。誰かが言った。人生っていうのは、託せないし、奪いもできないし、消すことも踏みにじることも、笑い飛ばすことも美化することもできないって。
「嘘だ……」
 嘘だ、嘘だ。嘘だ! 名前も知らない誰かは、アイツの人生を簡単に奪っていった。簡単に未来を消した。運命は、あいつの人生を踏みにじり、所詮無力だと笑い飛ばしていった。……俺は何をしていたんだろう。のんきに祭りを楽しんでいた。何の連絡もないのに、心配もせず、一緒に回れないなと気落ちしただけだった。偉そうに言える立場じゃない。結局、俺も自分の事しか考えていなかったのだ。
「……癒愛」
 名前も呼べなかった。あの日、言葉を交わした日から、俺は多分あいつに惹かれていたんだ。なのに俺は何をしていた? 初めて思った気持ちに戸惑い、自分じゃなくなることを恐れ、何かと理由をつけて逃げていた。騒がないやつだから、亜樹と仲がいいから、カラカイがいがあるからとか……。嫌だったんだ。純真で無垢なあいつに、薄汚れた俺の気持ちが伝わることで気軽にしゃべれる関係がくずれてしまうのではないかと。嫌われてしまうのではないか。嬉しそうに、あめちゃんって言ってくれなくなるんじゃないか。意気地なしだ。弱虫だ。もう……もう、二度とアイツの声すら聴けないんだ。人生は、人生はありのままで、残酷で、受け入れるしかないんだと……。笑顔を見るたび嬉しかった。笑顔を見るたび辛かった。笑顔を見るたび憎かった。何も思ってなさそうなあいつの素直な笑顔が、愛しいと同時に憎かった。……あいつ、顔笑ってた。笑うものなのか? この世に未練があるやつなら、死に際に笑うはずがない。もう何もかもが嫌だ。アイツはもうこの世にいない。もう会えない。俺はもう、死んだも同然だ。
ふと、机の上の手紙に目がいった。俺を『あめちゃん』だと知ったアイツの母さんが、俺に渡したものだ。なんなんだろう。震える手で、手紙を出す。授業中、カリカリと書いていたアイツの字だった。

 沖田天斗君へ
 いきなりの手紙でびっくりするかな、あまちゃん。あのね、私気づいた事があるんだ。私あまちゃんと居てたら楽しいの。あまちゃんの笑顔見たら、なんだかドキドキするの。今までこんな気持ちになった事なくって、はじめはこれが何か分からずに逃げてたの。   
 でもね、私気づいたの。これは恋なんじゃないかって。だからね、私はあまちゃんに伝えたかったの。
 私は、あまちゃんのことが好きです。意地悪だけど、気が利いて、優しいあまちゃんが大好きです。お祭り一緒に回りたいの。あまちゃんと、もっともっと仲良くなりたいの。あまちゃんの事もっともっと知りたいの。だから、あまちゃん。よければ私とおつきあいしていただけませんか? お願いします       大好きなあまちゃんへ

「馬鹿だ」
 俺はそうつぶやくことしかできなかった。分かってる。本当の馬鹿は俺だ。もうアイツがここからいなくなっても、素直に言えないんだ。いつもみたいに、馬鹿にして、遠ざけて、傷つけて。ふざけんなよ。ふざけんな。一秒前までお前は生きてたんだろう。かろうじてあの小さな体に魂を遺していたんだろう。俺を待っててくれてもよかっただろう。いつもいつも、アイツは俺の先にいて、振り返って笑うんだ。屈託なく笑うんだ。そのくせに、俺が手を伸ばしたらもっと先に走るんだ。お前なんか、大嫌いだ。大好きだ。嫌いだ、大好きだ。
「好きだ……」
 涙が頬を伝う。声が漏れる。みっともなく俺は泣いた。止めようと思っても止められないのだ。アイツが見たらどう思うだろう。みっともないって笑うんだろう。もうそれでも構わない。なんだか無性に泣きたいんだ。
 憎らしいくらいに透き通った透明な空、届かないものに、気づくもの。暗い部屋の中、俺はいつまでも泣き続けた。

                            おわり

最初に、とっても大事な忠告。
この作品は、顧問に”不掲載処分”を食らった、若干アレな感じの作品です。エログロが苦手な人は、ブラウザバックか、このリンクに飛ぶことをオススメします。
HPトップ
それでも読みたい方は続きを読むをクリックしてください。(作品/連絡から飛んでる人のみ)...
>> 続きを読む

冬号 By no name1

2012年11月30日
何かを起こす古本屋
no name1

ある繁華街の大通りを右に曲がり、人気のない小道を突き進むと、二つの店が並んでいる。向かって右が古本屋。左が洋菓子屋。どちらの店でも、女性の店員が一人だけで働いている。
古本屋の女性の名前は時宮(ときみや)ルイ。漆黒のショートヘアで、銀色の瞳を持つ、氷系の美人。洋菓子屋の女性の名前は時宮メア。やわらかな長い金髪と碧眼を持っていて、容姿はフランス人形のようである。
 どちらの店員も少女のような美しさがあるが、彼女たちは営業用の微笑を浮かべている時以外は、常に無表情でいる。

 いらっしゃいませ。当店には、珍しいものや、大変貴重な品も置いてあります。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

     Ⅰ

また迷ってしまった。
つくづく自分の方向音痴に嫌気がさす。足が速いのは警察(ポリ)から逃げるのに便利だが、警察を撒いた後、自分がどこにいるのか把握できないのは情けなく思う。
 ここはどの辺りだ。人気が全くない。俺はとりあえず歩いていると、古そうな店を見つけた。休息がてら入ってみようか。ついでに金も手に入れよう。
 ガラスの引き戸を押して入る。こげ茶の棚に、古そうな本が並んでいる。その隣の机の上には、アクセサリーなどが置いてある。これらも売っているのか。
俺は誰もいないことを確認して、レジなど、金がありそうなところを探してみたが、見つからなかった。見当違いだったようだ。
 足音がした。部屋の奥にある階段から、誰かが降りてきた。女だ。多分、ここの店員だろう。外見年齢は高校生くらい。こっちに気づいて、近づいてくる。
「いらっしゃいませ、何か御入用ですか?」
「いや、入ってみただけだ」
いつもやってるように、脅して金を出させればよかったのかもしれない。なのに出来なかった。そいつの顔を見たとき、誰かに似ていると思った。
もう出よう。女に背中を向け、俺は入り口に近づいた。
だがそのとき、女は声音を変えずにこう言った。
「お客様、何か罪を犯しましたね」
驚いて振り返ると、女は笑みを崩さないまま、
「上着にカラーボールの跡がありますよ」
と言葉を重ねた。
 しまった、脱ぎ忘れていた。でも俺は動揺を悟られないように、
「だから何なんだよ。ってか、あんたに関係ないだろう」
すると女は、やっぱり笑みを崩さないまま、
「その通りです。失礼いたしました」
とだけ言った。拍子抜けした。おまけに、通報する様子もなく、また二階の部屋に行ってしまった。                                                                    
 再び出ようとした時、俺はとあるものに目を惹きつけられた。黄色いしずく形の宝石を埋め込んだ、プラチナ製のペンダント。
 俺はそれをいつの時か、見たことがある。
姉貴がつけていたものだ。辛い思いをして、失意のまま消えた姉貴が。

「姉貴いないけど?」
二年前の高校の卒業式の日、五歳年上の姉貴が家に帰ってこなかった。朝、式が終わったら母さんと帰ると言っていた。俺は式には行かず、ごく普通に通学した。
 部活で帰宅したのが遅れたとき、玄関に姉貴の靴がなかった。
「母さん、姉貴いないけど?」
掃除をしていた母さんは、手を休めず話す。
「帰る途中で、樹(き)多(だ)さんっていう高校の同級生の人達に誘われて、カラオケに行ったよ。もうそろそろ帰るんじゃない?」
樹多?
嫌な予感がした。
「どこのカラオケ?」
「××だけど?」
場所ならわかる。俺は無言で飛び出した。後ろから呼び止めるような声が聞こえるけど、気にしない。

姉貴の様子がおかしかったのは、この出来事を回想している今の俺と同じ、中三の頃からだった。初めに、いつも深夜に上履きや制服を洗っていた。ある時、俺は偶然その様子を見た。セーターに、ボンドのようなものがこびりついていて、なかなか取れなさそうだった。
見かねて手伝おうとしたら、姉貴はハッとしてから俺をじっと見て、
「母さんには絶対に言わないで」
と言った。かすかに目が潤んでいたのは、気のせいだろうか。
 それから、俺はちょくちょく色々な様子を見た。携帯に出た瞬間閉じて放ったり、教科書を濡れたタオルで拭いたり、必死に歯を磨いたりする所。姉貴は俺が見ていることに気づくたびに
「母さんには言わないで」
と口にした。俺が生まれて二週間後に親父が亡くなり、女手ひとつで俺たちを育ててきた母さんに、心配をかけたくなかったのだろうか。
日に日に姉貴は、目が虚ろになっていったが、母さんの前ではいつもの明るさを演じていた。母さんが姉貴の演技に気づくことはなかった。
 姉貴へのいじめに大きく関わっていたのは、樹(き)多(だ)智(さと)美(み)と言う人だった。一度だけ、姉貴から聞いたことがある。確か俺はそのとき、最低な事を言った。
「何で標的にされたのか、心当たりはあるの?」
 姉貴は怒らずに、淡々と答えた。
「智美の、あ、智美って私のクラスメートね、で、その智美の彼氏が私に告白してきたことがあったの。その事を智美が知って、私、恨まれたみたい。あと、智美はクラスの中でけっこう権力を持っているから、智美の指示で動く人も結構いるらしい」
 推量形だけど、本当の事だろう。姉貴は何もやってないのに、ひどすぎる。
「でも、智美だって完全に嫌なやつじゃないだろうし、そのうち何とかなるよ」
姉貴はそう続けたけれど、俺はそうは思えなかった。それに虚ろな目で言われても、説得力がない。
いじめの事は、教師にも言ってないらしい。面談のときに、親に伝えられるからだそうだ。 
結局、姉貴の目が母さんの前以外の場で明るくなる事は、なかった。

 いた。
俺は海沿いの道路のガードレールから下を見下ろした。へその辺りを赤く染めたブレザー服を身にまとった人体が、岩石の上に仰向けに倒れていた。階段を駆け下り、人体を揺さぶった。背中側の、両肩の骨の間の所も赤く濡れていた。
「姉貴、おい、何か言えよ! 姉貴!」
姉貴の目はよく見るとうっすらと開いていたが、呼吸をしていなかった。心臓からも、何の音もしなかった。
「…………なんで?」
右頬に、涙の筋の跡があった。右手に握っていたのは、親父が、中学受験に合格したら姉貴にあげてほしいと母さんに渡したという、黄色いしずく形の宝石のペンダント。学校につけて行けないので、姉貴がいつも鞄の中に入れて持ち歩いていたものだ。貰った時、お守りにする、と喜んでいた顔を思い出す。
 命の消える瞬間、姉貴は親父に何かを呼びかけていたのかもしれない。
俺はしばらく、呆然とした。波の砕ける音が冷酷にこだまする。

数日後、姉貴を殺した奴らは、やっぱり樹多智美とその友人達だったと警察から知らされた。昨日逮捕したらしい。カラオケに誘い、母さんから姉貴を離れさせた後、崖の上で記念撮影するふりをして、一人は姉貴の左隣に並んでナイフで背中側を刺し、一人は適当に姉貴の体を刺し、最後は―――樹多智美は姉貴を崖から突き落としたらしい。
 そんなに憎んでいたのか。姉貴があんた達を悪く言ったことは一度もなかったのに。
 姉貴が可哀想だった。卒業直後も自分をいじめていた相手を信じたなんて、馬鹿だったかもしれない。でも、姉貴はそういう奴だった。誘われた時、すごく嬉しかっただろう。そして突き落とされる瞬間、どんなにショックだっただろう。
 母さんも可哀想だった。自分がもっと早くいじめられている事に気づいていたら、あの時、カラオケに行かせなければ、あんな事にはならなかったのに。自分を強く責め、ずっと後悔していた。
 俺だって辛い。数年前からいじめの事はわかっていたのに、それを誰にも伝えなかった。助けようともしなかった。母さんも、俺を責めてほしかった。姉貴が死んだ後、俺はいじめの事を知っていた事を母さんに打ち明けたが、母さんはまったく俺を責めず、ただ自分を責め続けた。

 その後、現在、母さんは明るさをなくし、時に姉貴の事を思い出して泣くようになった。俺は不登校になり、むしゃくしゃして、物を盗むようになった。母さんに迷惑をかけたい訳じゃないが、一度やって成功すると、快感になってしまった。

同じ物がこんな店にあったとは。
「お買いになられますか?」
 後ろからいきなり話しかけられた。ビビる。ためらっている俺に、女はさらに言った。 
「何か心残りがお有りなら、お買いになられるほうがいいかと思います」

数分後、俺は例のペンダントを入れた箱を持って街にいた。何で買ってしまったんだろう。(何故か無料だった。)店員の言う事なんか、聞かなくてもよかったのに。
ただ、一つわかった事がある。あの女は、俺の姉貴に似てたんだ。いじめられていた時の姉貴と、同じ目をしてたんだ。
 もう帰ろう。今日はもう動きたくない。
家に帰った俺は、晩御飯を作っている母さんを尻目に、二階へ行き、布団に潜り込んだ。
眠気はすぐにやってきた。

目が覚めた俺は、まだ暗い部屋の隅に、光る大きな塊を見た。次第に形がくっきりと表れていく。 サラサラの長髪、大きな目、ブレザー服、首元で光る黄色い宝石。
「……姉貴?」
「久しぶり、滝(たき)登(と)」
驚きはしなかった。姉貴の服に血はついてなく、目はいじめにあう以前のもので、明るく光っている。
「私が死んでから二年経つけど、前より暮らしが荒(すさ)んでるんじゃないの?」
「まあ当たってるかな。母さんは姉貴が死んだのを自分のせいだって言って、今でも悔やんでる」
込み上げてくる辛さを押し殺すように、俺は無理矢理笑った。
「母さんは何も知らなかったのに、おかしいよな。んな事しても姉貴が帰って来る訳じゃないのにさ。本当に最低なのは……俺なのにさ……」
「……あのさ、滝登。私のために、そんなに苦しまなくていいんだよ」
「……んな訳いかねえよ」
「……何で?」
少し間をおいて姉貴が訊ねてくる。穏やかな表情を見ていると、辛さが我慢できなくなった。
「姉貴は、俺だけに自分の苦しみを教えてくれたのに、俺は姉貴を助けなかった! 他の誰かに姉貴の苦しみを伝えて、助けを呼ぼうともしなかった! 母さんを気遣って、一人で重荷を抱え込んでいた姉貴に、気の利いた事も言わなかった! もし、俺が何かをやっていたら、姉貴は樹多智美の標的から外れて、殺されずに済んで、母さんが傷心する事もなかったかもしれないのに。姉貴が一番わかってるだろ? 本当に最低なのは、俺なんだよ!」
気がつけば、怒鳴っていた。いや、同時に、泣いていた。俺が泣いたのは、姉貴がいじめにあうようになってから初めてかもしれない。
「……滝登、私、今まで大変な事もあったけど、結構幸せだったんだよ。あんたが生まれて、友達が出来て、笑いあって、喧嘩して、いろんな人に優しくしてもらって……。いじめにあっていた時も、あんたや母さん、そして父さんがいたから、一人じゃないって思えて、生きてこられた」
「親父?」
「うん。中学受験に合格したとき、父さんが母さんを通じて私にくれたペンダント。これには、父さんの祈りが込められているって母さんから聞いたことある。強く、真っ直ぐに生きられますようにっていう思い。これを持ってたら、お父さんが側にいてくれてるような気がしたんだ」
首元の宝石を撫でながら、姉貴は喋っている。
「でも、姉貴すっごくツラそーだったじゃん。目虚ろだったし」
「確かにあの時は本当に辛かった。でも、死んでから、あんたと母さんの様子を見てわかった。辛いのは私だけじゃなかったって。これからもずっと後悔しながら生きていこうとしているあんたたちに比べたら、私は幸せだったよ。あの時は心配させてごめんね。
 死んじゃったのは残念だけど、こうなっちゃったのも仕方なかったんだよ。滝登、お願い。もう私のために苦しまないで。万引きはやめて。あんたならやり直せるから。そしてもう一度、学校にも行って。あんた、陸上続けたかったでしょ? 友達と、もっともっと思い出作りなよ。貴重な中高ライフなんだから、あたしが楽しみ損ねた分も、思いっきり楽しみなよ。
それから、母さんに伝えといて。もう泣かないで、いつもの明るい母さんに戻ってって。私は父さんと一緒に、ずっと見守ってるからって。
 あんたと母さんがずっと後悔してたら私、安心して向こうにいけないよ」
「……わかった。じゃあ代わりにさ」
姉貴、泣きなよ。あの時から、泣きたくても泣けなかっただろ? 今泣いても、誰にも心配かけないから、大丈夫だよ。もう、我慢しなくていいんだ。
「……わかった。じゃあ、あんたも泣きなよ」
「え?」
「あんたも、今まで泣いてなかったでしょ。まあ、さっき泣いてたけど、目一杯泣いた事はなかったじゃん。思いっきり泣いて、それからは、もうあたしのことでは泣かないこと。いい?」
「……知ってたんだな。わかったよ」
 俺と姉貴は、今までの苦しみや悲しみを消し去るように、思いっきり泣いた。涙が姉貴の宝石に落ちる度(たび)、宝石はきらきらと光った。

泣き終わった後、姉貴は俺の机に近づき、まだ開けてなかったペンダントの箱を開け、姉貴の持っていたものと同じペンダントを取り出した。
「滝登、これ、あんたのだよ。さすがにつけたくなかったらつけなくてもいいから、あたしみたいに、お守りとしてもっていて。」
ペンダントを渡された。よく見ると、宝石を囲んでいるプラチナの部分に、
TAKITO・AOGAWA
と彫ってある。
「父さん、あんたが生まれる前に、宝石店の店員に頼んで、私のと一緒に作ってもらったんだって。本当はあんたが中学受験で合格した時に渡すつもりだったんだけど、その前に失くしちゃって、渡せなかったんだって。何であんたがこれを持ってるのかは知らないけど、あんたのとこに戻ってきてよかった」
 ん? じゃあ何であの店にこれがあったんだ? 一瞬疑問に思ったが、すぐにどうでもよくなった。
「じゃあ、行くね。長居しちゃった」
姉貴の体が消え始めた。やっぱり、もう行っちゃうのか。少し寂しくなった。姉貴はいつもの明るい笑顔で笑った。
「また、どこかで会おうね。父さんと気長に待ってるから」
「姉貴、ありがとう。ペンダントの御礼、親父に伝えといて」
「うん」
姉貴は隣の部屋で眠っている母さんの顔をそっとなでてから、
「ありがとう。私、生まれてきて良かった」
スッと消えた。

目が覚めると、もう朝日が昇っていた。片手にペンダントを握っていたから、あれは夢じゃなかったんだろう。気分がいい。泣ききったからか。
 もう、姉貴の事では泣かない。母さんに、姉貴の思いを伝えよう。また学校に行きたい事も言おう。それが、俺が姉貴のために出来る事だから。

 時宮ルイは、昨日来た中学生のことを思い出していた。ずっと前、街で拾ったペンダントに手をかざした時、それに込められた思いや、それの持ち主に起こった出来事が、脳にイメージされた。生まれたばかりの息子への、父親の置き土産。親に関わる事からは逃げたかったのに、なぜか見捨てられなくて、店に持ち帰り、商品と一緒に並べていた。昨日来た中学生を見た時、脳のイメージと一致して、そのペンダントを買わせた。
 心残りは、果たせただろうか。

 朝ご飯を食べた後、ふと思った。
あの店員も、辛い思いをした事があるのだろうか。もしそうなら、姉貴みたいに、いつか苦しみから解放されればいい。
 金木犀の匂いがした。

冬号 By魅烏

2012年11月30日
涙雨
魅烏


 アイツのことがスキだ。この気持ちに気づいたのはいつだったろうか。はじめは憧れの人だった。それからスキに変わったのだ。

 入学式後のホームルーム。好きな者と自由にバディを組んで学校見学する時間だった。ボクがアイツと最初に喋ったのはこの時だ。田舎の学校である我が校は中学校といえども交友関係は小学校からほとんど変わらない。この春から家庭の事情で引っ越してきたボクには相手がいなかった。よって余った者同士、つまりボクとアイツが組むことになった。アイツも同じ時期に都会からこっちへ引っ越してきたらしい。新しい環境で緊張していたボクにアイツは明るく話しかけてくれた。ボクは前の学校にいる時から人との距離の取り方がうまく分からず浮いていたので、その対応には多少驚きながらも馴染むことができた。

それからというもの、ボクはよくアイツの側にいるようになった。アイツは磁石か何かのようで、アイツの周りにはいつも人がいた。ボクにとってアイツは唯一の存在でも、アイツにとってのボクは大勢の中の一人に過ぎなかった。ボクはそれでも良かった。アイツの笑った顔、怒った声、困った仕草、それらを近くで見、感じることができるだけで幸せだった。次第にボクの学校生活、いや日常にアイツは必要不可欠な存在となった。アイツとはクラスが同じなので、授業中は見つめることができる。たとえ移動教室などで教室が離れてしまっても構わなかった。ボクは、アイツが授業中、先生の質問に見事に答え、周りの注目を集めて照れている姿を想像した。アイツが欠席の日は自分の席でただひたすらにアイツが今何をやっているか想いを馳せた。

 学校が休みの時は、あいつの仕草やクセを鏡の前でこっそり真似した。夢の中ではアイツはボクに笑いかけてくれる、名前を呼んでくれる。ボクはその時確かな幸せを噛み締めていた。

冬が刻々と迫ってきたこの季節、まさに絶好の鑑賞日和である。アイツを見て少し火照った体を涼しい風が癒してくれる、まさに僕のための季節ともいえよう。今日の授業も終わりに近づいた頃だ。中年のすこし肥えた数学教師が突然ボクの名を呼んだ。確か彼は……名前は思い出せないが何故かボクを目の敵にしてくる教師だ。どうやらボクの目付きが嫌いらしい。この目付きは生まれつきだからどうしようもないのだが、まあいい。彼曰く、ボクのこの前の小テストの成績が芳しくなかったから罰として屋上掃除をしろ、とのことだ。自業自得なのだが、アイツと帰れなくなると思うとウンザリする。しかし、相手は仮にも先生。断れるはずもなくボクは終礼が終わるなり数学教師に連れられ屋上に到着する。生徒が昼食を取るために設けられているこのスペース、この季節のため落ち葉はもちろんパンのパッケージやお弁当の仕切りなどゴミが山ほど落ちている。これからこれを片付けると思うと、気が遠くなりそうだ。でも終わるまで帰らせてくれなさそうだし、やるしかないか。

全て片付いた時には、結局十七時を過ぎていた。早く終わらせるよう努力したつもりだが、量が量だけにそう簡単にもいかなかった。教師たちは会議室の方でミーティングがあるとかで、ボクは職員室に掃除用具を直したら帰っていいことになっている。生徒数低下や町の予算不足のため我が校にはクーラーやヒーターなどといった英知の塊は存在しない。よって屋上から校舎内に入ったものの、この肌寒さは変わらない。老朽化してところどころ色の変わった木の廊下や階段を通り、ボクは職員室へとたどり着いた。立て付けの悪い引き戸を何とかして開き、中に入る。教師陣はすでに会議中のようで、誰一人いなかった。掃除用具入れは職員室の隅、あの数学教師の机の後ろにある。ボクは掃除用具入れへと足早に進む。掃除用具入れの前にたどり着き何とはなしに背後を振り向く。するとアイツがいたのだ。

「恋は盲目」と言うだろう。ボクはまさにそれだ。ボクはアイツを見たとき、アイツがボクを迎えに来てくれたのだと思った。アイツは数学教師の机の下に身を丸めていたのにかかわらず。ボクはアイツの名前を小さな声でつぶやいた。アイツはビクッと一瞬震えたが、ゆっくりと机の下から這い出し、立ち上がった。ボクはアイツの顔が間近で見られたうえに言葉を交わすことができたのでとても気持ちが高揚していた。アイツを眺めていると、アイツが左手に何かを持っていることに気がついた。どうやらプリントの束のようだ。アイツは視線に気づいたようだ。話すかどうか迷っていたようだが、結局口を開いた。

「はぁ、見つかっちゃった。仕方ない白状するとしよう。これは次の期末試験の問題だよ」

次の期末試験の問題をなぜアイツが持っているのかという問題よりも先に、ボクはアイツの声を聞くことができたことに感極まっていた。

数秒ほど間を空けてからボクはやっとその言葉の意味を認識しはじめた。それからまたアイツがしゃべりだした。要約するとアイツはこの頃成績が落ち始めていた。それについて思い悩んでいる時に、教師全員が参加するミーティングがあった。しばらく迷ったものの結局アイツは職員室に忍び込み、期末試験のコピーを作った。そこまでは順調だったのだが、そうそのときボクが職員室に来てしまったのだ。アイツはボクがあの引き戸と格闘している間にコピーを回収してあの机の下で息を潜ませていたと言うことらしい。ボクはその話を聞いてもアイツをスキだという気持ちは数ミリも変わらなかった。ボクのアイツに対する愛はそこまで深かったのだ。

「ねぇ、このこと秘密にしてくれない? ……この問題用紙分けるからさ」

アイツはそんなことを言いだした。ボクは最初からこの話を誰かにするつもりなどなかった。好きなやつを犯罪者だと密告することなんて、とてもじゃないができない。しかし、アイツの懇願するような少し上目遣いの目を見ると気持ちがグラリと揺れた。ボクはあることを思いついてしまったのだ。こんなことをしてはいけない、と止める頭をよそに口は勝手に動き出す。

「秘密にしてあげるよ。でもただではできない。対価をもらおう。ボクが欲しいのはそんな紙じゃない。ボクは……ボクは……君が欲しい。ボクにキスして」

しばらくアイツは唖然とした顔をしていたが、やがて笑い出した。

「まさかこんな口説き方があるとはね。ふーん、まあいいよ。キスしたら黙ってくれるのだね?」

ボクはうなずいた。外では雨が降り始めていた。まるでボクの代わりに泣いているように。ボクは泣きたかった。自分がこんなことを頼んでしまう醜さに。でもアイツとこんなことができるのも今を逃せばきっとない。これは神様が与えてくれたチャンスだと考えるボクもいて、結局とめることはできなかった。ボクは伸びてくるアイツの指がボクの顎をつかむのをただぼんやりと眺めていた。

冬号 Byさつき

2012年11月30日
いと愛しうこそ、ものぐるほしけれ。
さつき

――あれは、二年前のことだ。



朝、まだ眠いのにかまけて、だらだらと学校の前の道を歩いていると、聞き慣れた声が後ろから近づいてきた。その声は、そのまま私の隣を通りすぎる。先輩が振り返って笑った。
「アイ~おはよー」
「アイ言うなっ! です!」
「相変わらずな反応速度だねぇ……全く、アイ……もとい、カナの名前はすごく綺麗なんだよ、コンプレックスに感じる必要はないんだってば」
呆れたように肩をすくめる先輩に合わせるように、足を速めながら、私は抗議の意味を込めて小石を蹴った。先輩に当たるように仕向けたつもりだったのだが、小石はあらぬ方向へと飛んでいって、落ち葉の上にカサリと落ちた。
「だから、毎回それ言いますけどなんでなんですか! どこが綺麗なんですか! 愛のどこをどうしたらカナなんですか!」
「はいはい、高校生になったらそのうち分かるからちょっと落ち着こうか」
むぅ、と唸って少し考え、もう一度小石を蹴って、先輩の足に完全に当たったのを見届けてから黙りこくる。そのとき、冷たい木枯らしが服の中を通り抜けていった。くしゃみを二連発。鼻をすすってから、どこかで悪い噂をされているのかなと、苦笑した。当てがあるだけに侮れない。その様子を見て、私の『事情』のことを思い出したのか、先輩が聞いてきた。
「今日もまた行くの?」
「はい、行きたいとは思わないので」
目的語を抜かした文章だと訳が分からないと思う。その証拠に、悪い噂をしている当てである、今背後で盗み聞きをしているであろう友人には意味が伝わっていないはずだ。そこまで考えてから、バッと後ろを振り返り、叫ぶ。
「はい、図星!」
「きゃぁあああバレたあああ」
友人は、単数ではない。まだ薄暗い空に、黄色くてバカでかい悲鳴が木霊する。
「バレるに決まってるでしょ、今の季節は特に落ち葉のカサカサいう音でバレるってのー」
「うわぁ、盲点だった!」
「やっぱ、あんぱん買ってこなきゃいけなかったんだって! 何事も形から!」
「いや、そもそもてめぇら足音隠す気皆無だろ」
「あはは、バレたぁ?」
私がそうやって友人とふざけだすと、先輩はふっとどこかへ消える。おそらく、難しい新書とにらめっこしながら大学へ向かったのだろう。それが毎朝の習慣と化していた。そして、先輩が消えるとこの友人たちのテンションがもっとあがるというのもお約束のようになってきた。沈んだ気持ちのときにそれをされると、悩んでいたことがどうでもよくなったり楽しくなったりとメリットは多々あるが、普通の心境な時にそれをされても、ただ耳が痛いだけだ。ただでさえ耳にささるような寒さなのに、それではひとたまりもない。ただ、もう彼女たちは何を言っても聞きやしないのでどうしようもないのだが。
「ねぇーカナー、あんたらいつになったらくっつくのー? ねぇー?」
「そーだよ、赤城(あかぎ)先輩さぁ、めっちゃカナのこと大好きじゃん、空気も読めるしさ」
「友達より俺優先しろよ、みたいな感じじゃないしさぁ」
「そうそう、あんなに“いい人”の典型いないってば!」
「はよくっつけー!」
「末永く爆発しろシアワセな奴めがぁっ」
「そうだよ、付き合ってないのに、しかも年齢差四つもあるのにそんなに仲いいってのがね、本当に……しかもカナ、ここ最近齊藤(さいとう)とも仲いいじゃん? どんだけモテるのよ」
「早くしないと私、赤城先輩取っちゃうよ!」
「取れるのかよお前」
「無理ですごめんね!」
くちぐちにいろいろなことを言ってくるが、要約すれば全員異口同音に『赤城先輩とはよ付き合ってしまえ、そうしないともう私たちはどうにかしててめぇらを無理やりくっつける方向に動く』と言っているのだ。だからといって私の弁解を聞いてくれるのかと言えばそうでもなく、
「だからね、」
「でもさぁ、……っていうのもよくない!?」
「うわ、何そのシチュエーション萌えるっ」
……ずっとこんな調子だ。更に、私がいない間もこんな調子なんだろうなぁ、だなんて想像してはしんどくなる。

だったら教室に行きたくないなどと駄々をこねて非常階段に行くな、ということなのだが、それは無理な話だった。

 ところで、保健室登校という言葉があるのを知っているだろうか。あと、理科室登校とか図書館登校とかも聞いたことがある。私はそれらに似たような登校をしている。ここ――非常階段は、この季節になるといつもに増して居心地がよくなるのだ。何も障害物がない非常階段をすぅっと通り抜けていく風はあたたかくても冷たくても心地よく感じるものだ。だが、少し肌寒いぐらいが私にとっては丁度いい。ちなみに、この非常階段にいることは公認であるため、小テストなどがあるときは学級委員長さんが呼びに来てくれる。もちろん教室には帰らずに、非常階段でテストを受けるのだが。
 どうしてこんな面倒なことをしているのかというと、全ては私の名前のせいだ。最近流行っているのかはしらないが、私の名前はキラキラネームというやつだ。愛と書いてカナと読むだなんて、どんなおめでたい脳でも思いつかない。しかも、苗字は苗字で珍しく『相(あい)武(む)』であり、これは「I‘m」につながる。英語を習い始めた一年のころは、陰口が特にひどかった。
 小さいころは、自慢していた。珍しい名前でしょ、しかも私は英語も知ってるんだよ、と自己紹介をするといろんな人に覚えてもらえた。それが嬉しくて、どこへ行っても、いくらそれが通りでティッシュ配りをしている大学生相手でも、環状線でアメちゃんをくれるおばちゃん相手でも、自慢して回った。
 けれど、中学にあがって様子が変わった。入学式で、参列していた先輩たちが、私の名前が呼ばれた瞬間に笑い出したのだ。在校生には名簿などは配られておらず、耳で聞いただけだったらしいので、おそらくその爆笑のわけは苗字のほうだろう。その下賤な笑みは、入学したあともずっと私の心の傷となった。三年生になった今も、笑う奴はこっちを見て笑ってくる。あのときから、私は二度と名前を口にしなくなった。

チャイムが鳴った。今日の三時間目は、移動教室のために非常階段を使う学年があるので、私は早々に荷物をまとめて端に移動した。邪魔だと文句をつけられたら教室に戻らざるを得なくなってしまうかもしれないからだった。それだけは絶対嫌だった。

「ねぇーカナー」
「ん? ああ、ミオか。どうした」
五時間目終わりのチャイムが鳴った瞬間、ミオがばたばたと踊り場にやってきた。
「レッスン7のパート4って予習やってる? 英語の訳、見せてくれない? 今日、私の出席番号の日付なのに忘れちゃってさ。全く、私が知らない単語出しすぎなのよこの教科書!」
「今日、ていうよりか毎日でしょ、バカ。まあいいよ、借りは地理で返してもらうからね」
「いいよ。でも、データブックなくしちゃうカナのほうがよっぽどバカじゃない? オレンジ色ですっごい存在感あるのに」
「うっせー! あんなちっちゃい教科書、リュックの中に埋もれちゃうんだってば!」
軽口を叩きながら、大好きなオレンジ色のペンで“ENGLISH”と書いてある百均のノートを差し出す。私は今授業でどの範囲をやってるかはあまり把握していないので、全ての単元の予習を予めやっているのだ。ミオはこれをあてにしているから、英語の赤点を抜け出せない。まさに自業自得。
「さんきゅ、助かる! じゃあこの時間終わったらまた返しにここへ来るから、そのときに一緒にデータブックも持ってくるね。今日一日借りてていいよ。だから六時間目終わってもいつもみたいに颯爽と消え去らずに、待っててくれると嬉しいんだけど」
「おっけ、待ってるね。ありがと」
じゃあね、と手をばたばた振り、忙しそうに踵を返して、コンクリートが打ちっぱなしで冷たい雰囲気を醸し出している階段を、すたすたと上り始める友人の背中をぼーっと眺めた。かつては非常階段娘である私のことをよく思っていなかった彼女だが、今では一番仲がよく、印象もいい。――無論、今朝のような囃し立てのとき以外なのだが――囃し立てる時はその高い統率力の無駄遣いをして、抜け目なく全力で私に絡んでくるので、印象がよいどころかむしろ不快なのだ。
 
 チャイムが鳴って、どたばたと教室に入っていく生徒の足音が聞こえなくなったのを確認してから、私は考え事に耽り始める。

 正直に言うと、赤城先輩のことは大好きだ。博識だし、面白いし、万能だし、四歳差とか関係ないし、勉強教えてくれるし、近所に住んでいるからいつでも会えるし、と理由はつけてみるけれど、やっぱり好きなもんは好きなのであり、理由はない。ちなみにこれをミオをはじめとした友人たちに言うと「あー聞いてるだけで恥ずかしいわ、なんか煽りたい、強い酒を煽りたい、未成年なのがもどかしい! とりあえずファンタでもいいから少しでも刺激のある飲料奢れ!」などと騒がれること間違い無しなので言わない。
 そもそも、もしミオたちが騒がなかったら、今頃は何かしら進展があったのかもしれないのだ。何故って、今は最小限の人としか話そうとしない私にも、一応頭が桃色で青春まっさかりな時代があったのだから。私の勇気を根こそぎ奪い取ったのは、紛れもなく彼女たちなのだ。そう思うと、やっぱり彼女たちのバカ騒ぎが不快だと感じてしまう。
「ったく、私含めてみんな、何やってんだかねぇ、ここ最近」
思わず、そう呟いてしまう。中二までは、私たちは所謂ただの“地味―ズ”だったのだ。私と、ミオと、残り二人、四人でずっと一緒にいて、結束を固めて学校生活を楽しんでいた。コミュ障で非リアな自分たちに、酔いしれていた。けれど、最近そうではなくなってきている。例としては、ミオが急にオシャレに目覚めたり、サヤが体育祭の応援団に志願したり、リカがスピーチ大会で優勝したり、誰も何も言わないけど四人とも二次専じゃなくなっていたり――生活のどこを見ても如実だ。
「みんな、だんだん変わってくんだよなぁ」
ドラマでよく聞くような、ありきたりすぎて歯が浮くようなセリフが、自然と口から出た。自分で発言したのに自分でびっくりして、授業中だからいないのは解ってはいても、周りに誰もいないか確認してしまう。もちろん誰もいるわけがなく、安心して一息つく。吐き出した息はもう白く、もう冬なんだなぁとしみじみ感じた。その割にあまり寒いと感じないのは、年がら年中暖房のない屋外で過ごしているからなのかもしれない。家でもせいぜい、湯たんぽくらいしか使わないので、寒さに対する抵抗はあるだろう。
 そこで集中力が途切れて考えることもなくなり、手持ち無沙汰になって腕時計を確認すると、六時間目はあと三分で終了するようだった。よく考えたら、今日はあまり勉強していない。考え事ばっかりだった。家に帰ったら勉強しなくちゃ、という真面目な気持ちを胸に抱きながら立ち上がる。
――勉強しなきゃ、とか、先輩がいなかったら考えることなんてなかっただろうなぁ。
ふと浮かんだことは、浮かばなかったことにして心にしまった。

ミオたちには口が裂けても言えないが、私は登下校が一日の一番の楽しみだ。理由は、言わずもがなである。赤城先輩は下校時間に合わせてサークルを抜け出してきてくれるので、大体一緒に帰っている。私を家まで送り届けたらまた大学に戻るそうだ。そこまでしてくれるというのが、素直に嬉しい。
「カナ、こっち!」
「あ、先輩!」
しかも今日は、地理を教えてくれるというのだ。地理は教科書を読むだけよりは専門的な知識を知ったほうが楽しいので、心が躍る。小走りで先輩の隣に並んで歩き始めると、おもむろに先輩が口を開いた。
「データブック持ってきた?」
ハッとする。口を押さえて、だいぶ遠ざかった校門を振り返った。
「あ」
「ミオちゃんに借りる予定だった? しょうがない、今日は僕のを進呈してしんぜよう」
「本当ですか! ありがとうございます」
先輩からデータブックを受け取り、丁寧に鞄にしまう。と、そこで、最近若者化したミオを思い出した。明日、放って帰ったことにキレられるのは明白だった。
「待ってください、ミオに謝罪のメール打つので」
「最近の子はみんなメールだねぇ。まあ僕もスマホ民だからあんまり偉そうに言えないけどさ」
「メールして、明日直に謝るんです。そうやって怒りを緩和させておかないと、あとあと面倒ですし。それに、私ほら、ガラケーですからまだましなほうですよ。機能もメールしか使ってないし」
「あ、知ってた? ガラケーってぱかぱかする携帯のことじゃなくて、日本製の携帯全部をさすんだよ。ガラパゴス携帯の略称。だからその携帯も、僕のも、ガラケー……のはず。ガラスマとも言うのかな、スマホだから」
「え、マジですか! 知らなかったです」
「カタカナ語事典便利だよ、これこないだ買ったんだけどね、辞書としても使えるし……」
どうやら今日は、地理ではなくカタカナの話題になりそうだ。それはそれで楽しいからいいのだが。というより、先輩が話すことならなんでもいい気がする。どこのラブコメの主人公だよ、と脳内でセルフツッコミをしてみる。
「そうそう、英語から日本語になっちゃったやつとかもあるよね、サービスとかさ」
「ああ、あとはカステラとか? なんか聞いたことがあります」
「あーそれはね、英語じゃないよ。なんだっけ? オランダかポルトガルか、その辺りだったと思うよ。また調べておくよ」
「ありがとうございます」
「そういえばもうすぐクリスマスだよね、プレゼントいる?」
「あ、欲しいです! どうせなら、今買いに行きませんか? 実は目をつけてたパワーストーン屋さんがあってですね」
「うわ、カナ相変わらず物頼むの上手だね。まあ、いいよ。どうせヒマだし」
それから、先輩はちょっと間をおいて付け足した。
「残り時間も短いことだし」
「ん? あ、はい」
若干最後のセリフが気にかかったが、よく考えると私が高校に行くことになったら、こんな生活もなくなるのだ。今は中学と大学が近いけれど、あいにくこの辺りに高校はない。



――そのときはそうだと思っていた、だなんて、またありきたりなセリフを独りごちてみた。もちろん現実はそうではなかったわけなのだが。

 それからすぐ、先輩はアメリカへ行った。私にはよくわからないが、日本ではできない飛び級制度がアメリカでは使えるらしく、それを使って、人より早く大学を卒業し、若くから教師になりたいらしい。地理を専修していたから地理の先生になるのだろう。先輩の野心は応援したいと心から思ったが、やはり先輩がいないというのは私にとって精神的に辛く、それからというもの何に対しても全く意欲がなくなった。受験も、受かったのは偏差値三十を切っているような、風聞的にあまりよろしくない、滑り止めの高校だけだった。私の手に残ったのは、今まで以下の価値しかない非常階段生活と、オレンジ色のデータブック、そして先輩にもらったオレンジ色の石がついたペンダントだけだった。

それから私はその高校で、楽しくもなんともない非常階段登校を意地で続けていたわけだが、先輩がアメリカに行ってから二年とちょっとがすぎた昨日、久しぶりに先輩から連絡が入ったのだ。二年前のあのときから変わらない私のガラケーの画面に、役目を果たし終えて地面に散った桜の花びらが、風で再び舞いあがってくるのを払いのけて、受信ボックス画面が昨日からほぼ表示させられっぱなしな液晶を見つめる。
「それにしても、久しぶりのメールが『授業に出ろ 必ず』だとは思わなかったな」
あまりにもそっけなさすぎる。私はいささか不満だった。さすがに『久しぶりぃー! 元気ぃ―?』みたいなハイテンションなメールは嫌だが、ここまでそっけないとそっちのほうがよかったという気までしてくる。
「んー、でも」
久しぶりにメールのアイコンがともった『先輩』の受信フォルダを穴があくほど眺めて、久しぶりに聞いた先輩からの着信音を脳内再生して、決心した。

――先輩に頼まれたのだし、小学生以来の授業に出てみるか。


予想通りの反応だった。最初危惧していた、自分の席がわからない、ということに関しては、まだ四月の出席番号順から席替えをしていなかったらしく問題なかった。しかし、その次に心配していた教室が急に静かになり、少し間があってひそひそと話す声が聞こえる、というのは如実に感じられた。担任でさえも、私の名前を呼ぶとき声が震えていた。おそらくいつもなら逃げ出したくなっているのだろうが、先輩のメールを頭に浮かべていると、安心できた。
「はい、じゃあ朝礼終わります」
担任は、ビブラートのかかった声でそう言って、チャイムと同時に教室を出て行った。それと入れ違いで、一時間目の担当教師が入ってくる。
「あいー、じゃあ授業始めていくよー、座ってー」
誰かに呼ばれたような気がした。しかも、本名じゃないほうで呼ばれた気がした。はっと顔をあげ、そこに立っている人物を確認する。
「あれっ、先輩……?」
間違いない、先輩が、そこにいた。しかし、なぜかスーツを着て教卓に立っていた。目が合うと、わざとらしく目をそらして、出席簿のほうを向いてしまった。
――え、嘘でしょ。
だって、仮に先輩が教師になる夢を叶えていたとして、今日の一時間目は古典のはずだ。周りを確認しても、古典のオレンジ色の教科書を持った人が続々と着席し始めている。
「なんで地理じゃないの?」
口パクで聞くが、先輩は気づいた様子もない。私は焦った。もう一度周りを見たが、やっぱりみんなが開いているのは、紛れもなく古典の教科書だった。疑問が解けないまま、授業が始まる。
「えっとねー、じゃあ前の続きって言いたいんだけど、ちょっと今日は、重要語句の説明から行くね。まずは僕の一番好きな形容詞から。これはね、僕が三歳のときに父から教わったんだ。父も古典教師なんだよね。僕が相当かわいかったらしく、キザに古語でそれを示してきたんだよね、しかも三歳のほとんど何も分かってない僕に。おかげで当時の僕も調子に乗って、近所の女の子にその影響が及んじゃったんだ……ってのはまあさておき、これは高一で教えたって、某古典の先生が言ってたよ、だからみんな分かるよね」
そう言って先輩が黒板に書いたのは、『愛し』の二文字だった。鼓動が跳ねるのが、自分でもわかった。オチがだんだん見えてくる。
「これはね、『あいし』とは読まないんだよ。なんて読むか覚えてる人いる?」
きょろきょろと辺りを見回し、先輩が当てたのは、間違えようもない、ミオだった。同じ高校に行っていたことも今まで全然知らなかった。髪を染めていて、雰囲気も変わっている。
「かなし、です。切ないほど愛しいって意味、ですよね」
「正解。あい、じゃなくてかな、な。じゃあ重要語句は以上、じゃあ前回の続きね」
チョークの箱を開けて白と赤を一本ずつ取り出し、ぱっと顔をあげた先輩と思いっきり目があった。動揺を隠すべく正面を向いたら、前の席の子が机に置いていたハンドミラーに、リンゴのように顔を紅くした自分の姿が映っていた。

私は逃げ出したくなって、思わず教室を飛び出していた。



いつの間にか家についていた。慣れというものは怖い。自然と足が動いていたのだ。学校に帰らなければ、と時計を確認すると、もう古典の時間は終わりかけだった。どうせ非常階段に行くだけなのに学校まで戻るまでもないと思ったので、合鍵を使って家に入る。
そしてすぐ、普段は近寄りもしない、二階の奥にある母の仕事部屋へノックもせず入った。目を丸くする母に事情を説明するのさえ億劫で、私は単刀直入に訊いた。
「あのさ、私の名前って赤城先輩がつけたの?」
階段を上るだけでいつもに増して息が上がり、肩で呼吸をしながらそう聞くと、母は、応えた。母が、私の名前がらみのことで質問に答えるのは初めてだったから、自分で聞いておきながら少し面食らった。
「あれ? そうなの? 赤城さん家の旦那さんが考えたと思ってた。でも、そうかもね。旦那さん、英才教育を施すとか言って、小さいときから赤城くんにはしょっちゅう古典教えていたみたいだし。そうなんじゃない?」
ふと、頭に先輩のセリフが過ぎった。
――全く、アイ……もとい、カナの名前はすごく綺麗なんだよ、コンプレックスに感じる必要はないんだってば。
胸に、何か熱いものがこみあげてくる。やがてそれは目頭をも熱くした。
「分かった、ありがとう」
それだけ母に伝え、部屋に戻った。

携帯を開くと充電が切れたらしく画面が真っ黒で、そこに映る自分の顔は見ていられないほどぐしゃぐしゃだった。とりあえず携帯を充電器につなぎ、洗面所で顔を洗った。お気に入りのオレンジ色のタオルで顔をふいて、目薬をさし――たのはいいが、かなり沁みたので、痛みのあまり目をしばたたかせながら部屋に戻ると、携帯がちかちかと光っていた。最初は自分の目がおかしいと思ったのだが、待ち受けのアイコンを確認すると着信を知らせるものが点灯していた。急ぎの用事だと困るので、慌てて受信ボックスを開くと、『先輩』のフォルダにアイコンがついている。このフォルダに着信する相手はたった一人しかいない。逸る鼓動と震える足を懸命に宥めながら、メールを開く。
『驚かせてごめんね。ずっと黙っててごめん。カナには僕自身が、名前の秘密を教えてあげたかったんだ。だから、カナが学生のうちに間に合うようにしたくて、その代償として二年間アメリカに行ってたんだよ。今日は授業に出てくれてありがとう。カナ、大好きだよ』
私はその場にへたり込んだ。さっきのような涙ではなく、今度は雫が静かに頬を伝った。
「……先輩、私も好きです」
ずっと大事にしまってあった、大好きなオレンジ色のデータブックを、私は静かに抱きしめた。



朝の訪れ
風船犬 キミドリ


 『ごめんなさい、私もう大学へは行きません。せっかく食事に誘ってもらったのに』
電話から聞こえてくる彼女の声は泣いていたが、無機質というのが一番に合うようなそんな音に聞こえた。僕はああ、うんとかなんとかつぶやいて理解の及ばないまま電話を切った、と思う。なにせまだ頭が追いついていないのだ。始まりは少し前に遡る。
 彼女、というのは別にお付き合いしている女性ということではなくて、ついさっき講義後のランチに誘った女性である、小早川(こばやかわ)鈴音(すずね)のことだ。彼女とは小学校六年間同じクラスであったらしい。在学中は気がつかなかったんだけども卒業アルバムを見る限り、どのクラス写真にも一緒に写っている。残念ながら中学校で離れてしまったけれど、いつか会いたいとは思っていたんだ。で、偶然大学で再会したので話しかけてみたのだ。向こうは最初気がつかなかったみたいだけど、メガネを外したら思い出してくれた。
「しっかし……話しかけてすぐあっさりといいですよとか言われるとは思わなかったな……」
僕の全体的な雰囲気は小学校からあまり変わっていないと思う。変にナンパな野郎でもなく、根暗にも見えない普通なやつ。ヘタレはちょっとだけ改善。でも今まで彼女はいなかった、残念ながら。でも彼女には何か特別な感情を抱いていた。なけなしの勇気を絞りきって調子よく明るく話しかけてみたつもりだ。そのおかげだろうか。ただし、そのあとが問題だった。
「それじゃあ講義後にホール前で待ち合わせしよう! あとこれ、」
そういいながら思わず笑顔になって連絡先の書いたメモを手渡す。
「じゃっ」
片手を振りながら次の講義の行われる別棟の教室へと走っていった、のだが……
 今日最後の講義が終わり、彼女と約束したホール前へと心を弾ませながら向かう。その時、知らない電話番号から携帯へ電話がかかってきた。とりあえず出てみると、彼女だった。
 何があったのかはわからないが、彼女は泣いていて、大学をやめる旨を伝えてきた。
 そして今に至るというわけだ。僕にできること? 全くわからないな……でもとりあえず、何かしないといけない気になって電話をかけ直してみる。ダメだった、彼女は電話に出てくれない。彼女の家の場所も知らない僕は、なんとかしようにも、手立てがなかった。大学で聞けばいいんじゃなかったのかって? 教えてくれるかどうか確証もないし、正直彼女にそこまでの執着があったわけではない。所詮、その程度だったのだ。そして僕は彼女のことを気になりながらも心の奥にしまいこみ、何もなかったかのように四年間のキャンパスライフを送ったのだった。

   ***

 私、小早川鈴音という人間は一枚のCDといくつかのバイトを生きがいに生きているといっても過言ではない。社会的立場は曖昧。勤労意欲はないがひきこもりではないという微妙な立ち位置。バイト以外の時間は一枚のゲームサントラを聴き続ける。もはやCDなど聞かなくても、脳内で全て正確に再現できるレベルなのだけれども。あくまで習慣だ、記憶を掘り返す以外に意味はない。
 そう、このCDは私と、私の親友であった汀(なぎさ)柊(ひいらぎ)をつなぐか細い糸なのだ。このCDを聞くという行為自体が彼女とのつながりを唯一象徴する。そんな彼女は今、病室で植物状態だ。彼女の病室には一度も足を運んだことがない。四年前、彼女を襲った不幸な事故の直後は悲しくて仕方がなく、病室に行けなかったのだと自分を納得させていた。でも、いつまでたっても私は彼女の病室へ行くことはできなかった。なんだろう、親友だった彼女への思い入れが彼女の時間の停滞とともにあの日に置いていかれてしまったみたいだ。私の青春は彼女との友情のなかにあったのだからそこで青春は、私の人生の一部は終わりを告げたのだ。そんな私は今まさに無気力状態にある。仕事には行きながらも、心は彼女と過ごした日々を彷徨い歩いている。四年、四年経っても私は前進することなく彷徨い続けている。
 そして今、私は街を彷徨っている。バイトからバイトへ移動中。どれだけ感傷に浸っていても現実というのは足踏み待機をしてくれない。感傷に浸る人間を無理やり引きずって前へ前へと進ませようとする。特に停滞している人間へのあたりはとても厳しいものだ。しかし私の場合、あまりにも抵抗を続けていたために心の一部が引きちぎれてしまったのかもしれない。
 さて、とりあえず仕事だ。帰る途中のサラリーマンらしきスーツ姿の人並みを縫うように進む。その灰色の人並みの中に、ひとつ。鮮やかな赤いコートが見えた。

***

 病室から出られるようになって三日目。一ヶ月前に植物状態から回復して検査等なんだのを適当に済ませた。あと三ヶ月は拘束されそうだったので無理やり、ほとんど脱走に近いようなかたちで出てきたわけだが。
 四年、四年もの間私は寒々しい病院のベッドから出られないでいた。それは人生経験では十八年、肉体的には二十二年しか生きていない私にとってあまりに長く、失うには惜しすぎる時間。その間に世界はどれほど変わってしまったのだろう。そして、私の感覚はどれほど鈍ってしまったのだろう。
 目を閉じた暗闇の中が私の住処だった。そして闇は病みに通ずる。こうして街を平然と歩く私はどこか狂っているのかもしれないと考えると、自分が恐ろしくてたまらない。でも、それでも。四年間光を失っていた私は外出せざるを得なかった。目に鮮やかな赤色のコートを来て、駅前のサラリーマンの間を流される。ふと、やる気のなさそうにふらりふらりと揺れるように歩く若い女性と目があった。四年間ずっと望み続けていた瞬間だと悟る。ああ、やっと……

 やっと会えたね、こば。

***

 僕は何気なく大学近くの駅前をぶらついていた。スーツ姿のおっさんらを見ていると、去年の十月に僕もしていた就職活動の記憶が蘇る。仲の良かった高校の友達と偶然再会したりと、それなりにお気楽だったのだが。まだ三年生だったしね、という油断が今後の僕を不幸のどん底に……いや、やめておこう。そういえば彼女はどうしているだろうか。何があったのかは全く知らない。もう連絡もつかないかもしれない。おもむろに携帯電話を開き、すっかり暗記してしまった(悩みに悩んでいるあいだにいつの間にか覚えてしまっていたのだ)彼女の番号を打ち込んでみる。だめだ、かけてみる勇気はない。小学生の頃の記憶に、あやふやな靄がかかっている部分から感じられるものに似ていた。いや、むしろこの記憶から感じられるものが無気力なのか……? わからない。ただ、当時の自分が何かを成し得なかったということはわかっている。ああ、ならそうなのかも……? うう、昔から思考を回すと必ずこんがらがる……。
 まあ、そんなわけで久しぶりに彼女を思い出した今日。僕は当時彼女を誘おうかなーとか色ボケた妄想を膨らましていた喫茶店のある駅前を、当時の思い出に浸りながらぶらつく。と、なにか記憶を刺激する横顔が見えた。そして目に鮮やかな赤いコートがそばに見える。なんとなくふらっと近づく。あ、不審者に間違われるかな……? のんきにも程があるだろ僕、と後に僕は思うのだった。

***

 赤いコート。目があった。嘘だ、いるはずない。だって絶望的な状況。ありえない。違う、人違いだ。ああ、こちらに向かってくる。誰が? 親友の彼女だ。耳にゲームの曲が流れる。ああ、掘り返されていくキズ。違う違う、彼女じゃない。だってトラックにはねられたじゃない。植物状態から回復? そんなのは小説の中だけだ。ここは現実。所詮現実。奇跡が起こらない、起こってはいけない現実。じゃあ彼女はフィクションの産物なの? 最初から? 嘘だ、そんなの……私の青春がフィクションだったわけがない。ゲームだって……そう、ふたりでゲームを作ったじゃない。そうか、彼女は現実なのか……運命のご都合主義さにはまったく呆れかえる。彼女は回復した。ああ、四年前に私の中身が巻き戻る。あの頃に置いていかれた心の欠片を拾い上げ、更に時間を巻き戻す。

――「あれ? その本私も持っているよ!! もしかしてパソコンの技術系に興味持っているの? あはっ、仲間が見つかった! いや~あの番組の朝の占いは凄いなあ、運命ってやつだね! そうそう、私の父さんがプログラマーなんだー。だからこっち方面に興味もってさー。あ、自己紹介がまだだったね、私は中学一年二組の汀 ひいらぎだよっ。汀はさんずいに一丁目の丁。ひいらぎは平仮名だよ。よろしくっ!!」

――「えと、一組の小早川 鈴音です」
「へ~え~、んじゃあこばっちゃんだね!」
「へ?」
「ん、だからこばやかわ、でこばっちゃん」
「こばっちゃんと呼ばれたのは初めてかな」
「じゃあ今までは? 」
「スズちゃんでした。クラスの子が決めてくれて……」
「んー、私的にはこばっちゃんのほうにビビッときたかな~。」
「ビビッと……」

――「お~、いいじゃあないですか~!ナギかぁ~!」
「気に入ってくれたようで何より」
「つーか、あれなわけです。私、もともとひいらぎっていうコードネーム? みたいな名前なわけですよ。『こちら楠(くすのき)、柊応答せよ!』みたいな?」

――「私の連絡先。自宅とケータイの番号とメアド。できれば近々連絡ちょーだい! じゃっ」

 ああ、ナギ。ナギが私の中に帰ってきた……今まで病室に閉じ込められていた、四年前に閉じ込められていた私の……わたしの……

「やっと会えたね、こば」

「……大学へ行ったらまたナギとCDショップへ行ってゲームを作って映画でも見に行ってそれからそれからぁあああああああああ」
ぽたり、ぼたぼたと夕立のように唐突に、とめどなく、涙が溢れ出す。がくりと地面に膝をつき、そして――

   ***

 やあ、やっぱり彼女じゃないか。どうしたんだろう、こんな時間にこんな街中で。というか大丈夫かあの足取り……? 今にも倒れそう、いやもう危ない――
「がはっ!?」
常に彼女に関して感じていた無力感が、空白の記憶を埋めるピースを引きずり出す。ああ、痛い。懐かしい声が響く。思い出すな思い出すな! お前が壊れてしまうといっただろう! やめるんだ、思い出そうとするなんて自滅するだけだ。とっとと忘れてしまえとそう言っただろう!
「そんなの……逃げじゃないか」
ああ、逃げろと言っている! とっとと過去から、やつから逃げてしまえ! 
 謎の声がガンガン響き、頭痛はますますひどくなる。でも、なにか大事なものを思い出せそうなんだ……もうすこしで……もう、少し――

「凛……そう、凛だ。僕は凛を愛していた。なのに彼女を狂気から救えず、見逃し、忘れていた……。情けない、情けない情けない……!」
思わず涙が出てくる。何年越しの後悔だろう。これだ、無力感の正体は。ああでも、今度はきっと。今度こそは――

――彼女を救わないと

   ***

 目の前には四年間、ついぞ病室に姿を現さなかった私の親友、こばがいる。なんだか面白い顔のまま硬直してる。どうしたの? 幽霊でも見たような顔して。しっかしまあ……よくそんなぼろっぼろの格好で駅前を歩けるね、と苦笑する。大学の友達に笑われちゃうよ?
 今、無事に四年生ですか? 彼氏とか、できた? ねえ、四年間何があったの? 全部、全部教えてよ。余すところなく、すべてを。この空白の四年間を埋めたいの、こばの記憶で。こばのいるところにきっと私がいただろうから。こばが喜んでいたとき、私もきっと喜んでいただろうから。子供みたいな感性だとは思うけど許してね。だって私の心はまだ十八歳なんだよ。大学生として生きていないというのは大きな心のハンデなんだ。ねえ、こば。私は、あなたとどんな生き方をしていたかな?
 ずっと、病室でもこばの声が聞こえるのを待っていたんだ。もしこばが泣いたりしたら申し訳ないと柄にもなく思ったりしたかもね。でも、こばは一度も来なかった。私に会うのが嫌だったの? 嫌いだった? それとも怖かったの? うん、怖がられても仕方がないかな。植物人間って響きがなんかやーな感じ。人間じゃないみたい。モンスターの種族名みたいなイメージがあるよ。あ、それは私のゲームのしすぎが原因かな? こばは今、何が好き? ねえ、

 私のこと、好きですか?

   ***
 
 目の前が霞んでいく。世界が遠のく。暗闇が徐々に世界を侵食していく。回復したナギの代わりに。ああ、ああおちていく……
 意識を手放しかけた私の肩を、誰かがぐっと力強く抱きかかえた。薄ぼんやりとした視界に目を凝らす。四年前、私が堕落したトリガーの顔があった。
「ええと……なんで、いるの?」
今の今までナギのことしか頭になかったはずの私は、すごくナチュラルに疑問を発していた。なぜ、いるのだと。生涯にわたり、おそらく唯一の親友をなくしたと思っていた私に声をかけてくれて、さらにまったくもってありがたいことに記憶をフラッシュバックさせてくれた人物。大槻(おおつき)、賢治(けんじ)。
「なんでって……助けに? きた。……のかなあ」
なんだ、しまらないな。そういって彼は情けなさそうに笑う。その笑みを見て世界は唐突に明るさを取り戻した。
「こば? 大丈夫?」
いつの間にか、傍らにはナギが立っていた。
「えーっと……この人は……? まさか彼氏とか」
「……いや、ないよそれは」
苦笑する大槻くん。ふたつの「なぜいるの?」という疑問に捕らえられ、腰の抜けたままの私の頭上で繰り広げられるどこか能天気な会話。
「おっと、大丈夫? とりあえず立とうか。立てる?」
「なんとか……」
ふらふらしながらも支えなく立つことができた。
「えーっと……ちょっと、まって……。なんでナギが?」
「んーとりあえず場所変えようよ。あの喫茶店なんてどう?」

   ***

 今、僕は奇しくも彼女を誘おうとしていた喫茶店で彼女といる。ただし、彼女の友達らしき「ナギ」と呼ばれる女性が一緒だ。
「で、おふたりはどのような関係で?」
とりあえず僕が二人に話を促す。おい、そこの女子校生たち。「え、なに修羅場?」みたいな顔して色めき立つな。
「んーと……こば、多分母さんも連絡をまだ入れてなかったのだろうけども私は一ヶ月前に植物状態から回復したの。で、無理やり脱走じみた方法で退院してきたというわけ。いままで、ごめんね」
どうしよう、僕すごく無関係なんだけど……。じとりと居心地の悪さに汗をかいていると彼女が口を開いた。
「ごめん、一度も病室行かなかった。大学も辞めちゃった。二度とナギと話ができないと思って死んじゃいそうだった。でも、死ねなかったよ。ナギのことが好きなのに、死ぬ覚悟すら持てなかったよ。ごめん、ごめんなさい……」
今にも彼女は泣きそうだったが、もう涙も枯れたようで肩を震わせるのみだった。その頬を撫で、肩を抱きたかったけれど、僕にその資格はない。まだ、ね。
「寂しかったよ、こばが来ない毎日は。でもこばには辛い思いをさせちゃった。私の不注意のせいで。そのヘッドフォン、私のだよね。持っててくれたんだね……」
そういえば彼女はあの日もヘッドフォンを首にかけていた。自分の場違いさに狼狽えながらも僕は無意識のうちに彼女の震える右手を掴む。途端、彼女の体から力が抜けた。
「ごめん、ごめんねえ……ひぐっ、うう……」
泣き出したのはナギさんの方だった。子供のように、嗚咽を隠すこともせず、顔をクシャクシャにして泣いている。僕の隣にいる彼女もまるで最後の一滴のような涙をこぼした。しかし、その顔は晴れやかで。一瞬見とれてしまうほど素敵な笑顔を浮かべて泣いていた。
「ねえ、ナギ。また……またゲーム作ろう!」
嗚咽混じりではあったけれど、鼻声ではあったけれど、彼女の声はようやく喜びの色を帯びて発せられた。僕は何の事情も知らないけれどそれが嬉しくて、嬉しくて。ぽたりとテーブルにひとしずくの涙が落ちた。
「あ、あれ? 僕が泣くことないのに……なんでだろう……はは、ごめん……」
驚くふたりに情けなく弁明めいたものをつぶやく。なんで、なんで僕は泣いている……? 彼女の笑顔に、言葉に、心を奪われた。そうだ、それしか考えられない。ああ、きっと僕はあの日、彼女に声をかけようと思った時から彼女に心を奪われていたんだ。

彼女に恋をしていたんだ。


***

 泣いたせいで目元が真っ赤になっている私たち三人は喫茶店を出て駅へ向かう。えーっと大槻くんとやらとは駅で別れてこばと二人で家路へつく。
「帰ったら何する?」
「昔作ったゲーム、もう一回やってみようよ」
「えーあんな陳腐なやつ? 懐かしいけどさー」
「いいじゃんかー。ほら、四年前を思い出そうと思って!」
「そうだねー、じゃあやろうか。うん、よしじゃあうちで晩御飯も食べていきなよ。本当に久しぶりにこばに会えてうちの親も喜んでくれるって!」
こばと何気ない日常の続きのように、取り留めのない会話をして歩くかつての通学路。四年の時を失った私に、こばは思い出を与えてくれている。
「ねえねえ、こばー」
「なんだね、ナギ」
「ええと……好き」
「何を今更」
くすりいうかにやりというか、その中間のような笑みを浮かべる私たち。きっとこれからまたふたりで喜んで、悲しんで、楽しみを分かち合うのだろう。それに、とっておきのネタもできた。
「ねえ、こばさんや」
「なんだね、ナギさんや」
「大槻君って、こば的にどうよ?」
「なっ……なにを言っているのかねナギ」
「アラ、そう。べつになんもないよ、うん」
にゅふふふふと意地悪く笑う私をこばは恨みがましい目で見てくる。こんな感じに幸せが続いていくのだろう。もう、時間の空白はなくなった。

天の川

2012年11月10日
天の川作

冬号〆切

2012年11月08日
さつきです。こんばんは。

11/6は、冬号の原稿〆切でした。テーマは「涙」「手紙」でしたが……提出状況が悪すぎる!……いや、私もギリギリまで粘ってギリギリセーフだったのでアレなのですが。

特に高1が少なかったとききました。先輩頑張って〜〜><



今回の原稿は、中3だけ恋愛縛りにしてみたので、みんなの原稿が楽しみです(笑)



これから編集・印刷・製本と忙しいですが、張り切っていきましょー!

ではでは、おやすみなさい。