TOTAL: 94858 - TODAY: 134 - YESTERDAY: 6
きょろキョロ恐路
妖怪腹黒



 誰しも朝は眠い。誰しも、だ。そうあって欲しい、というかそうじゃない奴は呪ってやる。そう心の中で呟きながら佑介は起き上がった。いつも何かしら忘れ物をしてしまう悪癖はこれに起因するとわかっていても、目覚ましを五回も延長してもうさすがにこれ以上寝ていたら遅刻してしまう時間までだらだらと寝てしまう。
 急いで服を着替える。私服校に通っているのだからファッション誌をくまなくチェックして常に流行りの服を着なければ、というほどではないが、ある程度ブランドを選んで上質な服を選んで来ていた。ある程度のブランドの物を買えばそう間違いは無い。佑介はそう思っていた。また常々心の底では、全く服装に気を遣わない同級生、例えばよれよれで趣味の悪い服や小学生でも着ないような幼稚なブランドの服を高校生になっても来ているような人間のことを見下していた。
 朝食はお気に入りのベーカリーのフランスパンをスライスして焼いたものを食べた。フランスパンなどの本格的なパンこそがベーカリーの力量の差が顕著に表れるからだ。自分が良質なものを食しているという満足を得て、朝食の席を立つ。出かけねばならない時間だった。玄関の前の姿見で服と髪型を整える。本人が多少残念でも色々と気を遣ったらそれなりになんとかなるものだ、と自分に言い聞かせる。自分の耳に甘いことを言うのだけは得意だ。
家から歩いて数分で駅に着く。祐介がいつも乗る電車は、その駅では空いているのでいつもの場所に座った。しばらく座っていると座席が込み合ってきた。二、三駅過ぎたあたりで、数人の小学生が佑介の目に留まった。
「席を替われよ、俺らが座りたいんだ」
「い、嫌だ。ぼ、ぼ、僕達が先に座っていたんだ」
 二組の小学生たちが会話している。座っている方は地味で大人しそうな子供達だが、座席を奪おうとしている小学生たちは明らかに垢ぬけていた。
「生意気なこと言ってるんじゃねえよ、お前らみたいな下の奴らが」
 派手な子供達の内の一人がそう言って迫ると、地味な方の子供達は下を向いて返す言葉が無い。
「調子に乗るなよ」
 とさらに続けると、ついに地味な方の子供達は立ち去った。
 スクールカースト、学校における階層社会、こういったものは別に学校に限らず集団生活の中では必ず生じるものであることは確かだが、小学校の低学年の内からそれにさらされている現場を見ると、いや正確には昔の佑介の立ち位置を思い出させるようなものを見て彼は、ひどく暗い気分になった。「すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった」谷崎という作家のこの言葉は常に真実であることは佑介も理解していた、しかし、小学校低学年から階級が厳然とあるのを見るとやはり寂しかった。
「うぃーす、おはよー」
 登校しているとあちこちから声がかかる。佑介は、ああ、俺は知り合いがたくさんいるんだな、と思うだけで安心できるし、またそう思えなければ不安になる。教室に入ったら周りをキョロキョロと見渡して友達の輪を把握してその友達たちの群れの間を飛び回る。広く浅く華麗に、が俺の人間関係のモットーだ、と佑介は自慢げに思った。自分でも友達は多い方だと思うし、そのなかでも良く遊びに行くとりわけ仲の良いグループもいる。俺はただの八方美人じゃない、というのが佑介の言い訳めいた自負心だった。
朝に見た風景のせいだろうか、休み時間に佑介は漢文の授業で取り上げられた本を図書館へ借りに行っていた。性悪説というものも彼にとっては自分に合っているように感じられた。
 それにしても、いつ来ても、図書館というのは息苦しい。そこに巣食うやつらも何かパッとしない。どいつもこいつも似たようなジメジメしたメガネ君ばっかりだ。ダサいうえによれよれの服、甲高い声、卑屈な態度。キーキー屁理屈を喚いていてもちょっと小突いたらすぐに泣いちゃうんだろうな、と佑介は常々馬鹿にしていた。このクラスの底辺め、お前と交わることなんか一生無い、とも。
さて。ところで、人間とは案外、他人の話を聞いているものである。クラスでひっそりと話されること、クラブでひっそりと話されること、当人たちは世界にその会話を共有している者は我らだけだなどと思っているが実は居合わせた大半が把握していたりする。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とあるが、見えている範囲にある物には自分の言は把握されていると考えてよい。
 祐介はその時、教室に残って宿題を解いていた。だがふと背後の話題が気になって意識を集中させると同級生の女子たちが喋っていた。
「私××って嫌いだわー」
「私も。あいつなんかきもいよね」
「あいつって凄く出しゃばりだよね、この前の体育もキモいくらいに張り切っちゃってさ」
「やたら大声出してうっとうしかったよね、しかも全然自分で動かないでこっちにばっかりボール回してくるし」
 おいおい欠席裁判にも程があるだろう、この前の体育なら男女合同だったから分かるが、もっと声出せだのパス出せだの叫んでいたのはこいつらだというのに。所詮こういった悪口大会は誇張歪曲捏造なんでもありの断罪ありきの魔女裁判だ。しかし佑介にはそう思っていても言わないだけの賢さはあったので、黙って宿題をこなしていた。彼は何となしに図書館で借りたあの本を読みたいと思った。
もうそろそろ宿題も終わって暇になったので教室を出て靴箱まで歩いていると、暗い中、見知った姿が見えた。
「あれ、どうしたんだ?」
 佑介は後輩が最終下校時刻過ぎにまでに学校に残っているのが珍しくて声を掛けた。
「今日は星の観測会があるので残っているのですよ」
「あれ、君は天文部だったっけ?」
「違いますよ、いや、私は天文部ですけど、今日のは学年の観測会です」
「ああ、学年のか。私達の学年は数回しかやっていないな」
「そうなんですか? 私達の学年は結構沢山観測会ありますよ?」
「ふーん、どうせうちの学年の時は男ばっかり集まって、君の学年の時は女子がいっぱい集まったからじゃないかな。あの腐れロリコン教師が」
「あははっ、あながち間違ってはないですね。でも腐っているのは彼だけじゃないですよ。競争を課せられることなく市場を独占しているのにもかかわらず利益を利用者に還元しない、学校指定のバス会社やクソ不味い食堂や購買がどうやって採用されているかっていったらそりゃやっぱりコレですよコレ」
 そう言いながら後輩は制服の袖の下を引っ張る。
「腐敗しきってるな」
「実は全部今のは私の妄想です」
「え?」
「つまり全く根拠なんて無いんですけど、ぶっちゃけあの独占っぷりと客数とぼったくりっぷりは一般の小売から見たらチートですよ。どっからどーみても薄汚い大人のアレがぐちょぐちょですよ本当にありがとうございました」
「そ、そうかい。まぁボロい商売してるなあとは思うけど」
「でしょでしょ。あ、すみませんもう行かなくちゃいけないんで」
「うん、わかった。ばいばい」
「さようならです!」
 早口でまくし立ててぴょこぴょこ走り去っていく。あの子と話せて気がまぎれた、と佑介は思った。先刻、担任と学年主任が話している内容が、夕暮の静かな校舎に反響して聞こえてきたのだ。彼らは佑介をこう評していた。「中身のない軽薄な人間」と。それなりに充実して、同級生とも教師とも仲良く出来ていると思っていただけに彼の心に突き刺さる言葉だった。
 次の日の放課後佑介は毎週のことだが焼肉屋にアルバイトに行った。図書館で借りた本はまだ読んでいなかった。
バイト先でも上手に立ち回って人間関係を築き、社会経験を着実に積んでいる、と佑介自身は思っていた。思い込んでいた。また、客の一部をいかにも底辺臭いと小馬鹿にしていた、彼自身もはした金の為にあくせくアルバイトしている人間であるというのに。
佑介がシフトに入ってから1時間ほど経った頃だろうか。ちょうど客の多い時間帯で、中々に忙しかった。外見に難はあるものの愛想の良さで接客の方を担当していた佑介は足に疲労を感じ始めていた頃だった。今日の賄いは何かな、などと頭の片隅で考えていた。また新しく客が入ってくるのをみて「いらっしゃいませー」と声を出した。クラスメイトだった。クラスメイトが来た。クラスメイトがクラスメイトがクラスメイトがクラスメイトが来た。佑介と数人を除いたクラスの皆が来ていた。つまりクラス会ということで、自分は「ハブられた」わけで、つまりいわゆる残念な奴で、つまり普段見下している奴らと同じで、いやそれ以下な訳で、あああああ。
佑介は呼吸が止まりそうだった。何故。自分は友達もそれなりにいるし、人気もあるし、ちゃんとしたポジションを確立していたはずなのに、どうして。彼は人生を丸々否定されたように感じた。これは一部の俺のことが嫌いな人間が強硬に主張した結果だ、きっとそうに違いないと言い聞かせないとまた倒れそうになる。それでも全く知らないふりをして、マニュアル通りの完璧な接客をする。当たり前だが向こうもこちらに気づいていて、空気が重くなっている。しかし、その後少ししたら、何かぎこちなくもそれなりに楽しそうにしている。
うすうすとは分かっていた。浅く交友範囲を広げたところで、結局は誰にも友達扱いなんてされていないって。まあまあなポジションを築いたつもりになっていても結局周りからの評価は低いのだと。格好いい服を着ているんじゃなくて服に着られているんだと、自分が普段見下しているような者よりも結局は劣った恥ずかしい存在なのだと。
その後のことは良く覚えていない。フラフラになりながら家にたどり着いて泣いたことくらいだ。その次に何か惹かれるものがあって本を手に取った。
そこにはこう書いてあった。
「人主之患在於信人,信人則制於人。
人臣之於其君,非有骨肉之親也、縛於勢而不得不事也。
 故為人臣者,窺覘其君心也無須臾之休,而人主怠傲處其上,此世所以有劫君弑主也。
 為人主而大信其子,則姦臣得乗於子以成其私,故李兌傅趙王而餓主父。
 為人主而大信其妻,則姦臣得乗於妻以成其私,故優施傅麗姫,殺申生而立奚斉。
 夫以妻之近与子之親而猶不可信,則其余無可信者矣。
 君主の災いは人を信じることで生じる
 人を信じれば人に出し抜かれる
家臣の君主に対する態度は
家族の情愛から来ているのではなくて
状況が従わざるを得ないようにさせているのである
家臣は絶え間なく君主の心を探ろうとしているのに、
君主がその上にいて安穏としている
これが世の中で君主が殺される理由である
君主が子を信用すれば、姦臣は子を利用して悪事を図る
君主が妻を信用すれば、姦臣は妻を利用して悪事を図る
夫が妻や子ですら信用できないならば、
もうほかに信じられる人などいないのである」
つまりこれは、王はだれも信じてはならないという人間不信宣言だ。
ああそうだ、と彼は思った。人は皆それぞれが絶対不可侵な領域を総べる王なのだ。人は並んで立つことはできても、隣にいることはできても、最終的には一人なのだ。所詮人なんて、人と人のつながりなにて、この世においては諸業無常の理に従いて流転して滅するものなのだ。その通りだ。この世の関係なんてほとんどが利害に応じて役割を演じているだけの茶番なんだよ。
――まぁ、負け惜しみなんだけどね、と佑介は一人呟いた。佑介は一人そのつもりになっているけど客観的にみると、気持ちの悪い男がねちょねちょと口を動かしながら不明瞭な鳴き声を発しているだけであった。人は誰しも己の恥ずかしい姿を見据えられなくて、思考停止して頭の中で言い訳めいた幻想を作る。己の行為を脚色し仮面を被せ心地良いものにして誤魔化す。喩えるなら仮想OSとでもいえるだろうか。結局彼はそういった悪い癖からは決別できていないのだ。
彼はその後、人間よりも獣を好むようになって、猫カフェなどに入り浸るようになる。もう人間なんか嫌、だそうだ。
...
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ホ ン ト の キ モ チ(girl side)
壱潟満幸 

 
 前半

 部屋のドアが閉まった音で私は目を覚ました。目覚ましを確認すると、現在七時三十分。今日は大学の講義が午後からなのでまだまだ余裕がある時間帯だ。今さっき、出て行ったのは同居人の少年、多田(ただ)剣壱(けんいち)だ。この前、彼の母親が亡くなり、一人暮らしになってしまったので、昔からの縁もあって一緒に住むことになった。それに彼には少し、問題があるからだ。高校生の少年と大学生の私が同居するのはいささかどうかと思うが、お互いフォローしあう所があるので、今の所は不問である。
 もう一眠りしようかと思ったが、この勢いだと講義に寝坊で遅れてしまうと思い、体に鞭を打って布団から這い出る。
 現在一月下旬、冬の寒さが一番厳しくなる時期だ。Yシャツにパンツというかなり、エロい格好でその上薄手なので寒い。さっさと着替えをしまおうと思い、衣服をしまってある箪笥に向かう。
 しかし、向かう途中で昨日洗って洗濯機の中で乾燥させてあったのに気付き、洗濯機のある洗面所に向かう。ドラム型の洗濯機の蓋を開け、中身を籠の中に放り込んでいく。後で畳んでおかないと、と思いながら、ブラを探していく。そして、タイツ、長袖のシャツと次々と取り出してカーテンで仕切られたリビングスペースに戻る。
 着替えを済ませて、キッチンに行くとテーブルの上にハムエッグとサラダがラップを掛けられて置かれていた。その隣には剣壱が書いた置手紙があり、味噌汁があると書いてある。味噌汁を注ぎにコンロの方に行く。小さい鍋の中には、アサリの味噌汁が入っていた。私の中でかなり好きな具だ。コンロに火をつけてお玉で混ぜ、食器棚からお椀を取り出して温まった味噌汁を注ぎ込む。美味しそうな匂いと白い湯気が立ち上る。そして、炊飯器の中から今朝に炊き上げられた白飯を茶碗に少なめに盛る。テーブルに付き、箸を取って「頂きます」と言い、静かに食事を始めた。一言言うと、おいしかった。私でも作れるような簡単なメニューなのに、何だか自分が作ったものとは違う美味しさがあった。
 食事が終わり、洗濯機から取り出しておいた洗濯物を畳み始める。剣壱も私も特に気にしていないので洗濯機を回すのは同じタイミングだ。つまり、彼の下着も畳まないといけないのだが、恥ずかしさなどなかった。別にいやらしいことをするわけでもないのだし。
 洗濯物を畳み終わり時計を見ると、九時前。小さな薄型液晶テレビを付け、朝のバラエティ番組を見る。食材の特集や健康法など様々な情報があった。しかし、それは私より上の年齢が気にするような事ばかりだったので、特に気にも留めなかった。
 十時過ぎ、友人から電話がかかってきた。
「もしもし、明海(あけみ)?」
「ヤッホー、夕実(ゆみ)。今、暇? いや、暇だよね?」
「うん」
 何だか嫌な予感がした。
 黒真(くろま)明海、大学で知り合った友人で同じサークルに所属している。
サークルの活動は主に小説や随筆、評論文の吟味。執筆を活動内容としている。いわゆる文芸活動だ。
明海は小説などの舞台を観光したりするのが好きで、よく誘われる。
「じゃあさ、これから寺町京極商店街に行こうよ!」
 恐らく、声のトーン的に電話の向こうでは彼女が目をキラキラと輝かせていることだろう。
「そこって、『檸檬』の舞台の一つだっけ?」
「そうそう」
「……今日は無理かな? 昼から講義があるし」
「え~そんなのサボっちゃいなよ! どうせ、あの面白くも無い爺教授の講義でしょ。聞いても意味ないって」
「でも、出席日数稼いでおかないと、後で単位に響くもん」
「ぶ~、ちぇ、折角後で辻利のパフェ奢ってあげようと思ったのに」
「……それ、完全にサボりルートじゃん」
「そういやそうね。サークルに間に合わないな」
「なら、無理ね。じゃ、サークルで」
「うい~」
 通話を終了し、テレビに視線を戻そうかと思ったが、次の同人誌に載せる短編が出来上がっていなかったので、テレビを消してノートパソコンを持ってくる。
 今書いているのは、いじめを受けていて、ついには自殺未遂をしてしまった少女が転校することを主人公である少年が知って、その彼女を追う話だ。まあ、これはとあるアニメのエンディングを聞いて思いついたものなので大体のプロットは出来ているのだが、細かいところが中々思いつかないので筆が進まない。打ち込んでは消し、打ち込んでは消す作業を繰り返している。三十分もすると集中力が切れてしまい、カーペットを敷いた床に転がる。お気に入りの可愛い猫の形をしたクッションを抱いてごろごろする。ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……
 甘いものが欲しくなり、キッチンに行って戸棚からココアを取り出す。粉をカップの中にタップリいれて、牛乳を注ぎ込んでレンジで温める。スプーンを咥えて待つこと一分弱。チーンという昔ながらの音で温めが完了。扉を開けて、カップを取り出すとある程度混ざった状態のココアが湯気を上げる。咥えていたスプーンでカップの底に溜まったあるであろう粉をかき混ぜる。そして、混ざり終わったらチビチビと甘いココアを口に含んでは飲み込んでいく。甘いものがある程度好きじゃない人だと吐きそうになるほど甘い。始めは甘すぎると思ったが、今はこれが丁度良い。甘党万歳☆
 ココアを飲み終わり、水を入れてシンクに置き、周りにおいてある朝食の食器を洗い始める。洗剤をつけて、油汚れなどを落としていく。泡立ったスポンジは油をどんどん分解して汚れを落としていく。すべての食器を泡塗れにし、お湯で濯いでいく。給湯器が使えるので赤切れなどには困らないが、手が荒れてしまうので、後でハンドクリームを塗っておこう。
 食器を洗い終わると、十一時。そろそろ大学に行く準備をしなければならない。
 ノートパソコンの電源を切って、コンセントを抜く。洗面所に行って、いつも通りにメイクを済ます。髪を巻かずにヘアゴムでまとめ、メイクで失敗していないかを鏡で確かめる。問題なし。
 ハンガーにかけてあるコートを着て、鞄にノートパソコンを入れ、教科書、ノートを確認する。こちらも問題なし。
 玄関に向かい、ブーツを履く。そして「いってきます」と誰もいない部屋に向かって言い、大学に向けて私は家を出た。

 大学の講義は明海が言ったとおりつまらないもので、結局ノートには思いついた小説のアイデアを書いていた。講義で言われたところはチェックを入れてあるため、見落としているところは無いはず。
 現在、二時三十分。二つの講義を終えて、かなり遅めの昼食を中庭のベンチで取っていると、誰かに声をかけられた。
「よお、麻井(あさい)。今頃昼飯か?」
 後ろを振り返ると、ジーパンにシャツ、紺のカーディガンという格好の眼鏡男がそこにいた。
「あ、真治(しんじ)さん」
 彼は礒部(いそべ)真治、私が所属しているサークルの部長である。彼は作家としても名を世間に知らしめている実力者でもある。しかし、文芸以外は全然だめで、ファッションや食、その他諸々にまるで関心が無い。天才にはやっぱり何か一つは欠陥があるものだなと勝手に分析している。
「今日は、コンビニか。彼氏が作った弁当じゃないんだな」
「彼氏じゃないです。剣壱は私の同居人で幼馴染です。特にそのような感情は持ってません。第一、彼はまだ高校生で子供ですよ?」
 からかわれているのに少々、苛立ちながら真治さんに反論する。
「今の言葉聞いたら、剣壱くん、傷つくだろうな」
 真治さんはにやりとしてベンチで空いている私の隣に座った。
「え、どうしてですか?」
「高校生で思春期の若人に子供扱いをするのは失礼だからな。君だってそうだったろ?」
「いえ、私は身の丈を知っていたので、そのようなことはなかったです。親に暴言を吐いたらどやされましたし」
「…………あ、そう? まあ、結構今はデリケートな時期だから彼の前ではそのような事言っちゃダメだよ?」
「は、はぁ」
 私は何故か真治さんに諭されてしまった。何故か最近、真治さんは剣壱の事を良く知っているような口調で話す。何故だ?
「あ、そうそう。原稿あがった?」
「まだです。締め切り、あと二日延ばしてくれませんか?」
「僕は別にいいけど、未来(みらい)がねぇ。あの子、締め切り五月蝿いから。あ、僕は昨日で仕上げたよ」
「何ページほど?」
「七八ページ」
「作家の名は伊達じゃないですね。その脳ちょっと解剖したくなります」
 私は冗談めいた事を言って笑う。あぁ、羨ましい。
「それは困るな。解剖されたら死んでしまうよ。ハハ」
 真治さんも笑い、そのままサークル活動時間まで話し続けた。原稿を書けよと思うがまあ、不問でよろしく。
 最近始まった、小説のドラマのヒロインがどうやら、東野圭吾のミステリーの人気である理由は何だ、好きな作家は何だ、嫌いな文章はどんなものかなど。
「あ、そろそろ時間だな。行こうか」
「はい、お話、面白かった上に為になりました」
 私は真治さんにつられて立ち上がって彼に笑って御礼を言う。現役作家の言葉はとても貴重なものだった。
「うん、僕も楽しかったよ。また、暇が会ったら話そう」
 そういって、真治さんは私の頭に手を置いて撫でた。
「ちょ、やめてください」
「あはは、赤くなってる」
 手を払いのけ、一歩さがる。真治さんは気に入った子の頭を撫でる時があるので気をつけなければならないのに。油断した。顔が赤くなるのを感じる。
「……ほら、さっさと行きましょ。遅れたら未来さんに怒られますよ」
 日が傾く直前の青い空の下、私は歩き始めた。少し、拗ねたような顔をしながら。


 サークルで未来さんに締め切りより遅く出すことを言って、そのまま説教され、執筆をし、駄弁ってサークル活動が終わった。
「んじゃ、お疲れ。原稿、早く仕上げろよ」
「はい、分かりました」
 サークルに支給されている部屋を出て、私は帰路に着いた。
 すると、ケータイが鳴った。
 サブディスプレイに表示されたのは、剣壱の名前だった。
「もしもし」
「あ、ゆう姉。今、スーパーにいるんだけど、晩に食べたいものある?」
「別に、何でも良いけど、暖かいものが良い。寒いし」
「わかった。そういや、今日はほうれん草が安いし、……よしシチューにするよ。サラダとかいる?」
「いらない。白飯あれば十分」
「はーい。他に要る物ある? あったら買うけど?」
「無い。ナッシングよ~」
「了解、じゃ、買い物して帰るわ」
 そう言うと、剣壱は電話を切った。シチューか久しぶりに食べるな。
 今から楽しみにしながら、私は家に足を向けた。
 空では日は沈み、わずかに残ったオレンジ色と夜色が混ざっている。カラスが増え、辺りでカーカーと泣きながら高い空を飛ぶ。町に明りが灯る。街路樹を冷たい風が撫で、私の息を白くする。手袋をしていないため、手は冷たくなる。口元に持っていって息をはぁっと吐いて温める。少し手が温まると、コートのポケットに手を入れて私は足を速めた。


 家に付いた頃には既に空は闇に包まれて、見える数個の星と月が輝いていた。家の明りが点いているので今、剣壱がキッチンで料理を作っているのだろう。早く、中に入ろうと思い、鞄の中から鍵を取り出す。かじかんだ手で鍵を開けようとすると、手が震えた。手は氷のように冷たくなっていた。鍵穴に鍵を指して回すと開錠されたと分かる。取っ手を回し、暖かい我が家の中に入った。
「お帰り、ゆう姉」
 玄関でブーツを脱いでいると、キッチンから剣壱が顔を出した。
「もう少しで出来るから、手を洗って着替えておいでよ」
「あんたは、母親か」
 剣壱は母親みたいなことを言う。私はそれを苦笑しながら返す。いつもの楽しい時間だ。私はそう思いながら、言われたままに従い、洗面所に向かって手を洗う。お湯が出るまでしばらく時間がかかるので、手を入れたり、引いたりする。待っていると、暖かいお湯が出てくる。手をぬらして、ハンドソープを付け、手と手をこすり合わせてあわ立てる。そして、指と指を絡めて手に広げていく。ある程度あわ立つと蛇口からお湯を出して泡を落とす。綺麗になった手からはほのかにハンドソープの匂いが残っていた。
 手を洗い終えて、リビングスペースに行ってカーテンを閉めようとする。
「見ないでよ」
 私は恥ずかしそうに少々上目遣いでシチューを掻き回している剣壱に言う。
「別に言わなくたって見ないよ。ていうか、そう言われると逆に気になるよ」
 剣壱はカーテンを持ってブラブラしている私を少々戸惑いながら見ていた。初々しくて可愛いと思った。私はイタズラっぽく笑い、「別に見たって何にも無いよ~」とさらに茶化してカーテンを閉めた。楽しい。コート、シャツ、スリムパンツと順番に脱いでいって、下着と靴下だけの姿になる。そして、運動していないか細い腕、大きいとはとても言えない小さい胸、白いお腹、細い太股、膝小僧、細い足と視線を動かしていく。色気のかけらも無い病人みたいな体だと思った。基本小食で運動をしないのが関係していると思う。もう少し、太らないと色々発達しないよなぁ。そう思うと、何だか悲しくなってきたので直ぐに部屋着を着る。どうやったら、成長するんだろ? まあ、ステータスとは言われるけど……(泣)あ、けど、私、成長期過ぎてる!ってあれ? まだ大丈夫なんだっけ? ?

 カーテンを開けて、視線を前に向けるとテーブルの上に深皿に注がれた薄緑色のシチューが湯気を上げていた。甘い匂いが鼻をくすぐる。
「あ、出てきた。ねぇ、ごはんどれくらいがいい?」
「少な目で」
 私は即答してテーブルの席につく。そして、剣壱の後姿を見てニコニコする。ホント、幸せだ。

「あぁ、もう原稿が進まないよぅ~」
 私はテーブルの上に突っ伏して嘆いた。右手にはいつも通り、カップ酒が握られている。これで五本目。あまり酒に強い体質はしてないが、酒は大好きだ。その所為でいつも飲みすぎて酔い潰れてしまう。もう、意識がぼぅっとしている。そろそろ、止めないとな。
「大丈夫だよ、ゆう姉。何だかんだで、いつも原稿出してるじゃん。今回もいけるって」
 向かいの席で煎茶を飲みながら、剣壱が励ます。こちらは未成年なので酒を推すことは出来ない。しかし、私の晩酌には付き合ってくれる。何と優しい弟分だ。私は内心でカンド―しながら、カップに残っている酒を飲み干した。喉にアルコールによる熱い刺激が来て、くぅっと唸った。おっさんみたいだなと自分でも思う。そういえば、高校のとき伯母に若年寄だと言われたことがある。別に気にはしなかったが今、こうして実感すると悲しくなる。
「今日はこれで打ち止めにしよう。もう酔いつぶれかけてるじゃないか」
 剣壱が私のほうを心配そうな顔で見た。多分、今私は目がトロンとしていて、顔が真っ赤なのだろう。
「うん、そうする。剣壱、お茶頂戴」
 私は素直に頷いた。ぼぅとする頭で何かを考えるのは面倒くさい。もう、彼の言うことに従おうと思った。しばらくして目の前に暖かい煎茶が湯飲みに入れられ、コトリという音を立てて現れた。
「ん、ありがと。剣壱」
 湯飲みを手にとって口元に持っていき、口の中に熱い緑色の液体を口に流しこん―――
「あっっつ!!」
 自分が猫舌だったことを忘れて熱々のお茶を流し込んでしまい、思わず吐き出した。テーブルに吐いたお茶をぶちまけ、おまけに服を濡らしてしまった。
「ったく、酔うからこんなことになるんだよ。台拭き取ってこないと」
 剣壱は持っていた湯飲みを置いて、呆れながら席を立ちあがる。そして、キッチンの方に向かう。
「ううぅ、酷い~。心配してくれたっていいじゃない。剣壱のバカ~。あぁ、酔いが醒めちゃった~」
「それは良いことだ。早く風呂入って、原稿書けっていう神様の御意志だよ。きっと」
 剣壱は戻ってきて台拭きで机の上のお茶をふき取る。そして、私の頭をポンと叩き、笑いながらキッチンに消えていった。
「ぶぅ。もう、私の方が年上なのに世話されてる気分」
 私は湯飲みに残ったお茶に息を吹きかけて冷まし、飲み込んだ。少しだけまだ熱い。舌がひりひりした。

 風呂上り、部屋着を着てバスタオルを首に掛けた状態で冷蔵庫に向かう。お目当ては勿論、冷蔵庫の中でひんやりと冷えたビール。晩酌を済ませた後にさらに酒。酒万歳。冷蔵庫を開け、棚からビールを一本取り出す。そして、プルタブをあけて喉に流し込む。火照った体が冷えていく。とても気持ちが良かった。
 リビングのカーペットの上に胡坐をかいて座り、テレビをつける。丁度、ゴールデン後のニュース番組が終わった後でこれからバラエティが始まるところだった。濡れたままの髪にドライヤーを掛けないといけないが、タイミングが悪いので後にすることにした。バラエティでは各地の問題がどうやらなんやらと二人の芸能人が喋りあっていた。現在は番組に対するクレームをしている。出演者がこんなこと言って良いのかよと思う内容もぼやいていた。
しばらくして、髪を乾かし、リビングに戻るとパソコンを開き、適当に思いついてくる話の内容をワードで打ち込んでいく。打ち込むスピードはそれ程ではないが、着実と進んでいく。現在、主人公が駅に着いて彼女を探すシーン。電車が来る直前の焦った主人公を描いていく。
カタカタカタカタ

「原稿、終わりそう?」
 途中で行き詰まり、手が止まっているのを見た剣壱が横から聞いてきた。彼は今、宿題を終わらせたところの様だ。さっきまで開いていたノートと教科書が今は閉じられている。
「どうだろ、徹夜すれば楽勝かな。明日、しんどいけど」
「徹夜はやめときなよ。明日のバイト、夜勤なんでしょ」
「あ、そうだった。くそう、また未来さんに怒られる~」
 明日のコンビでのバイトは夜から朝までなので今日は寝ないとバイト中に意識が吹っ飛んでしまう。立ててあるプロットを確認すると原稿完成はあと十ページ程先。順調に行けばあと二時間で終わるが、今は行き詰まっている。どう考えても朝に完成となってしまう。
「むぅぅ、どうしよう! これだから、恋愛縛りとかしたくなかったのよ!」
「ゆう姉、グロくて残酷な話の方が得意だもんね」
「あぁ、もう、今回休もっかなぁ! 未来さんには悪いけど」
「けど、ここまで書いてるのにそれは勿体無くない?」
 剣壱は私の原稿を覗き込んで言った。
 現在、書いてるのは三十五ページ目。構成的には四十ページ程度の作品だ。もう、ラストまで来ているのに捨てるのは確かに勿体無いことだ。
「もう、書くしかないか。二日くらい寝なくても大丈夫だよ。移動時間でも寝れるし」
「……無理はしちゃだめだよ」
 剣壱の顔が一瞬で曇った。彼は母親が無理をして働き、倒れたという過去があるため、他人が無理をするところを見るのがトラウマとなっている。これが彼の問題点だ。今までは無理をするところを見せないように気をつけていたけど、今回は自分がサボったツケなので仕方が無い。
「大丈夫だって、一日二日で私は倒れたりしないよ。意外と丈夫だからさ私」
 何気なく、私は剣壱を抱き寄せる。小さい頃からやっている行為。剣壱が落ち込んでいたり、泣いていたりするときにいつもしている。思春期を経て、少し恥ずかしいとは思うようにはなったが、これは彼のためにやめることはできない。いや、許されない。昔、誓ったんだから、剣壱は私が、ボクが守るんだって。絶対、傷付けさせないって。
「うん、ごめんね。忙しいのに」
 しばらくすると剣壱が顔を上げ、体を離す。少し曇りは取れたが、まだ不安の色は完全に取れてはいなかった。けど、これくらいなら彼自身で処理しきれるのでもう抱き寄せることはしないで、距離をとった。
「もう、剣壱は寝る?」
「うん、明日も朝練あるから」
 剣壱は剣道部に所属している。小さい頃から続けていて、実力もそれなり。府内大会では準決勝まで行く事がある。保護者目線全壊で応援した事を今でも覚えている。私も昔剣道をやっていた事があるが、物語の面白さに没頭してからはしなくなった。今やったら、竹刀をちゃんと振る事ができるかさえ怪しい。
 時計を見ると、十二時半。そろそろ寝ないといけないのは確かだ。
「ん。わかった。お休み、剣壱」
「お休み、ゆう姉」
 剣壱は立ち上がって床に畳んで置いてある布団を敷き、シーツの皺を伸ばす、そして掛け布団を敷く。
「電気、つけっぱなしでおk?」
「問題ないよ」
 剣壱はリビングを区切るカーテンを閉めてから布団にもぐりこんだ。すると、数分もしないうちに彼は眠りについた。
「よし、頑張りますか。寝れるように」
 私はパソコンに向かいなおして、原稿を打ち込んでいく。
 さて、そろそろラストだ。いつものようにオチで失敗しないようにしなくては。

 結局、原稿が完成したのは午前五時三十分。空が明るくなり、新聞の配達が終わって剣壱が起き上がる頃だった。



 原稿を提出すると、未来さんは予想以上に喜んでくれた。
「いやぁ、今回のはいいよ。オチもしっかりしてるし、夕実らしいグロさもないね。それに、今回、三作しかなくて困ってたのよ。これで堂々と配布できるわ」
 下がった眼鏡を直して、彼女は笑った。苦労はしたが、これだけ褒められると嬉しい。これからも良い作品を作ろうという気になってくる。とは言うものの寝不足の所為で出来たクマが取れないが。
「それでは、バイトがあるので失礼します」
 私は部室を後にした。編集作業が長引いたため、いつの間にか午後の八時を越えていた。晩御飯を食べ損ねた。どっか近くの店で買って食べよ。

 バイト先であるコンビは、住んでいるマンション(立派ではない)と最寄り駅の中間地点にある。近くにあまりよろしくない高校があるため、よく店の前にたまられる。マニュアル上、退けなければならないが、非力な私には出来ないのでいつも放置気味で、よく店長に怒られる。まあ、百パーセント許してくれるのだが。
「お疲れ様です」
 昼番の店員に交代を告げ、レジに着いた。客の姿は雑誌コーナーにはあるが、この人たちは大抵、サンデーやマガジンの立ち読みに来ている人なのでレジには来ない。数人はお菓子や飲み物を買って帰るが。
 一応、家を出るギリギリまで寝て、睡眠時間三時間を確保したが、夜勤では足りない。仕方なく嫌いな栄養ドリンクに頼ってみたものの、改善したかというと、なんとも言えず。あくびをしないように唇を舐め、まっすぐ立ちなおした。
「会計、お願いします」
 男の人が会計しにレジまでやってきた。仕事だ! ガンバロ!

 品を棚に下ろし、レジ前のフライ物を補充。レジを打ち、清掃をして休憩し、また同じ仕事を繰り返した。
 気付けば、深夜の三時になっていた。仕事が終わるまであと三時間。眠気はもうマックス。疲れもマックス。いつもならもう少し余裕があるが今は無い。授業の関係で昼間に寝れないので夜にきちんと睡眠をとる必要があったが、原稿の為にそれを捨てた。まあ、自業自得なので仕方が無い。
 客もいないので暇。瞼が立っている状態でも閉まろうとする。あぁ、眠い。

 午前六時、交代をする事ができ、やっと帰宅。今日は授業がないので思いっきり寝てやると心に誓った。ロッカーから私服を取り出して着替える。今日一日で一気に年を取った気分になる。酒飲みたい。
「おつ、かれさまでした~」
 半徹夜はつらい。もう、やめよう。心にそう決めた。

 コンビニを出て、帰路に着く。横断歩道を渡り、向い側の歩道に移動する。頭がぼぅとしていて何かを考えることもできず体を動かして家に帰る。家に帰れば布団にダイブして寝れるというのに、そこに至るまでの行動をしたくないと思う自分がいる。足元を見ていると、かなり千鳥歩きに近い歩き方をしている事がわかる。酔っ払いみたいだ。
横の車道には殆ど車は走っていない。通ったとしても商品の搬入を終えたトラックが数台、ちらほらと見える程度だ。昨晩のうちに出してあったであろうゴミ袋はカラスに食い破られ、生ゴミが露出している。普通の情景だった。
 ふらりふらりと、危なげに歩き続けるとマンションの近くの公園の前まで帰ってきた。ケータイで時間を見ると、六時四十分。もう、剣壱が起きて朝食を作っている頃だと思われる。我が家までの道は近い。あと、横断歩道を渡ってしまえば、すぐだ。
 信号が青になったので横断歩道を渡る。家に着く安堵感の所為か疲れがどっと出てくる。あとちょっとが大変だ。
「危ない!」
 突然、後ろから男の人が叫んだ。どうやら、ジョギングをしていたらしく彼はジャージを着ている。しかし、危ないとはどういうことだろう。
「へっ!?」
 渡っている横断歩道の右側を見ると、トラックが私に向かって走ってくる。勿論、信号はこちらが青。向こうは赤だ。しかし、トラックはスピードを緩める気配はない。運転席を見ると、運転手は眠っていた。居眠り運転だ。すぐに走って逃げようとしたが、驚きすぎて腰が抜けてしまいその場にへたり込んでしまう。体は丈夫でも、精神的には丈夫ではないという自分の欠点を呪った。
「ひっ!」
 目を瞑り、無駄だと思いながら体の前で腕をクロスさせる。すると、すぐに衝撃は私の体に襲ってきた。
 ゴッ!!!!
 トラックと自分の体の接触面からミシッという骨にひびが入る音を聞く。その直後には、体が軋み骨が砕けたのを感じた。体はトラックの下の隙間に引き込まれていき、投げ出された腕はトラックのタイヤに轢かれて砕け、千切れる。アスファルトと車体に擦られ、服は破け、皮膚は裂け、内臓を抉られる。頭はつぶれ、目は見えなくなる。痛みなど感じない。すべて、一瞬のことだったから。


「は! ん、はぁ、はぁ、はぁ……」
 私は布団から跳ね起きた。
 全身寝汗に濡れていた。とんでもない量だ。五体満足である事がわかっていても震えている体は言うことを聞かない。自分の体を抱き締める。
「はぁ、はぁ、はぁ……ん、はぁ」
 時間が経つと、次第に震えは止まり、きつく締め付けていた腕を離す。しかし、夢の中に出てきた恐怖は私の心を蝕んだ。心を癒して欲しくて、誰かを求めたくなる。だが、部屋には誰もいない。誰かに電話を掛けても解決できないだろう。誰かの温もり、匂い、感触を感じたくなる。
 すると、私は気が狂ったのか……

 気が付くと、もう午後四時を過ぎていた。そろそろスーパーで食品を買って、晩御飯の準備をしなくてはならない。しかし、それが叶わない状況である。何をしているんだと自分の頬を殴った。奥歯を噛み、自分の情けなさに怒る。たかが、夢相手に何怯えてんだか。
「……シャワー、浴びてこよ」
 自分の箪笥から着替えを取り出し、風呂場に向かった。バスタオルは風呂場にあるだろう。この、キモチワルイ感覚を洗い流したい。このことは忘れよう。そして、ばれないようにしよう。ばれたら、どうなってしまうかわからない。怖い。夢での恐怖は払拭されたが、違う恐怖が心の中に芽生えた。急がなくちゃ、すぐに、元の私に戻らなくちゃ。そう思う。これでは、壊れてしまう。大切にしていたものが。この、目覚めてしまった感情は封じ込めなくちゃ……









  中書き
 どうも、壱潟満幸です。
 今回はとあるギャルゲーを元に作ったものです。まあ、アレンジが強すぎて何かわかりませんが。分かったら超能力者です。読心能力者(サイコメトラー)です。
 テーマの「覚醒」をやっと入れる事ができました。主人公のとある気持ちが目覚めるということで。しかし、目覚めに至っていく過程の描写は自粛。まあ、思春期を迎えてそれなりの方は何があったかわかるのではないでしょうか。わからない人は探ることをオススメしません。そのまま、読み進めてください。読むのをやめるのは無しですよ? お願いします。いや、マジで。
 さて、ここから先はこの作品のラストです。
 最後、主人公の気持ちは明かされのでしょうか?
 それとも?












 後編


 一度気づいてしまった気持ちというのはどうしようもなく厄介なもので、それは私を追い込んでいった。
簡単に開けられた箱が簡単に閉められるという確証はない。私は、「パンドラの箱」を開けてしまったのだろうか……

 数日経っても、忘れることができないため、まともに剣壱と顔を合わせることができない。それは恥ずかしいという気持ちによるものでもあり、悔いる気持ちによるものでもある。何かをしていないと、またアノような行動をとってしまうのではないかと、不安でしょうがない。また、酒も最近止めている。酔うと、なんでも吐いてしまうという酒癖に自分で気づいているからだ。要注意人物「私」、笑えない。誰かに相談しようと思ったが、相談できるような内容でない。自分でも、今まで気づかなかったのもおかしな話だと思うが、何よりこんな時期にこの気持ちが出てくるのが腹立たしい。人間として最低だと思う。自分の行動がそれに結び付かせるためのものだったと考えるとなお、腹立たしい。故意にやった訳ではないが。
 とにかく、この気持ちは封印すべきだと思う。何度も言うが。喩え、この気持が彼に受け止められたとしてもそれは、本当の気持ちではないだろう。だから、すべてが解決するまでは―――

 隠し通さなければならない。彼の為にも。



 休日になり、私は熱を出した。インフルエンザではないものの、三十八度を超える高熱だ。兆候は昨日からあったが、気にせずにそのまま大学に行って帰ってきた。そして、翌日朝起きたら体を動かすことができず、熱が出てしまったと分かった。そのためずっと布団の中で横になっている。まあ、特にそこは問題はないのだ。
 問題は、部屋の中にいるのが私と剣壱の二人のみということである。
 思考回路がどうしても剣壱のことになってしまう。することがない、というより、何もできないという状況が憎たらしい。
「うがぁぁ……」
 叫ぼうとしてものどが痛くて声が出ない。寝巻きのまま布団の中で丸まっておくしかない。だるい。
 昨日の八時から寝ていたので十二時間以上経った今、私の中に眠気など存在しなかった。
「ねぇ、ゆう姉、朝ごはん食えるぅ?」
 カーテンを開けて、剣壱が朝食を食えるかどうかを聞いてきた。
「ぅぅ、多分食べれるけど、そんなに量はいらない」
 食欲がない。けど、食べないと。何か、言ってることと考えてることが食い違っているような。まあ、いいや、めんどくさい。
「分かった。何食う?」
「何でもいい、のどに問題なければ」
 出していた顔を布団の中に引っ込めた。傍から見たら朝に弱い人か、ニートか、はたまた……

 あ、思考が途切れた。

「ゆう姉、雑炊できたって、あれ? 寝ちゃった?」


 目を覚ますと、そこには誰もいなかった。時計の針の音が部屋の中で響いている。体のだるさはなく、すぐに起き上がることができた。額に手を当てるが、熱いという感覚はなかった。
 剣壱は何処にいるのだろう。何故か、そんな事が頭の中に浮かんだ。普通かもしれないが、この思考が自分のどの感情から上がってくるのかが自分で分かったので嫌悪する。
 外に行こう。
 ただ、その考えで私の頭はいっぱいになった。
 私は寝巻き(ジャージの上と下着のみ)のままふらりと玄関のドアを開けた。靴もはかないで私は外に歩みを進める。ただ、前に足が進む。
 しばらく、歩き続けると緑の葉を茂らせた公園にたどり着いた。
 こんなところに公園なんてなかったはずだが。
 呆然として、足を進める。
 が、そこには足場はなく私は転がった。
「きゃぁぁぁぁ!」
 階段があったのだ。私は気付かずに踏み外したのだ。
 咄嗟に直ぐ隣にあった手摺を掴もうとすると、手は手摺を掴むことなく空を切った。伸ばした手は直ぐに下に落ち、自分の体と階段に挟まれ、あらぬ方向に力が加えられて肩をはずす。庇えていない私の頭は階段の角に何度も打ち付けられる。体も打ち付けられ続け、体中の骨にひびが入ってついには砕ける。痛みが体を駆け巡り、私の悲鳴を誘う。
 意識が飛びそうになっては階段に打ち付けられて戻される。あぁ、なんて地獄なのだろうか。死という恐怖が私の心を染め上げていく。どろりとしたモノがキモチワルイ。あぁ、誰か、助けてください。

「っ!」
 最後の階段に打ち付けられるのと同時に私の意識は夢から現実に戻ってきた。心臓が激しく鼓動し、冷や汗が体から出てくる。夢の中で蓄積された恐怖が心を黒く染め上げていく。
 布団につめを立てて強く握り、体を丸めて布団を抱く。落ち着かない。顔から血の気が引いていくのがわかる。体が震える。がくがくぶるぶると。
「けん、いち……けん、いち」
 すぐに抑えきれなくなり、痛む喉から掠れた声を絞り出して剣壱を呼んだ。涙腺が崩壊しそうになり、視界がぼやけてくる。呼び続ける「剣壱」という言葉が震える。
「どうしたの、ゆう姉」
 すぐに剣壱がカーテンを開け、しゃがんで私の傍に来てくれた。顔には心配そうな表情が浮かんでいた。それが妙に安心感を私の中に芽生えさせた。
「ごめん」
 そう言って私は傍にいる剣壱に抱きつく。こうするしか、これを止める手段がもう思いつかなかった。
「ちょ、ゆう姉。何を――」
「ごめん。ちょっと落ち着くまでこうさせて」
 剣壱の胸に顔を沈め、腕を背中に回した。驚いて早くなった剣壱の鼓動が伝わってくる。一定のリズムを刻んでドクンドクンと音を立てる。剣壱の匂いがした。暖かい彼の体が私の余裕のなかった心を落ち着かせてくれた。

 十分もすると、体の震えは止まり全てが治まっていた。
「ありがとう。ぐずっ」
 結局、耐えていた涙も流して嗚咽交じりに泣いた。子供っぽい泣き方だ。あ、鼻水が垂れる。
「大、丈夫?」
「大丈夫だ問題ない。だが、風邪は引いてますよ」
 私は笑って剣壱から体を離れさせた。落ち着いてきたら変に意識をしてしまうからね。
「こんなこと、よくあるの?」
「まぁ、疲れが溜まったり熱にやられている時にたまに出てくる。昔からある、訳の分からないものだよ」
 情けない姿を晒してしまい、少し恥ずかしい。顔を逸らして剣壱に泣いた後の顔を見られないようにする。
「止め方が何か独特だね。その、人に抱きついたり……」
「んまぁ、落ち着けば何でも良いんだよ。音楽でも物でも基本はね」
 ティッシュを取って鼻をかむ。水っぽいな。まあ、生理食塩水だもんね、殆ど。
「じゃあ、そこにあるぬいぐるみとか抱けば収まったんじゃない? 僕に抱きつかなくても」
「咄嗟の判断だからしょうがないじゃん」
 頬を膨らませて拗ねたように見せる。演技丸出しだが。
「ご、ごめん」
「別に、……問題ない」
 あぁ、よくよく考えてみたら物凄く恥ずかしい事したな。剣壱に抱き付くなんて。後から心臓がドキドキしてきた。耳が熱くなる。
「あれ、ゆう姉。顔赤いけど、また熱上がった?」
 赤くなった私の顔に気付いて手で熱を調べようと、私の額に手を置く。
「あれ、そんなにはないなぁ」
 う、何かばれそう。
「な、なんでもない。もう、大丈夫だから。出て。早く。よくよく考えたら私今、上しか着てないし!」
 剣壱の手を払いのけ、彼の体を押して距離を取った。
「わかった。んじゃ、熱が下がるまでちゃんと寝といてよ」
 剣壱は何も問題ないかなと思ってくれたらしく、直ぐに立ち上がるとカーテンの向こうに姿を消した。
「危な」
 自分の胸を両手で押さえ息を吐いた。鼓動の高鳴りがうるさい。


 翌日、悪いことに私の熱が下がらなかったために剣壱が学校を休んだ。一生懸命看護してくれたのだけれども、それに罪悪感を感じた。
 熱は今は下がっており、普通に食事が喉を通るようになった。で、今は夕食。普通の食事に六食ぶりにありつけた。あぁ幸せ。
 メニューは肉じゃが、酢の物、味噌汁(豆腐とわかめ)である。
 ジャガイモに味がしみてて美味しい。味噌汁は体が温まる。酢の物はさっぱりとしていて肉の脂を忘れさせてくれる。
「明日も一応、休むの?」
「うん、そのつもり。だからバイトも無理かな」
「古本屋だっけ? 商店街の」
「そ、おじいさんには悪いけど」
「まぁ、体が第一だからしょうがないよ」
 熱が引いたものの、体力が完全に戻ってないので深夜勤は無理そうだ。授業も受ける事ができない。明日は好きな講義だったのにな。
 味噌汁を啜り、「はぁ」と息をつく。酒飲みたい。けど、我慢我慢。風邪が完治したわけじゃないし、それにあの事があるから。
「ねぇ、明日帰りが遅くなりそうなんだけど、晩御飯どうする?」
「ん? 私が作るよ。チャリでスーパーに買い物行くくらいはできるからさ」
「わかった。じゃぁ、任せるね」
「了解」
 最後にお茶を喉に流し込んで私は食事を終えた。
「ごちそうさま」


 翌日
「やることないなぁ!」
 家事を一通りやりこなし、するべき事を終え、面白い番組もやっていないこの十一時から十二時の間の時間帯。
「原稿ってまだ、テーマ決まってないし。一週間前に締め切りだったし。あ、そうだ。長編の続き書こう」
 ずっと鞄の中にいたパソコンを立ち上げ、USBメモリーを挿して長編の原稿を開く。現在、五十ページほど。プロットを立て、書き直して書き直してを繰り返した結果、五ヶ月でこの有様。全然、進んでいない自分の原稿に呆れた。
「うわぁ、第一章の中盤だよ。まだこれ」
 とりあえず、プロットを見直しキーボードの上に手を載せ、キーを打っていく。そして、五十字近く打ったところで文章がおかしい事に気付き、修正を入れていく。そして、さらに前のところを見ていって修正が行き届いていることを確認し、続きを書いていく。
「はぁ、まだまだ先は長いね」
 このプロットでは後、二百ページは書くことになるだろう。何でこんなの書きたいと思ったのかが疑問である。

 カタカタカタカタカタカタカタカタ

 パソコンとにらめっこし続けて目が疲れたので顔を上げてテレビを見ると、いつの間にかお昼のワイドショーが始まっていた。現在、二時。三時間か。原稿は現在、五十八ページを進んでいる。集中し続けたら昼ごはんが遅れてしまった。
「ごはん♪ ごはん♪」
 私は立ち上がって、キッチンに向かう。
「さて、何を作ろうか」
 冷蔵庫の中身を見る。卵、ハム、豚肉、野菜たくさん、あ、弁当のあまりの玉子焼き発見&ゲットだぜ☆ 戸棚を開け、インスタント食品を見るとラーメンとビーフン、焼きそばがあった。
「うぅん。迷うな。ハムエッグ作っても良いんだけど、玉子焼きと被るし、ラーメンって気分じゃないんだよな。じゃぁ、ビーフンかな? よし、ビーフンにしよう」
 戸棚からビーフンを取り出し、フランパンも取り出す。
 野菜を取り出し、洗って切る。そして、コンロに火をつけフライパンを熱する。もちろん、換気扇もオン。フライパンが熱し終わると、油を引いて豚肉を並べ焼く。両面焼き終わると、ビーフンを開け、麺を豚肉の上に置く。そして、麺の上に野菜を置き、水を入れて蓋を閉じる。ここから三分三十秒放置。
 三分三十秒後
 蓋を開け、麺を解し野菜と混ぜる。水気を飛ばし、
 今日の昼ご飯完成!
 皿に盛り、玉子焼きを冷蔵庫から取り出して、テーブルに置き箸を出して、お茶を入れて食べる準備が完了。
「頂きます」
 手を合わせて食事を始める。久しぶりだなぁ。これ。


 夜になって、食事の準備が終わっても剣壱は帰ってこない。現在、八時半。遅くなると言ってもここまで遅いとさすがに心配になってくる。時計を見たり、テレビを見たり、うろうろしたりと色々な事をして気を紛らわそうとするが、心配だ。アノ気持ちが作用しているからかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。
「電話、ってなんかウザい人っぽくなるしなぁ。どうしよ」
 あぁ、もぅ! 髪がボサボサになることも構わずに頭をかき、むきぃぃぃ! と心の中で叫ぶ。
「はぅぅ。心配性が疼くぅぅ!」
 時間はなかなか過ぎず、八時四十分にもなっていない。
「あぁ、もう九時よぉ! 何処行ってるのぉ!」
 頭を抱え、うがぁ! となっていると、チャイムが鳴った。
 玄関に駆け寄りドアを開けると、待っていた少年の顔があった。
「ただいまぁ、あぁ疲れた」
 呑気に疲れたような顔をしている。少し、イラッとした。
「お帰り、……」
「あれ? 怒ってる? ちゃんと、昨日言ったはずだけど」
「こんなに遅いとは思わないでしょ。普通。高校生なのに」
 きょとんとしている彼の顔が少し憎たらしい。自分が完璧に拗ねている事が分かる。たまに思うけど、私って子供っぽい。
「ごめん、心配かけた?」
「別に、心配とかじゃないし」
 目を逸らし、嘘がばれないようにするがこのアクションは逆にばらしている気がする。もう、後の祭りだけど。
「ねぇ、そろそろ。中に入れてくれない? 寒いんだけど」
 あ、忘れてた。よし、そろそろ、中に入れてやろう。


 夕食が終わり、風呂も終わり、現在くつろぎタイム。
 十一時が過ぎ、テレビではニュース番組がやっている。今日は、球界のキャンプがどうとか、空気が乾燥しているための火災がどうかという内容だった。火の元には注意しないとな。
「酒を絶って、約一週間。何か酒を飲まないのが苦痛にならなくなってきたな」
 独り言をつぶやきながら、つまみとお茶を食べて飲んでする。ぼぅと、テレビを見てると何も考えなくて済むから楽でいいな。
「ねぇ、ゆう姉」
 すると、後ろから剣壱が声をかけてくる。
「どうした?」
「ちょっと、話があるんだ」
 そして、剣壱は私の隣に座る。距離を取っておこうかと思ったが、さすがにその行動はだめだ。剣壱を傷付けてしまう。それに余計、ばれやすくなる。息を呑んで決心し、そのまま何気ない様子を装う。つまみであるするめを噛み、お茶を飲む。
「あ、のさ。どうしても今日、言っておきたくて」
 剣壱は何かいうのに緊張しているようだ。いつもなら表情から大体、読み取ることができるが、今回はそれができなかった。
 私が剣壱の感情を知るのを恐れているからか。
 私はこんなことになってしまった、自分を恨んだ。心の底から。しかし、その恨みでは払拭しきれないほど、あふれ出てくるこの暖かな感情はどうしても留めることができない。けど、頑張って抑えないといけない。
 そして、剣壱は私の正面に移動して、ゆっくりと告げた。




 どうして?
 どうして? それを口にしてしまったの?
 ずっと、隠してたのに私は。あなたのために。
 自分を嫌悪し、自分を傷つけたのに。
 どうして、あなたは……簡単に、口にしてしまうの?




 私の両目から涙が流れた。自分が嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのか、悔やんでいるのか、恨めしく思っているのか分からない。ただ、こみ上げてくるのは涙だけ。

 歯車が、私の心の中にあった歯車が、がしゃりと音を立てて、はずれ、何もない地面に叩き付かれて、砕け散った。

 心が崩壊していく。人格が崩壊し、理性が飛びそうになる。必死にこらえるが、それに対するリミッターを今の私は持っていなかった。

 嫌だ
 嫌だ嫌だ
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……


  ・
  ・
  ・
  ・


 新しい歯車が嵌った時、私はもう自分の役割を果たせない廃人同然だった。考えることもできない。ただ、「逃げる」というどこから来るか分からない意志に従った。

 ごめんなさい。

 約束を守れなくて。

 私は最低限必要なものだけを持って、家を出た。

 すべての今まで築き上げた物を消して、最後に残した。

「ごめんなさい。そして、さようなら」と。
...
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春号  Byイルカ

2013年09月16日
新釈高瀬舟(3)
イルカ

 *前回までのあらすじ*
 西暦三〇〇〇年のとある日、日本は地球から姿を消した……
 その後、犯罪者のための刑罰の一つに〟高瀬舟〟というものができた。その刑罰は異次元に続いていると思われる暗闇に罪人を送るというものだった。執行人である市ヶ谷樹(いちがやいつき)は、罪人菊宮(きくみや)四季(しき)を暗闇に送り出した。だが、執行人もいつのまにか暗闇の中へと吸い込まれてしまっていた。そのときから、執行人と罪人の奇妙な旅は始まったのである。

     *NPCの世界*
 じっとりと、へばりつくような湿気
 真夏日かのような暑さ
 そして、周りに広がるジャングル
 …………
 …………
 「俺たち、ここに来て、何日経った?」
 分かっていても、嫌な事実は知らない振りをするのが一番だと思う。しかし、横に並んで歩く四季は現実をはっきりと言った。
 「大体、六日くらいですね」
 俺はあからさまに嫌な顔で、これ以上ないほどの溜息をついた。
 そう、俺たちはあの地獄のような一面花だらけの空間から抜け出し、この空間に来た。この空間では前のときとは違い、食べ物も飲み物も存在していた(まあ、成っている木の実食べたり、川の水を飲んでいる程度だが)。
 しかし、この空間に来てから六日間、俺たちの前には一度たりとも、違う異次元空間へと繋がる〝暗闇〟が現れないのである。この空間で暮らしていくとしても飲み食いできるので生きていけるはずだ。しかし、時たま、大きな鐘の音が聞こえるのだから、聞こえる方へ行ってみようという気にはなるだろう。そういう理由から、鐘の鳴っている方向へと進んでみた。六日も経って結構、鐘に近づいているようには感じるが、人の気配は全くと言っていいほど皆無だった。
「どうなってんだよ、ここ。人もいないのかよ」
「まあ、この前のあの空間では人は死んでいましたし、ここにも人はいないと考えるのが妥当なんでしょうけど。鐘の音が聞こえるのですから、やはり、人はいるんでしょうね」
 そういえば、こいつとの会話ってなんか、機械としてるみたいだな、と思い、じっと見ていると、四季は少し顔を赤らめて言った。
「そんなにじっと見ないでくださいよ」
 四季と計八日くらい一緒に過ごしているが、いきなり態度が女の子らしくなったりするからこっちの調子が狂うのだ。いや、別に元々、可愛いし、振る舞い的にも女の子そのものなんだが、いつもは機械のような物言いなどから、硬さが少し目立つのだ。
 そうやって、四季のことについて考えていると、また、あの鐘の音が聞こえてきた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン
今日の朝と比べると鐘の音はずいぶん大きく聞こえた。
「結構、近づいてきたんじゃないか」
「そうですね……」
疲れているせいか、投げやりな返事が返ってきた。俺はもう少しで人と会えるのではないかという淡い期待を胸に、鐘の方へ一歩踏み出した。
二時間くらい歩いて、舗装された道路に出た。道往く人とも徐々にすれちがい始め、一時間後。
「おおっ、四季、街が見えてきたぞ!」  
街が見えてきたことへの嬉しさのせいか、四季の顔は少しほっとしているように見えた。今日中に街に着けるなんて、朝歩いていたときには思いもしなかったことだったからな。とりあえず、もう夕方だし、寝食のことを考えると、するべきことがあるだろう。
「とりあえず、宿を探すか」
俺と四季は宿がどこにあるのか、人とすれ違う度に聞いて回った。    
しかし、誰も宿の存在を知らなかった。いや、誰も知らなかったと言うよりは、聞いても見当違いの言葉が返ってくるのだ。例えば、宿の場所を聞くと、今日は広場で何かあるらしいだの、うちの息子が兵士に選ばれただの、訳の分からない返答をするのだ。最初は俺たちの質問が聞こえてなかっただけかと思い、もう一度聞いてみたりはしたが、やはり、一度目と変わりのない返答をするのだ。まるで、決まったセリフを話しているだけかのように……
住民の話を聞いても埒が明かないと思い、歩き回って、やっと宿を見つけた。意外なことに俺たちが金がないと知っても快く宿に泊めてくれた。さすがに二部屋は無理だったようで、四季と俺は同じ部屋に泊まることとなったが、今まで何も無かったこともあってか、四季からは何も言わなかった。森での野宿とは違い、ふかふかのベッドが「眠れ」と囁いている。意識は簡単に途切れた……
 翌朝、久しぶりに熟睡できたおかげで疲労もほぼ回復した。しかし、今俺がいるのはベッドではなく、ソファーだった。ベッドの方に目をやると四季が気持ちよさそうに眠っていた。あれ~、ベッドにダイブしたような、と回想に耽っていると、「女性を差し置いてベッドで寝ないでくださいね?」と書かれた紙が俺の腹部に置いてあった。四季、やっぱり女の子なんだよな~、と再確認して四季の方にもう一度、目をやる。未だに起きる様子がない四季はこれ以上ないほど無防備で男なら一度は襲いたくなりそうな可愛さだった。何で最初、こいつのこと男って思ったんだろ……。 
 時間は遡り、俺がまだ執行人として四季を暗闇に送ろうとしていたとき、四季は黒いローブのようなものを纏っていた。高瀬舟に乗っている間、一言、二言、話をしたが、返ってくる声はひ弱な少年でもありえそうな声だった。普通は少年より、女性って考えるはずなのに何故、あの時勘違いしたのだろう? 四季についての疑問は最初から多くあった。弟を殺したことに対して何の弁解もせず、弁護士も雇わず、無言を貫き通した。結果、最悪の刑に処されたわけだが、暗闇に送り出すとき、彼女は自己嫌悪していた俺に慰めの言葉、感謝の言葉を述べた。今まで何人も執行人として送り出してきた俺にとっては意外すぎるほどに意外なことだった。何故こんなにも思いやりのある人間が人を、それもたった一人の肉親であった弟を殺したのか。だが、今まで四季と一緒に過ごしてきて、ちょっとした予想があった。日本には様々な文学作品が古くからあって、その一つに「高瀬舟」という作品があった。作者はもう覚えてないが、話の内容は覚えている。弟が兄のためを想って自殺しようとし、兄が弟のためを想ってとどめをさすという話だったと思う。解釈は色々あるが俺はそれが美しい兄弟愛だとして今でもこの解釈を信じている。だからこそなのか、もしかして四季も……と思い始めたのだ。
 回想から現実に帰ると、四季も夢からの帰還を果たしていた。
 
 「とりあえず、街を散策して昨日の噛み合わない会話の正体を探ろうか」さっきまで可愛いとか考えてたからか、四季と顔を合わせられない。
「そうですね。……どうかしましたか?」
俺の不審に気がついたようで、俺の顔を覗き込んできた。
「っ……。いや、なんでもない。それより情報収集しないとな。ここがどんな世界もといどんな異次元なのか、知っておく必要があるしな」
つい目をそらしてしまう。顔覗き込まれただけで赤くなるとか、乙女かっ、俺は! こいつと一緒の部屋で泊まるのもう無理かもな。今までさえ可愛いやつだなって時々思ってたぐらいだったのに、今朝の寝顔の可愛さで四季を恋愛対象として見てしまいそうで怖い。
 そんなことを考えていた俺だったが、一方、四季は、「樹さん、どうしたんだろ。顔赤いけど風邪でも引いたのかな? 昨日の夜、無理やりベッドからソファーに移して寒かったのかも」とちょっとした罪悪感を抱いていた。
 宿の主人にお礼を言って宿を後にしようとすると、主人はまるで最初から決まっていたことのように出て行こうとする俺達に急いで忠告してきた。
「魔王には気をつけてくださいよ、旅人さん。一月前までは魔王はもう現れないって思っていたのに……」
「はあ、魔王……ですか」
「ええ、魔王です」
「……」
「……」
「……」
店主が作った緊迫感は、俺と四季の反応(沈黙)によってズタズタにされた。まあ、いきなり魔王とか言われても実感が沸かないし、しょうがないことなんだが……。とりあえず……魔王って何さ!
 「魔王は十年前に勇者***によって殺されました。それから十年間という長い平和が続きました。しかし、一ヶ月前、いきなり魔王が復活し魔物の軍勢を引き連れて我が国に侵攻しようとしてきたのです。そのとき姫殿下でありながら騎士長でも在らせられたフェミア殿下は最前線で戦っておられました。健闘はしたようですが、何せ、急なことでしたからその戦いは敗北に終わりました。そのとき騎士長であったフェミア様は勿論、多数の名高い騎士たちが捕虜とされてしまったのです」
と宿の主人はRPGのごとき長い長い話を終えた。
 一つだけ予想通りであった。この街は街ではなく、国であったということだ。
「やっぱり、ド○クエみたいに国は一つ一つ小さいんだな……。まあ、この街の……いや、この国の人たちがRPGみたいな反応しかしてこないから予想は着いていたが……」
「ドラ○エですか、懐かしいですね」
「四季はこんな古いゲームのこと分かるのか!?」
「ええ、マ○オとかポケ○ンも好きですね。弟と一緒にやっていたころを思い出します」
「…………」
今日一番の沈黙に俺は殺されるんじゃないかと思った。
「ま、まあ、それは置いといてこの世界がRPGの世界もといゲームの世界ってことが確信できたな」
「安易な考えですけど、大方合ってそうですね」
 弟の話は一瞬で断ち切ったせいか、鬱っぽい雰囲気にはならなかった。あまり、こいつに悲しんで欲しくないし、これからは気を付けよう。まあ、地雷がどこにあるか、分かったものではないがな。
「宿のご主人、忠告と情報をありがとう。ほら、四季こんな馬鹿みたいな話ほっといて、早く異次元につながる暗闇を探さないと……」
 俺は菊宮四季のことを大きく勘違いしていたようだ。
「樹さん、何言ってるんですか? 捕虜の話まで聞かされたらこれはもう、やるしかないでしょう。ほら、暗闇なんていつでも探せます。今はこの現状を楽しまな……コホン、困っている人を助けてあげなきゃいけないじゃないですか」
 四季……、割とゲーム好きなんだな、お前……。子供みたいにはしゃぐ四季も新鮮でこう、なんと言うか、しっかり者や天然のときと違って、何と言うかな……可愛すぎる!
 こうして、俺達の魔王討伐への旅は始まったのであった 完
                 
                   to be continued……
...
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叫び
希宮春風


 僕には好きな女の子がいた。
 名前は楠(くすのき)柚(ゆず)葉(は)。
 長くて艶のある黒髪を持ち、大きな瞳が可愛らしく、桃色の唇だった。体は細く、日に焼けていないため肌が白かった。
 同じクラスには一度もならなかったけれども、部活が丁度同じだったのだ。
 クラブが終わると、よく二人で学校前の喫茶店に入って、好きな飲み物を飲みながら勉強したり、クラブのことで話し合った。特に付き合っていたわけではなかったが、女の子の中では特別仲が良かった。告白はしなかった。
 彼女に好意を抱いたのは初めて会った時。一目惚れだった。
 クラブの入部届けを担任に渡しに行った時に偶然、鉢合わせたのだ。彼女の手には僕の入部届けに書いてあるクラブの名前と同じクラブの名前が書かれており、心の中で喜んだ。
 そんな僕が好きだった、いや、今も好きでいる彼女に会う約束ができた。ものすごく嬉しい。会う日がとても楽しみだ。もう、夜も眠れないくらい。まぁ、ちゃんと寝てたけど。


 地元の最寄り駅に着くと、待ち合わせの噴水がある駅前の公園に移動した。公園の周りに立っている桜は既に満開だった。風に煽られると、花びらが散り、ひらひらと宙を舞っていた。
「おぅい。瀬南(せな)くん」
 桜の木を見上げていると、公園の入り口の方から声が聞こえた。柚葉の声だ。気持ちが高揚していく。
 振り返って、声の方を見ると柚葉が走ってきていた。
 長かった髪はショートカットになり、顔に薄く化粧をしていた。服はスモークピンクのワンピースに黒のニーソックス、茶色のショートブーツだった。可愛いと素直に思う。心臓が高鳴る。
「ごめん。遅くなった」
「大丈夫、さっき着いたとこだし。髪、切ったんだな」
「うん、そうなの。大学入る前にイメチェンするために切ったんだ」
「へぇ、似合ってるな」
「へへへ、ありがとう」
 柚葉は照れながら笑った。
「んじゃ、行こうか」
「うん」
 僕らは久しぶりにあのカフェに行こうと思い、歩き出す。
二羽の雀も僕らの様に留まっていた木から飛び立っていった。


 カフェは全く変わっていなかった。
 高校のときに六十歳を超えていたマスターは今も元気そうだった。
「注文は何にする?」
「カプチーノとカフェモカ一つずつお願い。あ、私はサンドイッチも」
「俺はランチセット追加で」
 注文を済ませ、背もたれに体を預ける。
「よく、覚えてたな。俺がここで飲むの」
「まぁ、週二日もここに一緒に通ってれば、覚えるよ」
「コーヒー飲めるようになったんだ」
「うん。大学行き始めてから急に飲めるようになった」
「市販のカフェオレも飲めなかったのにな」
「うぅ、苦いって言ってたの覚えてる」
 昔の自分の顔真似をして柚葉が笑った。
「変わったな。柚葉」
「そう?」
「見た目も、中身も。前はもっと落ち着きがなかったというか。活発だったよ」
「まぁ、大学生になって子供っぽいのから脱却したかったからね」
「じゃあ、俺がやったぬいぐるみは捨てたのか?」
 さっきマスターが置いていったカフェモカを啜る。
 高一の時の誕生日に可愛いものが好きだった柚葉に渡したものだ。確か、ペンギンのキャラのものだったはず。
「捨ててない。捨てられないよぉ。思い入れがあるし」
「それは、嬉しいね」
「あれ、ぎゅってするのに丁度良いんだよ?」
 柚葉はぬいぐるみをぎゅっとするまねをした。直ぐにぬいぐるみの像が想像できるのだから相当、見た記憶があるんだな。
「高二のときに柚葉の家に遊びに行ったときも、同じ事言ってたな」
「そうだっけ? 覚えてない」
 首をかしげる。
「はい、サンドイッチとランチセットお待ち」
「ありがと、マスター」
「ありがとうね」
 会話が途切れたところで丁度、料理が運ばれてきた。
「うまそう」
「お腹ぺこぺこだよ、私」
「じゃぁ、食べますか」
「うん」
「「いただきます」」

 食事を平らげ、カフェモカのお代わりをして、僕らはまた喋り始めた。
「あぁ、うまかった」
「そうだね」
「卒業しても来てたのか? ここ」
「うん。月に二回くらいは。大学遠いからね」
「俺は全くだったな。その前にこっちに帰ってきてもなかったし」
「確かにそうだね。二年ぶりかな?」
「多分そう」
「音沙汰もなかったから、どこかで死んでるんじゃないかって、皆言ってたよ」
「ははは、色々忙しかったんだよ。色々と」
「メールしたのに」
「悪い、返信するの忘れてた」
「ひっどぉい」
「けど、そっちも半年前から連絡なかったな」
「瀬南くんがメアド変えた所為だよ」
「変更のメール送ってなかったか?」
「着て無いよ」
「じゃあ、どうやってこの前メールしてきたんだ?」
「裕也くん聞いたの。書店でたまたま会ったから」
「へぇ、あいつまだここにいたんだ」
「大学なったら海外に行くって張り切ってたのにね」
 昔のことや今のことを話し合っていて笑顔が耐えなかった。会う前の緊張はいまや存在しない。存分に笑って、笑って、笑って話し続けた。
 こういうのを幸せというのかな。

 気付けば、五時前になっていた。そろそろ行かないと、帰りの電車に乗り遅れてしまう。
「そろそろ帰んないと」
「えぇ、残念。実家に泊まって一泊すれば良いのに」
「明日、サークルで遊びに行くんだよ。泊まりで鎌倉の方に」
「へぇ、いいなぁ。私も遊びに行きたい」
「来るか?」
「残念ながら、明日は大学の大事な講義があるのです」
「そりゃ、残念だな」
 席を立って、会計を済ませてカフェを出る。
「ごちそうさまでした」
「どうも」
「こういう時は男が払わないと」と思って勘定はすべて僕が払った。気分が良いな。
「駅まで見送ってあげる」
 駅の方に歩き始めた。別れの時間が迫ってくるのを感じた。


 駅の改札につき、切符を買う。
「それじゃ、帰るわ」
「……」
「どうした?」
「いやぁ、一応、言っておこうかなと思う事がありまして」
「何?」
「いや、ちょっと言いにくいんだけど」
「?」
「私ね。高校のとき、ずっと瀬南くんのこと好きだったんだよ」
 柚葉は照れながら僕に告げる。
「えっと、今、何て?」
 思考が凍りついた。驚きに驚いた。
「意外だった?」
「うん。物凄く」
 僕は首を縦に振る。自然と自分の顔が赤くなっているのに気付いた。
「赤くなってるぅ」
「柚葉だってそうだろ」
「えへへ」
 甘い空気が僕らの周りに漂っていた。
「俺、も。柚葉が好きだった」
 何と無く吊られて、僕も口にする。
「うん、知ってたよ」
「マジで?」
「うん。職員室の前で会った時から」
「嘘ん!」
 まさか、知られているとは思わなかった。ビックリして、恥ずかして、僕の顔がさらに赤くなった。
「瀬南くん分かり易いもん」
「うぅ」
 俺の高校生活は何だったんだと思った。告白してりゃ、上手くいったのかよ!
「柚葉、言ってくれよ」
「いやだよ。告白は男の人からして欲しいもん」
「くそぅ」
「今更悔やんでも仕方ないじゃん」
「そうなんだけど」
「ドンマイ」
 柚葉はしゃがみ込んだ僕の肩に手をぽんと置いて、笑った。
「…・・・なぁ、柚葉」
「何?」
「告白って今も有効?」
「え?」
「だから、今、付き合ってって言ったら。付き合ってくれる?」
 最後の俺の青春の運を使い切るつもりで聞いてみた。
「さぁ、どうでしょう?」
 柚葉はとぼけた様な声を出す。
 僕は告白しようと、心に決め顔を上げる。
「俺は、柚葉が好きだよ。だから、付き合って欲しい」
 まっすぐ、柚葉の目を見て僕は言った。恥ずかしさを勇気に変えるのは大変だ。
「へへ、ありがと」
 柚葉は笑った。満面の笑みだった。今日、いや、今までに見た彼女の笑顔の中で一番、綺麗で可愛かった。ずっと、傍にいて欲しいという思いがこみ上げてくる。
「返事、聞かしてくれるかな?」
「……うん、良いよ」
 柚葉は立ち上がった。吊られて僕も立ち上がる。正面を向き、僕と柚葉はお互いのことを見た。
 気のせいだろうか、柚葉の目が潤み始めているのは。
「ありがとう。嬉しい。ホントに嬉しいよ」
 柚葉の目から涙が溢れ出す。
 柚葉は自分のワンピースの裾で涙を拭う。

「けど、瀬南くんとは付き合えないかな」
 泣きながら柚葉はそういった。断られた。
「どうして」
「多分、私といると瀬南くんは悲しくなっちゃうから」
「何で、そう思うんだよ」
 断られたことには何も感じなかった。別に良かった。しかし、彼女の目が寂しそうに見えたので僕は心配になった。
「理由は、言えない。言ったら、瀬南くん。優しいから、……」
 柚葉は続きを告げなかった。
 何が悲しくて彼女は泣いているのか僕には分からない。
「ごめんね」
 柚葉は後ろを向いて、小走りに走っていった。
 追いかけなきゃと直ぐに思うが、僕には追いついてもかける事ができる言葉がなかった。悔しかった。大人しく帰れと、僕の中の何かが告げている。薄情な奴だと思ったが、これが僕の今の最善だった。

 一年が経とうとしていた。
 桜の蕾はピンク色に染まって今にも咲きそうだった。
「何なんだよ。これ」
 僕の元に柚葉の訃報が届いた。訃報の事が書かれていた手紙を持っていた手が奮え、ついには紙をくしゃくしゃにしてしまった。

 僕は叫んだ。

 だが、彼女に声は届かなかった。

冬のある日
壱潟満幸

 だるい。
 高校に入学してからずっと、授業終わりに感じるこの感覚。特に、数学や英語が来るとどっと出てくる。
 終礼が終わり、椅子を上げ机を前に押していると前方から声がした。
「ねぇ、川木(かわき)さん」
 顔を上げると眼鏡の少年、鷹橋(たかはし)康太(こうた)が笑いながら立っていた。
「今日、部活に顔出せる?」
 活動日になるといつも、彼はこう言いに来る。迷惑な奴だ。
 私は一応、文化研究部に入部しているが、入ってから二回くらいしか顔を出していない幽霊部員だ。高二になって以来、部員が高一を合わせて四人しかいない、小規模なものになった。活動内容はとにかく文化を調べて、それについての新聞を出すというものだ。だから、私は原稿を部長である鷹橋に出すだけで部室に顔を出すことはない。顔を出す必要がないから。
「頼むよ。副部長の受け継ぎができてないんだって。君が来ないから」
「別に、一年にやらせれば良いじゃん」
「それは無理なんだって、松本がダメって言うから」
 松本というのは文化研究部の顧問で教えてるのは世界史。一年のときに態度で注意された記憶がある。最終的に口論となり、滅多打ちにした記憶がある。教師相手に何やってんだって感じだよな。傍から見ると。
「ったく。何で、あいつが」
「君が本格的な幽霊部員じゃないからじゃないかな? 原稿、毎回ちゃんと出してくれてるし、クオリティ高いし」
 態度が気に入らないからじゃないのか? と思ったがどうやら違うらしい。そんなたいした原稿だした記憶ないんだけど。
「この前のゆるキャラの記事なんて松本、嬉々として読んでいたよ。何か、ゆるキャラのかわいさについて熱く書いてたけど、可愛らしいものとか好きなの?」
 話が逸れ始めた。何なんだコイツ。
「別に、好きとかそういうのじゃない」
 鞄を取って、出口の方に歩き出す。後から鷹橋が付いてくる。鬱陶しい。
「用事でもあるの?」
「別に、関係ないでしょ」
「ないなら出てきてくれよ。後輩たち、君の顔見たことないって言うほど来てないのに」
「私は行かない。それだけ」
 もう、早くどっか行けよ。
 苛苛して奥歯を噛む。怒鳴ったら何かややこしくなりそうだから我慢するしかない。
 歩く速さを速めても、背の高いこいつは軽く付いてきやがる。ストーカー扱いして叫んでやろうかと思ったときもあるが、なんかそれは違う気がしてやることはなかった。
「頼むからぁ! 来てくれよう!」
 手を合わせて、頭を深く下げる鷹橋は滑稽だと思う。全く、変な奴がいる部活に入っちゃったな。
「無理」
「お願い」
「無理」
「お願いします」
「無理」
「お願いいたします」
「無理」
「土下座するから」
「しなくて良い!」
「何でも命令聞くから!」
「……」
 物凄くひいた。地球の反対にいけるほど。もう、嫌だ。こいつ。
「……わかったよ。仕方ないな」
 ついに私が折れてしまった。押し強すぎるんだよこいつ。折れてしまった自分に舌打ちする。
「ホントか?」
「……うん」
 キラキラと光っている彼の目を見て思わず顔を逸らす。
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 鷹橋は叫んだ。私は驚き、二、三歩後ろに下がった。気狂い怖い。
「よし、直ぐに行こう! 時間がもったいないからな!」
「あ」
 鷹橋はいきなり私の手を取ると、走り出した。私はそれに仕方なく付いていく。
 たく、もう。
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世界と僕
妖怪腹黒

貴方にとって世界は厳しいだろうか、それとも優しいだろうか。
僕にとっては常に世界は優しかった。
小学校高学年頃から、挫折したことがない。
少し勉強すれば、必ず満点に近い点数を取れた。
少し練習すれば、どんな習い事でもすぐに出来るようになった。
大抵の人は自分と話すことを快く思うし、異性ともそれなりに話せる。
ただ、色恋とはあまり縁がなかった。何故か「その気」が起きなかった。
 僕はそれがただの幸運だと思っていた。「たまたま」僕が恵まれているのだと。少々の才能を持って生まれただけの一般人だと。でもそうではなかった。それを知ったのは高校二年の冬だった。

 その日僕は寒さに身を縮めながら家から駅まで歩いていた。しかし、ぐにゃり、と視界が歪んだ。正確には世界が歪んだ。
 思わず屈み込んで立ち上がったら、目の前に少女が浮いていた。それも巫女服の。
「なんだこれは、ついに僕は二次元に脳が浸食されて幻覚か何かを見ているのだろうか」
 そんなことをごにょごにょ呟いて後ずさる僕を見ながら悲しそうに少女は口を開く。
「遂に……この時がやって来てしまいました……」
 この声、この容姿、確かに見覚えがある。
「君はもしかして、僕が小学校に入る前に会ったことがあるのじゃないか?」
 そう口にしながら、今までなぜか私の脳内を掠りもしなかった幼少期を次々と思い出す。
「実家の近くにある、山奥の神社だ。山の奥にひっそりと建っていて、夏休みに帰っただけの、一緒に外遊びをする友達がいなかった僕以外は誰も近づかないような場所だった」
 堰を切ったように僕の口から言葉が流れ出る。
「そうだ、そこでいつも僕と遊んでくれた女の子がいた。とってもさびしげな眼が、幼い僕には何か儚い宝石に見えたんだ」
 いきなり脳内に情報が流れ込む。僕は少女を眼前にして独白を続ける。
「君と一緒に帰ったことは無かった。お別れを言った後こっそり付いて行ったことがあるけれど、いつの間にか消えてしまっていたね。どんなにお願いしても寂しそうな顔をして首を振って、絶対に家には来てくれなかったね」
 ここで一息ついて、少女の眼を見る。
「君は、僕の友達で、僕の神様だね」
 少女は今よみがえった通りの寂しげな顔で答える。
「はい、そうです。あなたが小さいころ一緒に遊んで、神社と神体である山が取り壊されてからはあなたに憑いて護ってきたkrdfvjです」
 彼女の名前は、自分の口ではとても発音できないようなものだった。人の自意識が保たれ得るこの世のものではない、喩えるならば「球面においてのマイナスπ角形」のような、そんな音だった。でも僕の頭には彼女の名前として意味を持ってはっきりとその音は流れ込んできた。
「私は今まであなたをあらゆる面で加護してきました。あなたの不幸を悉く排除してきました。でももうすぐできなくなります。あなたを守るために、私やその護りを思い出させないように、思い当たらないようにする力すらもう消えました」
「僕を、僕を護るために君は力をすり減らしてしまったのかっ」
「いいえ、違います。あなたを護るというのはむしろ私の存在理由でもあったのですよ。精神的にもそうですが、それよりも、私が存在するための力はあなたを護ることに由来するようになっていったのですから」
 僕はそこで、叫んでしまったことに気づいて辺りを見回したが、誰もいない。
「ああ、神域というものです。これくらいは、私の最後の一片が消えるまで保てますよ。私の存在とほぼ同義ですもの」
そう言って微笑んだ後、続ける。
「私は、神と呼ばれる、いえかつて呼ばれたモノです。地球と人類の無意識の集合体の意志によって生まれた一種の現象なのです。ですので、本来ならば、いくらお互いが好きになったといえ個人に付いていって憑いてしまうわけにはいかないのが私、であるはずでした。ええ、あと二百年も前なら幾ら好きでもあなたに憑いて行くことは私を規定する力そのものが許さなかったでしょう」
ここまで話して少女は悲しそうに僕の眼を見る。僕は、彼女の次の言葉が予想されて呼吸が詰まる。
「現代になって、あなたに会う頃には人類の無意識の集合体である「世界」は変質していました。もはや「世界」は神を求めてはいないのです。少なくともこの日本においては。だから近代では出来なかった、神代の業である、人との遊びがあなたと出来たのです。私達「神」の存在という定義が薄れていくのと共に私達を規定する力も薄れていったからです」
 少女は私を抱きしめる。
「同じ神々が存在を消滅する中、私は神体を失っても存在を残しました。なぜなら加護し祈願される人が一人であってもいたからです。そうです、あなたです。あなたのために私の記憶を排除してもそれは変わりませんでした。しかし、それももう限界です。いまや神は求められるものではなく進歩と合理の妨げとなるモノでしかないのです。長くてもあと二年しか私は存在して貴方を加護できません」
少女はそう言って僕の胸に顔を埋めて震える。
「ああ、僕はこうやって忘れていたことが不思議なくらい君が好きだった。幼少期の一番大切な想いを、君の力とはいえ忘れることができるなんて。今思い返してもあれほど純粋で強力な想いは抱いたことはない」
少女は顔を上げて言う。
「ええ、私も、そのような存在ではなかったとはいえ、日本において生成されてから二千余年間、こんなに人を想ったことはありませんでした。だからこそ、あなたの為という存在理由で存在の力を保ち得たのでしょうけど」
 僕はふと思いついたことを口にする。
「そういえば、色恋には縁がなかったけど、君が遠ざけていたのかな?」
 少女は真っ赤になってまた僕の胸に顔を埋める。
「聞かないでください……」
あまりにも愛おしく感じたので、僕は表現する方法が分からなかった。その感情をゆっくりと頭を撫でて漏れ出させる。
「たとえそれが人類の無意識の総意だとしても、僕という意識の総意で打ち負かして見せよう。僕は今まで君を通して世界に護られてきた、でもそれがなんだというのだ。僕はその恩を仇で返そう。たとえ世界の、神意の地上代行者が現れて阻んだとしてもそれを乗り越え君を蘇らせる」
 そう決意と共に呟いた。そして、あと二年も無い時間を少しでも幸せに一緒に過ごしたいとただ願った。
 そして研鑽を積んで世界を打ち負かす。
 はずだった。
 結局、大学受験までは彼女は存在していたから、私の絢爛たる才能は損なわれていなかった。もちろん大学も不自然なまでに素晴らしく思い通りの場所に入った。
 それからしばらくして彼女は消えた。彼女の間隔からすればまだもう少しは存在していられるという事だったから、別れを告げる暇も無かった。
 僕は自分が如何に今まで才能に、庇護に頼っていたかを思い知らされた。僕は本当は守ってもらわなかったら何もできない「一般人」だった。今まで自分のことを指して言っていた「一般人」ではなく、心のどこかで見下しながらつぶやく「一般人」が本当の自分の姿だと知った。僕は結局挫折しきった。明らかに諦めた。
 心が折れてからは楽だった。身の丈に合わないほどの高い学歴を元になんとなく就職して、家庭を持って、三十年が過ぎていた。年齢と共に心身の衰えを感じたが、僕は満足していた。
 世界がずれた。
 ある日、すべてが崩壊した。会社は頸になった。家庭は崩壊した。
 「世界」曰く「お前の最後の加護の煌きが消え去るのを待っていた。もう敵対する豚にやる餌は無い」そうだ。
 結局僕の意志は彼女の洗脳にも、彼女の後任のにも、世界相手には自由にならないようだ。彼女に申し訳ない。僕がそれなりにでも幸せに生きるのが彼女の願いであることはわかっている。でも僕はもう疲れた。もう一度だけ、最後だから、裏切ることを許してほしい。
 そう呟いて私は飛んだ。
...
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厨二恋文
壱潟満幸

 明日、十五時に学校の屋上に来てください。
 あなたに伝えたいことがあります。

                  あなたの近くにいる者より 

 卒業式の後、僕、草薙(くさか)真(ま)琴(こと)が昇降口の自分のロッカーを開けたときに見つけた、赤と黒の封筒に入っていた白色の便箋に書かれていた内容だ。中にはカッターの刃(欠片)も入っていて、手紙を開けたときに少し手首を切ってしまった。傷は浅いが、痛みはずっと残っている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
まあ、つまりこれは、いわゆるラブレターという物だ。と思う。
「はあぁぁ」
 僕はベッドに身を投げ出した。布団を干した後の良い匂いがする。このまま、眠ってしまおうか? いや、今日は卒業式の打ち上げで皆でROUND1で騒いだからおなかが減ってるので、晩飯は逃せない。食欲は現在MAXだ。
 あぁ、なんで、そんなことしか頭に浮かばないんだろ?
 僕は立ち上がって、乱れた中学の制服を脱いで、部屋着に着替えた。そして、おもむろに昨日買った文庫本を鞄の中から取って、しばらく文字の羅列に目を落とす。
 すると、
「真琴! ご飯だよ!」
 と、妹の智(ち)鶴(づる)が一階から僕を呼びにきた。
「ああ、わかった。今行くよ」
 文庫本を閉じて、本棚の文庫本と単行本の隙間にしまう。
 そして、部屋を出ようとしたが、あの手紙の事を思い出して、放置するのは色々と問題があるかなと思い、机上から回収し、学習机の引き出しの奥にしまった。
「真琴! 遅い! 早く来てよ。せっかく、作った料理が冷めちゃうじゃん!」
 突然、部屋の扉が開いたので僕の体はビクッっと反応した。
「ちょっと待てって! 何勝手に入ってきてんだよ! ノックくらいしろって!」
「うるさい! 黙れ! どうせ、エロいもんでも見てて、急に呼ばれたから隠すのどうしようか迷っておろおろしていただけでしょ! このエロ猿!」
 智鶴は乙女の恥じらいなど知るか! と言わんばかりの罵倒を僕に浴びせて部屋から出て行った。階段を下りる音がドタドタと騒がしい。
 これ以上待たせると、智鶴はもっと怒り出すので、僕は急いで部屋を後にした。

 晩飯の後、少々食べ過ぎたなと思いながら、部屋に戻った僕は、ケータイを取り出した。そして、ピクチャーを開き、隠しファイルを開ける。
 隠しファイルの中には、一枚だけ写真が入っていた。
 写真を選択すると、写真は拡大され、そこそこ大きい画面に表示される。
 写真に写っているのは、違うクラスの生徒だった。
 その生徒は、いつもはかけていない黒くて薄いフレームの眼鏡をつけ、文庫本に黒い瞳の視線を落として、細く白い指でページをめくっている。読んでいるのは、昭和の作家の本らしく古く紙が劣化して茶色く変色している。しかし、この本はその生徒が手にするだけでとても美しいものに思えた。
 この写真はたまたま、盗さ、いや、写真を撮るのが趣味の友人が撮ったもので、何と無く綺麗だから貰っておいただけのものだ。
 いや、本当に何となくだからね!

 ケータイを閉じて、僕はベッドにうつ伏せに寝っ転がった。
 現在午後九時だが、眠気が勝って僕はそのまま意識を失った。

 翌朝、といっても現在十一時。
 約束の時間まで残り四時間という時間に僕は目を覚ました。
 十二時間以上眠っていたので頭が痛かった。自分でも何て呑気な奴だと思ってしまう。妹は学校があるので、今はいない。
 一階に降りたが母親の姿は無く、置手紙に「買い物に行ってきます。母より」と書いてあったので、出かけていることが分かる。
 テーブルの上には、ハムや野菜のサラダを挟んだサンドイッチが、ラップを掛けられて置かれていた。さすがに、お腹が減ったので、歯を磨いて顔を洗ってから、サンドイッチに手を出した。常温で放置されていたため少し野菜のシャキッとした歯ごたえが失われていて、もっと早く起きておくべきだったと思い、後悔した。
 ここまでの行動で、現在十二時前。
 母親がそろそろ帰ってくるはずの時間だ。
 暇なのでテレビをつけて、昼のバラエティ番組前のニュースを見た。
 ニュースの内容は、パンダの赤ちゃんがどうのこうのという内容で、特に僕にとって目を引くものは見当たらなかった。

 十二時十五分頃、母親が帰ってきた。
「真琴、ちょっと買い物袋運ぶの手伝って」
 母親は相変わらずの力のなさなので、僕は仕方がなく玄関の方に歩んでいく。
 玄関にいる母親の前には、大量のスーパーの袋があった。中に入っているのは、一週間分の食料だ。
 母親は、いつもこうして週の頭にまとめ買いをしてきて、後の日を家でごろごろと過ごそうと考えている人だ。とても省エネな方だ。
「お昼どうする、真琴?」
「え、あぁ、どうしよ。さっき起きたとこだからなぁ。うーん。食べないで良いや、お腹へってないし」
「そう」
 母親はキッチンに行くと冷蔵庫に食材を放り込んでいく。毎週やっているのでとても滑らかに事を済ませていく。
 僕は母に食材を渡している。その時、
「あら、真琴。その傷どうしたの?」
 母親が手首の傷に気付いてしまった。手首を見ると、荷物を取り出すときに掌の半ばまで降ろしていた袖がめくれて、傷が露になってしまっている。どうしようか。
「ん、あぁ。ちょっと、カッターを使ってるときに落としちゃって」
 適当にごまかす。
「あ、そうなの。母さんてっきり、真琴が変なこと考えてるんじゃないか、一瞬考えちゃったじゃない。もう、紛らわしい事しないでよね」
 母親は納得したようで、直ぐに作業を再開した。大事にならなかったから良いけど、一瞬は無いよな? もうちょっと長くたって良いよな?

「今日午後からどこか出かけるの?」
 母親が自分の分の昼ご飯を用意しながら僕に聞いた。
「三時ぐらいから出かけるつもり」
「何処に行くの?」
「学校」
「何しに行くの?」
「えっと・・・・・・友達と落ち合うため」
「そう」
 母親は素っ気無く返事をすると、調理を終了させて盛り付けると、テーブルについてテレビを見ながら昼ごはんのチャーハンを口に運び出す。
 今テレビでは、ゲストとMCが告知について話している。
 ゲストの俳優は、今度自分が主演をする映画が公開するのを告知しに来たようだ。この俳優には興味がないので、スルー。

 現在午後二時。
 学校に行くために制服に着替える。着慣れた制服に袖を通すのが卒業式の翌日だとは思わなかった。祖母に買ってもらった腕時計をつけ、携帯と財布、バスの定期を入れて僕は部屋を後にした。

 外に出ると、凍りつくような冷たい風が頬を打った。空からは名残雪がちらつき、膨らんだ桜の蕾の上に積もっている。異常気象は恐ろしい。桜の開花遅れるだろうな。
「さぶっ」
 マフラーを取りに行こうかとも思ったが、面倒なので諦めて、僕は足を動かし始めた。

 発車しそうになっていたバスに乗り込み、肩に積もった雪を掃ってから開いている一人席に座る。乗客は昼間なのでほとんどいない。運転手が眠そうに大欠伸をして、少し心配になる。バスの窓には結露が張っていて外の世界は見えなかった。結構好きなのにな。外の景色。

 学校前の停留所に着いて、僕はまだギリギリ期限が切れていない定期券を見せてから、バスを降りた。

 学校に入って体育館の前まで移動するとき誰にも会わなかった。まあ、授業中だしね。
 名残雪がまだ降っていて、グランドを白く染めていた。
 約束の時間まであと二十分以上あった。

 体育館に着いた。さすがに、外で待っているという勇気がなく、僕は体育館の中に入った。
 革靴を脱いで、来校者用のスリッパに履き替える。後ろに人の気配はない。まだ来てないかもしれない。
 講堂としても使われる体育館はとても大きかった。昨日は装飾が多くされていて、かなり狭く感じたが、体育で一番乗りしたときのような状況が目の前に広がっていて今は広く感じる。スリッパをすりながら、体育館の中を歩き回る。一人だけの足音が体育館の中に響いていた。


 キュッ
 体育館シューズが止まる音がした。恐らく、手紙の主が立っているのだろう。背に脂汗が滲んだ。手をきつく握る。

 僕は決心して後ろに振り返った。
振り返った僕の視線の先には一人の眼鏡男子生徒が私服の状態で立っていた。
 彼の名前は、飯田勉(いいだつとむ)。演劇部の元部長で僕と同い年。勉強はそこそこだが、文章制作能力は学校随一といって良いほどの腕前だ。身長は百七十そこそこで、ボクの目線が丁度彼の肩と同じぐらいの高さだ。整った顔がとても綺麗だ。そして、僕が呼び出した相手だ。
 あと、僕は女だ。男と勘違いしないで欲しい。BLには興味が無いんだ。って関係ないよね。この状況と。
「来て、くれたんだ」
 僕は女らしくないが、頭をかきながら言う。だって、本当に恥ずかしいんだもの。みつを(笑)。
「ん、あぁ、そうだな。手紙の文章の構成がかなり乱れてて解読するのに苦労したよ」
 勉は嘘っぽさを表に出しながら、鼻で笑った。
「何さ、人が一生懸命言葉を選んで書いてあげたのに。信じられない!」
 僕も嘘っぽさを表に出しながら、笑いを隠しきれていない状態で言う。
「それで、要件は何だい? わざわざ、こんな寒い日に呼び出しといて、世間話だけというのは、あんまりなんじゃないかい?」
 勉が単刀直入に質問をしてきた。心臓がドキリとはねる。
「えー、世間話でも良いじゃん。楽しいし」
 僕はごまかすように言う。
「じゃあ、家の近くでしてくれよ。真琴の家と僕の家、五十メートルも離れてないだろ?」
 勉は的を射た答えを返してくる。少し後退、いや引き下がるか!
「雰囲気だよ! 雰囲気! 家の近くじゃ、青春! っぽくなくて、ただの近所付き合いになっちゃうもん」
 僕は何を張り合ってるんだろう?
「あぁ、もういいよ。そういう前置き。さっさと本題に入ってくれ」
 勉が顔をしかめる。う、やばっ、怒った?
「えーと、じゃあ、本題に入ろうと思いますが。その前にちょっと・・・・・・良い?」
「さっさとしろよ」
 勉は一瞬で僕が何をしようとしているかが分かったようで、体育館内のベンチに腰掛けて、文庫本を取り出して眼鏡を外した。やっぱ、かっこいい。
じー
「お手洗い、行くんじゃないのか?」
 視線に気付いた、勉が僕の方を見た。機嫌悪そうな目つきだ。
「は、はい。行って参りまーす」
 僕は走り出した。怒らないでくださーい!

 トイレに入って、手洗い場で水を出すと、心が落ち着いた。水が指先の上を跳ねたり、溜まって流れたり。水の無駄遣いは良くないが、面白いのでずっと見ていたくなる。冷たい水は火照った体を覚ましてくれた。
 冷静さを取り戻す。
 さあ、勝負だ。

 僕は勉の前に立った。(仁王立ち)
 勉は僕に気付いて顔を上げると、ゆっくりと立ち上がった。
 二人の距離は丁度、腕を伸ばして手が届くぐらいの距離だった。
 僕は、口火を切る。目はきちんと、勉の瞳を見つめている。多少の緊張が程よい。今ならはっきり言える。

「僕は、勉のことが好きだ。今まで恥ずかしくてずっと言えなかったから、丁度いい区切れの時だし、一応言っとく。・・・・・・返事は直ぐでなくていいから」

 言い終えた頃には、顔が真っ赤で今にも火を吹きそうだった。一世一代ばりの恥ずかしさだ。しかも、はじめの方はかなりの大声だったので、他の人に聞こえていたのではと心配になった。
 しばらくの沈黙が僕らを包んだ。
 勉の顔つきは変わらずに、ただ僕を見ていた。眼鏡越しに見える彼の目はとても冷淡に見えた。
 不安が表に出て、涙に代わるのを必死に堪えた。
「・・・・・・、何で泣きそうな顔してるんだよ。まるで、俺がフッたみたいじゃないか。ったく。別に俺はNOとは言っていないぞ」
 勉が頭をかく。眼鏡をポケットに入れて、開いた手をポンと僕の頭に手を置いた。
「えっと、それじゃあ・・・・・・」

 ブーブーブー
 ケータイのバイブ音を聞いて俺は電話を通話モードにして、耳に当てた。
『ヤッホー、唯月(いつき)くん』
「あ、真琴先輩。何か用ですか?」
『いやぁ、さっきさぁ。ちょっとフラグ立てたんだよね』
「へぇ、そうなんですか。で、見事に折れたんですか?」
『ちょっと、何それぇ! 僕が失敗するのが当然みたいな言い方。後輩のクセに生意気だぞぉ!』
「え、違うんですか?」
『違うよぉ。ちゃんと踏み倒されずに生きてるよぅ!』
「へぇ、おめでとうございます。で、相手はもちろん勉さんなんですよね?」
『もちのろん☆ あ、ちょっと質問なんだけどさ』
「はい?」
『僕の靴箱に手紙入れたの唯月くんだよね?』
「あ、よくわかりましたね」
『うん、それはいいんだけどさ。何でカッターの刃の欠片入ってるの?』
「え、ああ、・・・・・・それはですね。多分、折れた刃が誤って入っただけだと思いますよ? けど、良いじゃないですか。名誉の負傷ですよ」
『うぅん・・・・・・何かそれ、意味違うくない?』

少女
希宮春風

 もう何年いや、何十年前のことだったろうか。


 彼女は白銀の翼で大空を駆け巡る神の使い、いわば天使だった。

 背中まで流れるブロンドの髪、空の色を映したかのような青い瞳、

陶器のようなつるりとした白い肌。白魚のような指で金の琴を奏で、

小鳥に劣ることのない澄んだソプラノで歌った。

 誰もが虜になる、愛らしい天使だった。


 しかし、今彼女は黒い棺の中。


 白銀の翼は濁った黒金となり、髪は脱色して白くなり、瞳は血に飢

えた物の怪の目のように赤くなった。体は茨の鎖で締め上げられ、白

い肌を赤くして、褐色に汚れた。

 彼女は嘆き悲しんだ。
 しかし、神は彼女を赦さなかった。


 お前のしたことは神への反逆、堕ちて飢えた獣に喰われてしまえ。


 棺に納められたまま彼女は天空の宮殿から落とされた。

 神の名を叫んで嘆くが神は聞く耳を持たない。

 地の重力に引かれる中、彼女は謡う。



 あぁ、吾は黒金の天使(とがびと)。
 濁った翼は罪の色。
 吾が身は汚れ、朽ちにけり。
 だが、吾は死なぬ。
 黒金の両翼を剣に変えに、いざ立ち向かわん。
 全ての哀を糧とし、吾破壊せん。




 彼女を納めた棺は地の大海へと落下し、ある大陸の脇にある極東の地に流れ着いた。
 もう何年いや、何十年前のことだったろうか。


 私が恋した人は何の力もない者、いわば人間だった。

 闇のように黒い乱れた髪、星の無い夜空を映したかのような黒い瞳、

大樹のようにざらりとしているが、温かみのある肌。大きな掌で私を

優しく撫で、いつも微笑んでくれていた。

 私を守ってくれる、優しい人間だった。


 しかし、今私は棺の中。


 彼の髪は老いて白くなり、目からは生気が失われ闇色に染まってし

まっただろうか。体は衰え、小麦色の肌には皺が出来てしまっただろ

うか。

 私は悲嘆する。

 しかし、私はどうすることもできなかった。


 きっと、僕の生まれ変わりが君を迎えに来る。僕はもう・・・・・・


 棺の外から枯れたあの人の声がする。
 しかし、私は返事が出来ない。

 この中は神から私を守るための空間。

 彼とはもう会うことは叶わない。

 もちろん、声を交わすことも。

 もうすぐ、私の意識は永い眠りにつく。

 次に目覚めるのは何年後? いや、何十年? いや、何百年?

 動かない私の体は十六歳の少女のまま。

 あの人はもうすぐ、七九歳の御爺さん。

 悲しみにくれ、私は謡う。

 あぁ、私が恋をした人は死んでしまう。
 しかし、私は眠り姫。
 あの人の死を感じれない。
 あぁ、もう一度彼の手に撫でられたい。
 彼の手を握りたい。
 彼の手を触りたい。
 彼の顔を見たい。
 彼の声を聞きたい。
 せめて、私の声が彼に届けばいいのに。



 私の意識はここで途切れた。




 バキン!


 棺が開けられ、私は目を覚ます。

 彼が私に会うために戻ってきてくれた。

 私は涙した。
 ただ、ただ嬉しくて。

最初に、とっても大事な忠告。
この作品は、顧問に”不掲載処分”を食らった、若干アレな感じの作品です。エログロが苦手な人は、ブラウザバックか、このリンクに飛ぶことをオススメします。
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夏号 By助兵衛

2012年06月30日
ムゲンショウジョ

助兵衛



 Natu、――なつ、――夏――――。

 うすく開いた口から、くだらない言葉の列がぼろぼろとこぼれ落ちてくる。

 俳句の世界では夏まっさかりなこの季節。熱気と湿気にうだって机にへばりついていると、窓の外の空に夢中になった。夏の訪れ、いや現時点でもはや夏なのだが、学生の夏、青春の夏の訪れを感じさせるような気持ちのいい青空だった。

「昼間っからぐだってるんじゃねーよ」

 首筋にひやりとした殺人的な感触。思わず机から飛びのいた。

「ああ、佑太(ゆうた)か。びっくりした……」

 そこには青色のアルミ缶を2つぶら下げた友人の姿があった。

「ほれ、これでも飲んでしゃきっとしろよ。今からへばってたら、夏は乗り切れないぜ?」

 くいっと喉を鳴らして、佑太はスポーツ飲料をうまそうに飲んでみせる。僕は友人の買ってきた缶飲料を手にとり、同じ首筋の場所におし当てた。今度はひんやりとして、気持ちがいい。

「でだな、もうすぐアレなわけだがね京助(きょうすけ)くん」

「アレ?」

「分からないか? アレだよ。夏の風物詩、学生のビッグイベントだよ!」

「すまん、話が読めないんだが……」

「お前は本当に一介の高校生か……。夏祭りだよ! なつまつり! 恋の応援キャンペーンだよ、ドゥー・ユー・アンダースタンド?」

 冷えたアルミ缶は指にはりついて、少しひりひりする。机の端に追いやって、僕はまた、机にへばりつく。

「おい、無視かよ! お前は彼女とかほしくないのかよ!」

「お前は夏祭りをなんだと思ってるんだ……」

「うーんと、二人で花火抜け駆けイベント?」

「僕が間違ってました!」

 佑太は彼氏彼女とか、そういった話が大好物な生き物で、修学旅行の時なんてうるさくて仕方がなかった。だけど、こういう奴のことを、青春してるって言うんだと思う。そう思うと、自分は人生を損しているような気になってくる。

「ま、いいけどね。京助は昔から恋とか興味ない民族だったしな」

「佑太が敏感すぎるだけだろ」

「そうかな? 標準じゃないか? というかお前が例外。どうなの? 気になってる女の子とかいないのかよ、別に同級生じゃなくてもさ……」

「気になってる、ねえ……」

 ぼんやりと、一人の少女の像が頭の中で結ばれる。気になっているかと問われれば否定はしない。だが、それは恋とかそういうものとは全く異なるもの。

 ムゲンショウジョ―――。

 窓から見える、うざったいほどに青い空は夏の訪れを告げている。高く上った太陽は、ぎらぎら光って僕らの目の前を照らしている。

 机の隅っこですっかりぬるくなったアルミ缶が、机を水滴で濡らしていた。



◆◇◆◇◆



 今日もきょうとて、特に目指すところもなく何となく迎えた放課後、僕は丘の上にある豊(とよみ)神社へと向かう。昼間の猛暑はどこえやら。すっかりぬるくなった夕風が、短い髪をなびかせる。

 石段の半分くらいまできて、ほっと一息。息が乱れるのは傾斜がキツイからではなくて、ただ単なる運動不足のせい。そういえば、ムゲンショウジョにも運動不足はあるのだろうか。いいや、あいつはそもそも地に足がついていないから運動なんてものはないにちがいない。

 階段を上りきると、そこにはかなりの程度で風化した小さな鳥居と社。この階段は入口が完全に草に埋もれているし、仮に階段を見つけたとしても、丘のどこに繋がるかさっぱり分からないような階段は、誰も上がってこない。つまり、この場所は普通は知られていないということ。それこそ、秘密基地を探して町中をねちねち歩いてるようなやつじゃないと知らないような、そんな場所。じゃあ何故僕が知ってるかって? 秘密基地を探していたなんて口が裂けても言えない。

 コホン。僕がここに訪れる理由は大きく分けて2つある。1つ目が、家に帰りたくないこと。いわゆる家庭の事情というやつだ。2つ目が、ムゲンショウジョに会うこと。ムゲンが何かって? そんなもの、こうして鳥居にもたれて本を読んでれば分かることだ。

「また、あなたは、来た」

 意識しなければ、或いはそこに少女がいるのだと分からなければ、あやうく空気の中に紛れてしまいそうな声。

「暇だからね」

「………………そう」

 彼女はじっと動かない。沈黙。こういう時は、話しかけてやることにしている。

「君は何をしているの?」

「……分からない」

「ふーん。そっか」

「……………………」

 また沈黙。だが僕はめげないで話をつなげる。

「あ、そういえばさ、もうすぐ夏祭りらしいけど、君は何かするの?」

「……分からない」

「あ、そうか、記憶が消えているんだっけ」

「そんな感じだけど、ちょっと、違う。うっすらと記憶はあるけど、それがいつの時代のものなのか、わからない」

「ふーん」

 一五秒。彼女が話した時間の最長記録を更新。僕はひそかにガッツポーズ。

 いい加減、彼女の正体を話さないといけない。

 呪縛霊。

 ムゲンショウジョは一言でいうと、そういう類に属するものだ。といっても、テレビの心霊特集なんかで得たようないい加減な知識だから、まったく的外れな見当やも知れぬものなのだが。

 推定年齢一六歳。性別女。外見からしてお生まれになったのはサムライがいたような時代。当時の子供は現代っ子より大人びていたなんて聞くから、もしかすると中学二年生くらいなのかもしれない。

 僕が彼女と出会ったのは、かれこれ二週間ほど前になる。佑太が期待するようなときめくお話ではない。単に、出会った。神秘的ではあるが、単調な話だ。

「君は年を重ねないんだっけ?」

「うん。きっと、そう。気づいたら消えて、気付いたら、また、いる」

「いそがしい生活なんだね」

「…………………………」

「消えるっていうのは、死ぬ、ことなのかい?」

「分からない。でも、違うと思う。私は、もう、一度死んでいるから」

「……なるほどね」

 空が琥珀色に変わって、しだいに茜色に変わっていく。暗くなる前に階段を下ってしまう必要がある。

「ん、それじゃあ、また来るかもしれない」

 返事は、ない。どこかへ行ったのかも知れない。僕は鞄の土を払って、階段をリズムよく降りていく。

 足を滑らさないように注意しながら、頭の中では明日彼女に何を聞こうかを考えていた。そうして、昼間の佑太の問いに、確信的な答えをもった。

「気になるよ、すごく。ムゲンショウジョが」

 暮れゆく太陽を背に、僕の一夏は始まった。



                           (つづく♪)

8月のある暑い日

妖怪腹黒



8月のある暑い日、僕は祭りに行くことを楽しみにしていた。学校から帰るときはすごくそわそわとしていたのではないかと思う。自分のいないところで楽しいことが行われているというような、焦りに似た感覚に支配されていた。委員会が終わり、帰ることができたのが7時過ぎだったからかもしれない。

家に帰るとすぐに着替えて出かけた。自分が普段帰ってからしばらくごろごろしてから宿題に取り掛かることを思ったら、少し笑ってしまった。

会場に着いたら、やはり屋台が立ち並び祭り特有の雰囲気を形成していた。僕は祭りのメインである夜の奉納演舞が見たかったので特に友達とは約束せずに一人で歩き回っていた。どうせ友達少ないし。



 暗くなってきて、祭祀が始まった。まず神主が祝詞を唱え、それから雅楽の演奏が始まった。夏の暑い時期であるのに加え、四方に明々と焚かれた篝火によって異様な熱気が一帯を支配していた。

 演舞も終わり人が引いていった後も僕はしばらく感動に浸っていた。

「やっぱりこれだよね」後ろから自分の考えていることと全く同じ言葉が聞こえてきたので驚いた。

振り返ってみると、浴衣を着た少女がいた。外見からするとおそらく小学生だろう。僕は同じ思いでいる人がいる嬉しさに、つい話しかけてしまった。

「君もそう思うか! どこが一番好きだった?」といきなり話しかける僕にその子はよく答えてくれたと思う。



ひとしきり雅楽と演舞について語り合った後、僕は多幸感に包まれていた。こんな可愛い女の子とこのような趣味について語り合えるなんて、と。

そしてついに「今日は一人で来たの?」と聞いた。

「うん。今日は一人で来たの。そんなことより屋台で何か食べない?」と聞かれたくなさそうに言われたので、僕はどうして浴衣の小学生が一人で、という疑問を飲み込んで二人で手を繋いで歩いていった。

「焼きイカ二本ください」そう耳の遠そうな屋台のおじいさんに告げたら案の定「二本?」と聞き返された。人間想定していたトラブルにはそう腹が立たないものだなぁと思いながら受け取った。

二人で屋台で買った焼きイカをもしゃもしゃ食べながら人の流れをぼーっと見ていた。

「夏だからかな、浴衣を着ている人が多いね」

「そうだね、私の浴衣どう? 結構すごいんだよ?」

「そういえばなかなか珍しい柄だねぇ。生地も今まで触ったことのない感触だ」

「祭りに遊びに行くときに着ていくためにってお父さんに作ってもらったの」「へぇ、君のお父さんはなかなか器用なんだねぇ」

「そうなの!」

嬉しそうに笑う彼女を膝の上に乗せておしゃべりしていた。道行く人々はあまりこちらに気を止めなかった。不審な中学生だと見られていないようだ。僕の私服もまだまだ捨てたものじゃないな、と一人満足していた。



時刻は十時になろうとしていた。

「いくらなんでもそろそろ帰らないと不味いんじゃないかい」と聞いてみたら

「じゃあ最後に、あっちの神社に寄って行きたいな」と僕の手を引っ張り歩き出した。

「知らない人と一緒に人気のないところに行かないほうがいいよ」と苦笑いしながら後をついていった。

彼女が僕を連れて行こうとしているのは、本殿ではなく、その傍にあるたくさんの神社のうちのひとつのようだった。

「あれ、何か楽の音が聞こえるよ、なんだろうね」

「いいから行こうよ」そういってなおも女の子は手を引っ張る。

やはりこの子は、いや本の読みすぎだろうか、と思っていると、急に視界が揺らいだ。空気が粘り気を帯びたように感じる。

自分は今、違う世界にいる。そう確信しつつ歩を進める。

目の前には色とりどりの光が踊り、これまでに聞いたことのない音楽が鳴っていた。僕は震えが止まらなかった。一秒でも長くこの光景、この音を脳裏に焼き付けておきたかった。それほどまでに感銘を受けたのだ。



「ありがと、おねえちゃん。今日は楽しかった。 でもおねえちゃんはおねえちゃんだからここまでだよ、ごめんね」

 その声が聞こえた瞬間すべてが消えた。目の前にあるのはいつもの古ぼけた神社だった。



あの子は僕の妄想ではなく、本当に人ではなかったようだ。屋台のおじいさんや通行人の微妙な反応の訳が分かった。姉妹だと思われていたからではなく、僕が一人で変な事をしている奴だったんだね。

「神域は女人禁制ってか、畜生」そう罵りながらも僕はとても幸せな気分で帰り道を歩いた。

 
それから受験や就職など、ことあるごとにその神社には願掛けに来ている。

夏号 Byイルカ

2012年06月30日
噂の巫女

イルカ



 ――あなたはもう、逃げられない――





 巫女は美しく、可憐に言った……





*嘘なる噂*  

 あぁ、眠い。何でこんなに眠いのだろう。催眠効果しか存在しない授業をしている教師が悪いし、こんなに丁度いい気温にする大自然も悪い。よって、俺は何一つ悪くなく、これが至って普通なのである。

という結論に達し、俺はもう一度、寝ようと机に突っ伏すと、面倒なことに隣の席の境(さかい)が話しかけてきた。

「なあ、この授業、異常なほどに眠たくならないか?」

ならば寝ろ。そして、永遠に俺の睡眠の妨げをするな。

と内心思ったが、こいつのせいでもう、目が覚めたので、一つ相手をしてやることにした。

「そうだな、お前に邪魔されなければ、いい睡眠を取れただろうな」

境は少し、不思議そうな顔をした。

「俺の言ったことに何か間違えがあったか?」

もう一度、皮肉をこめて言うと

「いや~、皮肉も毎日聞くと、慣れてくるもんなんだな~って」

「じゃあ、死んでろ」

「今日の今さっきまで、ただの皮肉屋だったのに、そんな、ド直球で言われると……」

なんだ? 心が痛むとか言うつもりか?

「ゾクゾクしちゃう♪」

「ここに、度し難い変態がいる」

「いやいや、冗談だよ! そんな、親友との友情を鋏で切断するみたいに、簡単に引かないでよ! というか、なんでそんなノミ並な音量?」

そろそろ、頃合かな。

俺の予測が的中し、黒板の方を向いていた教師が、振り返り、言った。

「おい、境、黙ることが出来ないんなら、出てってもらうぞ」

「へ? 俺だけ? 大和(やまと)は?」

「大和は喋ってないだろうが」

「大和、これを見越してたなああああああああ」

「境、五月蝿(うるさ)いぞ。もうお前廊下に出てろ」

催眠術が一斉に解けたように、教室中の皆が、笑った。

境は俺を恨みがましく言った。

「授業後、覚えてろよ」

おいおい、親友じゃあないのかよ。

と心で突っ込んでから、俺は欠伸をし、眠りに入った。



「今日の授業はここまでだ。ちゃんと、復習しておくように」

「あと、境は、この後すぐ職員室に来るように」

やっと、教室に入れるって顔をした境は、その言葉を聞き、けだるそうに方向転換した。

憐れな奴だ。

「大和、てんめぇえええええ」

五分後、戻ってきた境はまた、大声を挙げて言った。

「お前のせいで反省文三枚程書かされたじゃねぇか!」

反省文……三枚?

「よくそんな量、五分で書けたな」

九割本気で驚いていると

「もう、慣れたからな♪」   

と異様なほどに爽快感溢れる笑顔で言った。

「ま、褒められた事じゃあないけどな」

「別にそんなことどうでもいいんだよ。それより、飯を食おう。もう腹がもたねえ」

そう言って、境は弁当を取り出し、食べ始めた。

「境、速過ぎだろ……」

さっき、食い始めたはずなのに、いつの間にか、食い終わっていやがった。境よ、喉に詰まっても知らんぞ、と思っていると

「……ごふぁ、ぐっ……」

案の定喉に詰まりやがった。茶を手渡すと、その茶を一気に飲み干し、咽(むせ)た。

「お前、バカだろ」

今の境を見れば、誰もが思うであろう感想を率直に言った。しかし、境は、認めたくないようで、無駄に色々、言い訳らしき戯言(たわごと)を約三分程話した。そして、いきなり思い出したかのようにこんなことを言ってきた。

「そういや、知ってるか? 毎年、開かれる夏祭りで変な噂が流れているのを」

「どういう、噂なんだ? それは」                     

「それがよ、夏祭りの開かれる神社にはある巫女がいるんだが、その巫女を見た奴が誰一人としていないらしいんだよ」

???

「どういうことだ? 巫女はいっぱいいるだろ?」

「いや、だからさ、ある巫女だって言っただろ? なんかさ、噂が一人歩きしてるみたいでさ」

なんだよ、それ、と思いつつも、噂だけが一人歩きしているって言うのは想像してみると、かなり、恐ろしく感じた。巫女を見た者は居ないはずなのに伝わっていく、薄気味悪さ。背筋が凍るようだった。

「で、その噂が何なんだよ? さすがに、怖いから確かめようとか、却下だぞ?」

「いや、ただ、噂が噂であり続けるために必要なことだろ?」

境はニヤリと、してやったり顔をして言った。要するにこれは、境が作り上げた嘘の噂ということだ。さっき、廊下を立たされたときの仕返しなのだろう。

「嵌められたか。そういや、夏祭り、もうすぐだな~。境、誰か誘って祭りに行くか?」

「誰かって女子か?」

「男同士で遊びに行くという思考は無いのな」

「男同士で行ってどうすんだよ! 其処此処にいるだろうはずのリア充共に囲まれて、楽しめると思うか? 答えは否! そんなもん、無理に決まっている!」

境の言い分も分からない訳ではないが、普通に男同士でも、面白いと思うけどな。『男子高校生の○常』みたいで。だが、やはり、女子がいないというのは少し、盛り上がりに欠けるだろう。

「それじゃあ、綾芽(あやめ)たち、誘おうぜ、境」

「なんで、俺が告って、この間、玉砕したばっかりの相手選ぶの? ドSなの?」

「文句言っても、そいつらしか俺ら、行動したこと無いんだから、諦めろ」

ここにいる境は入学式で木野綾芽(きのあやめ)という女子に一目ぼれしたらしく、運悪くこいつの隣の席だった俺が協力させられたのだ。境は共に過ごす時間が長ければ少しは好感度が上がるかも、と思ったらしい。その考えを以て入学してから二ヶ月くらいは綾芽たちと同じグループで過ごした。そして、境は我慢できず告って、見事に玉砕したというわけだ。

「まあ、お互い水に流して、友達からやればいいんじゃないか?」

「友達ならいい人か……」

境は玉砕した時の綾芽の返事を思い出したのか、遠い目をしていた。綾芽はおしとやかで、優しい、人間の鑑とも言うべき女子で、更に言うと顔はかなり、可愛い。まあ、一目ぼれするのも無理は無い。境は一応、立ち直ったが、今日まで綾芽と一度も話していないのだ。

五分後、境はやっと、過去から戻ってきた。

「まあ、俺も綾芽とこんなぎこちない関係は嫌だから、友人としてちゃんと、接し合ってみるかな」

「それじゃあ、綾芽と瑠璃(るり)、香子(きょうこ)を誘うってことでいいんだな?」

「大和、一応、一人忘れてやるなよ」

ああ、そうだった。境の恋に協力したのは俺ともう一人いたな。

「あと竹久(たけひさ)か?」

竹久はいわゆるゲーマー兼ヲタクというやつらしいが、俺はゲームをやり込むまではしないし、特に好きなアニメも無いので、話したことが無かった。あと、結構影が薄い。いつの間にっ、と思わされることが何度あったことか。

「それじゃ、この5人で夏祭り行くってのでいいな?」



「えっ、夏祭りですか? 別にいいですよ。瑠璃ちゃんも香子ちゃんも行けますよね?」

「瑠璃はいけますよ~」

「私も行けるわよ?」

「それじゃあ、夏祭りは今週の日曜だから、神社前に一四時集合でいいね?」

俺と境が女子三人に夏祭りのことを伝えると、周りも夏祭りを思い出したらしく、せわしなく誰かを誘い合ったりしていた。



     *夏祭り?*

 俺は夏祭りに来ているのだが、まさか、こんなことになろうとは思わなかった。

まず、俺、境、綾芽、香子、瑠璃、竹久の六人が神社前にほとんど同時に、着いたのだが、その後、神社の中に入ると例年の何倍いるんだ? と思うぐらい、人が異常なほど神社に集まっていたのだ。よく見てみると、そのほとんどが俺たちの学校の生徒だった。

俺たちが祭りの話をしていたことで夏祭りの印象が高まって、それが広まり、夏祭りに来たのだそうだ。

「にしても、すごい人数だよな、これ」

境はそう呟いた。確かに、俺たちが夏祭りの話をしていただけで、こんなに集まったのだとは思えないが……

「まあ、人が多ければ多いほど、祭りは楽しくなりますから別にいいんじゃないでしょうか?」



綾芽がそう言ったとき、俺は何かを、聞いた



風のように軽やかに



そして、



心に直接、話しかけてくるように



――あなたはもう、逃げられない――



という言葉を……



     *巫女*

 俺たちはもう、これ以上ないくらいに狂い騒いでいた。最初は普通の祭りのように騒いだり、遊んでいただけだった。しかし、ノリのいいお祭り男とでも言うのだろうか、そういう大人たちが、遊び疲れて休んでいた俺たちに何かの飲み物を一気飲みするようにはやし立てたのだ。それこそ、ただのノリで境たちはその何かを飲んだのだが、やはり、中身の分からないものだったのだから止めておけばよかったと俺は後悔した。まあ、俺は飲まなかったんだが……

その飲み物は酒だったわけだが、境とその他3人はべろんべろんに酔っていて、愚痴を話し合ったりしていた。これ、教師に見つかったらお終いだな、っていうレベルだった。

境と綾芽、香子と竹久、というセットで酔いつつも、色々と話し合っているようだった。その話の一部が聞こえてきた。

「だから、あのアニメはここがいいんでしょうが、ひっく」

どうやら、香子は竹久と同じくヲタクだったらしい。

他の学生も酒を飲んだ(?)らしく、いくつかの衝撃の事実が飛び交っていた。そして、あの穏やかな瑠璃はどこに行ったのだろう、と周りを見回すと……

酔っている学生たちに、崇められていた……

どういう経緯かは知らないが、瑠璃は酔っていても性格は変わっていないようで、おろおろと困っていた。

そして、酒を飲まなかった俺は酔っている友人たちの会話に入れないのは目に見えているので、この恐ろしい光景を眺めているだけだった。

「はて、どうしたもんかな」

さすがに、このまま一人で帰るのは気が引けるし、かといってあのまま友人たちを家に帰せば、両親の説教というものが待っている。そこまで考えたところで、

「よし、酔いが醒めるまで待ってるか」

という結論に達した。

そのとき、また、あの声が聞こえた。



――あなたはもう、逃げられない――



――ここは〝別離の社〟――



そのとき、俺の目には馬鹿騒ぎの光景は消えた……

 

そして、心に直接語りかけるような声は、音へと変化して言った。



「私は、〝離(り)の巫(み)女(こ)〟、情に流さるるは悪、を理とする社の守護者なり」

???

「あなたはもう、逃れることは出来ない、我の決めし運命に従うのみなり」

「どういうことだ?」

いきなりの展開に脳がついていけなかった。

状況を理解すべく、話を整理しようとしたが、声がそれをさせてはくれなかった。

「あなたは、私の決めた運命に従っていればいい、ってことよ」

さっきまでの堅苦しい言葉は消え、ただ、一人の女の子の声だけが響いていた。

俺は声のする方へ、目を向けると、そこに居たのは美しく、可愛らしい巫女だった。

巫女の頭上には紫色に染まった奇妙な鳥居があった。

「あなたは、誰なんですか?」

俺がそう聞くと

「私は、〝離の巫女〟よ。あなたをあなたの居た世界から別離させることが私の役目なの」

「何故? というか、どういう意味?」

俺は境のでっち上げの噂が本当になったのだと思った。

「理由としては、あなたは、この世界に合っていないから。意味としてはあなたは私と一緒にこの〝別離の社〟で一生を閉じるってことかしら。まあ、あなたが死んでも、私は永遠に生き続けるのだけれどね」

「もうちょっと、詳しく説明できない?」

「世界に合ってないから、私があなたの奇妙な力を抑えるって感じよ」

奇妙な力ってどういうことだろう? それについて、説明してもらおうと口を開きかけたが、目の前の巫女はそれを制した。

「あなたの質問はこれで終わり、もう、諦めなさい」

急過ぎて脳が停止しているような感覚に襲われた。

しかし、一つの、諦め切れるわけがないだろ、という感情が心の底から湧き出ていた。

「そんな意味の分からないことでこんな訳の分からない場所に閉じ込められて堪(たま)るか!」

俺は出口を見つけようと走り出そうとした。しかし、俺の体は動かなかった。巫女が俺の体に抱きついていたからだ。彼女の眼を見ると涙目だった。

「戻ろうとしないでよ!あなたは、その奇妙な力を使えば、戻ろうと思えば戻れるわ! でも、私を一人にしないで! 私は生まれたときからここに一人で居た記憶しかない。それでも、あなたのことだけは知っていた。ここ、〝別離の社〟は世界から人を引き離すための場所というよりは、永遠に触れることも出来ないで見るだけの世界に死ぬほど恋焦がれて過ごす空間なの。恋焦がれる世界において私の声が聞こえたのは、唯一あなただけなの! だから、私を一人にしないで! 一人にしないで! 一人に、一人に、一人にしないでよ……」

色々と分からないことが多くあったが、一つのことを決心するのには充分だった。

「じゃあ、一緒に俺の世界に来ないか?」

彼女の言うことから推測するに多分、そういうのも出来るのではないだろうか。

「え?」

彼女は涙で赤くした眼を見開いて、「そんなことが出来るの?」といったような顔をしていた。

「君はそうすることを望んでいるんだろう?」

彼女はもう一度泣きそうな顔でコクッと頷いた。

「じゃあ、行こう」

俺は彼女の手を取った。



     *帰りに*

 「おっ、戻ってこれたみたいだな」

あの子が無事にこの世界に居れているのか、確認しようと繋いでる手の方を見ると……

「っっっ」

「んっ、ありがとう」

彼女からキ、キスをされた。

彼女は顔を赤らめて感謝の言葉を告げた。

あの空間は暗闇だったので、彼女の黒髪はあまり分からなかったが、見てみると美しい黒髪で長髪だった。

そういえば、彼女が最初に言っていた、運命がなんたらっていうのは何か関係があったのだろうか?

「そういえば、最初のあれは?」

「ただのあなたを引き止めるための方便よ」

自分で言ってて恥かしくなったのか、赤かった顔にもっと、赤みがかかった。

「そういえば、この後どうするんだ?」

彼女は少し考えて言った。

「あなたと一緒に帰ってもいい?」

「いいに決まっているだろ」

俺も顔が赤くなっていたに違いない。

嬉しそうな顔をして、彼女は俺の数歩前を歩き、もう一つ思い出したかのように、付け足すように言った。



「あっ、私の名前は神社(かみやしろ)伊代(いよ)って言うの。」



                            (終)

神になれ!(back


同刻

 とある館

 飛鳥は館の姿からは想像も出来ないほどの清潔な部屋のベッドの目を覚ました。しかし、体を起こせたものの手錠と足枷がはめられているためそこの部屋の中しか歩き回れないようにされていた。服は赤と黒の術式を混ぜ込んだ繊維で出来たドレスに変わっていた。どうやら、飛鳥の能力を使えなくするらしい。

「お目覚めか。神を魅せた姫君よ」

「妖怪王、ここはどこ? あんたの目的は私のはずなのに何で忍を傷付けたの」

 飛鳥は妖怪王をにらみつけた。妖怪王は黒いスーツを着ており、足を組んで椅子に座っていた。しかし、今の妖怪王は前に見た時と顔が違っており仮面を被っていた。

「おいおい、攻撃してきたのはあいつの方からだぞ。俺は自衛したまでだ」

「また、人を襲って容れ物を作ったの」

「ん? ああ、そうだが、何か問題でも・」

「! 貴方は、何処までも卑劣なのね」

 飛鳥は体を抱きすくめて妖怪王を更ににらみつけた。

「ハハハハハハハハハ、それは褒め言葉かい? ハハハハハハハハハ、そうだよ。俺は卑劣さ。妖怪の王たるもの卑劣でなくてどうする。己が現で生ける為に人一人殺せないクズは我々、妖怪ではない。そなたは何処までも面白く、美麗な女子だ」

 妖怪王は口を歪ませて大声で笑った。

「嘘よ! 妖怪は本来、人と同じ姿をして自衛のためにしか力を表に出さない。だから、その妖怪達は人と交わることが出来たのよ! 貴方達は人と妖怪の和を乱すだけの存在だけでしかないわ!」

「フッ、そこまで我らの事を知っていたか。物好きなものだ。そうさ、俺は全ての人を喰らい、妖怪だけが存在する世界を作ろうとするこの世界の闇だ」

「けど、そのためなら私は必要ないはずよ。私は神が仕掛けたこの最低な戦争ゲームの設定でしかないのよ」

「しかし、貴様をある特定の儀式で殺し神を倒せば神になることも神を作り、世界の方針も変えることが出来るだろ?」

「!」

 飛鳥は体をビクッと振るわせた。黒い恐怖が心の中に流れ込んでくる。

「何で、貴方がその裏のルールを知ってるの。これは四精霊であるサラマンダー、ウィンディーネ、シルフ、ノームと同じ属性の剣の中で選ばれたそれぞれの剣を持つ者にしか知らされない事実なのに、何で貴方が知ってるの!」

 妖怪王は椅子に立てかけている剣を手にとって抜いて飛鳥に見せた。

「これは、な~んだ? ケケケケケケ」

 飛鳥は目を疑った。

「嘘、何で私の剣、『断罪』が貴方の手の中にあるのよ。それは私がこの世に生を受けた時に、龍翔から貰い受けた神を打ち滅ぼす剣なのに、どうして悪である貴方の手の中にあるのよ!」

 飛鳥は断罪を取り返そうと妖怪王に襲い掛かるが足枷の鎖に足を取られてベッドから転げ落ち、背中を強く打った。

「返して、返してよ。それは、春佑が神を倒す時に託さないといけない大切な剣なの。お願い、返して」

 飛鳥は床を這って妖怪王の足元に言って妖怪王の足を掴んだ。

「ふっ、そんなにこの剣が大事か。しかし、これは返してはやらぬ。貴様の思い人を殺すために使わなければならんからな」

「だめっ! そんなことに使わせない。強制的に私の中に戻す」

 飛鳥が断罪に向かって命令を発するが、断罪は飛鳥の中に戻ってこない。

「どうして、私の意志は絶対反映されるはずなのに!」

「そのドレスは貴様の意思を読み取れなくする術式も混ぜてあるのだ。

当然、この剣にも貴様の心は届かないぞ」

 妖怪王は足に捕まっている飛鳥を蹴って引き離した。

「かはっ!」

 飛鳥は床で蹲り、逆流した胃液を吐き出す。

「ケケケケケケ、なあ、姫君よ。貴様、その刻印を自分でどう思っている」

「はあ、はあ、……どういう意味?」

「その背中から全身にかけて描かれている不死鳥の模様を貴様はどう思っているのだ? と聞いているのだ」

「……そんなの、聞かなくてもわかるでしょ、『断罪』を手に取ったあなたになら」

 妖怪王はにやぁと笑うと

「ほう、そうか。答えは自分で言いたく無いか。まあ、いい。しかし、俺はお前とは意見が異なるな」

「まさか、これが綺麗な物に見えるって言うの?」

「そのまさかさ、神から与えられた人を抹殺する刻印など現にあるわけがなかろう。それを綺麗且つ素晴らしいと言わずにいられるか?」

 飛鳥は妖怪王を睨んだ。

「無理でしょうね。あなたには。人を殺すことにしか能がないあなたなんかに!」

 飛鳥は激怒し、叫んだが迫力は乏しいものだった。

「ケケケケ、その言葉は俺にとっては誉れなのだが? ふっ、もう、体が持たないのか、人間というのは不便だな」

 妖怪王は哀れんでやろうというばかりの声で言い、飛鳥を見た。

 飛鳥のまわりには、無数の反射術式が浮いており、飛鳥が激怒したときに放出された能力がすべて飛鳥に跳ね返り、飛鳥の体の内部で爆発したため、飛鳥の体はダメージを受けて、痛みのせいで声が出なくなっていた。

「……がっ、……ぎっ……」

「しばらく、眠っているが良い。あと少しで、俺の目的とお前の絶望が交わるのだからな」

 妖怪王は、飛鳥をベッドに寝かせ、妖術で眠らせた。

「さあ、来るが良い。神を討滅する者よ。この俺が殺してやる!」





 あとがき

 お久しぶりです。前回のあらすじが長いなーと思いながら、五ページ書かせてもらいました。(勝手に書きました)

 さて、今回は前回、または前々回を読んでいない方々のために、少し登場人物たちについて説明します。



 神谷春佑

 この物語の主人公です。

 今回をもって、姿が四つ存在することが分かりました。一つは、春佑本来の姿。二つ目は、「炎の剣」開放時、三つ目は、「黄泉の黒炎イザナミ」の封印をといた時、四つ目は、秘密です。

 基本の力は「符術」です。



 立花飛鳥(明日香)

 この物語のヒロインです。

 名前のところに(明日香)と書いてあるのは、本名としてはこちらが正しいからという意味で、飛鳥は偽名であるけれども名乗っているのはこちらなので飛鳥と表記しています。

 基本の力は「能力」と呼ばれる、飛鳥自信の覇気で出来た象形魔術的なもの(ドラ○ンボールと要領は似ている)です。例外として「断罪」という日本刀を振るいます。



 妖怪王「闇を支配する者」

 自称、「世界の闇」です。

 「闇を支配する者」というのは、通称名で本名は伏せています。

 体は昔に朽ち果てているので今は人間の体を器にして現に生きています。

 基本の力は、妖術という魔術の親戚みたいなものです。妖怪を召喚したり、剣を使ったりなどなど出来ます。



 忍

 飛鳥の幼馴染且つ元敵です。

 妖怪王と一時契約を交わしてましたが、妖怪王の目的を知って契約を破棄したところ、やられました。

 基本の力というより正体は、妖怪使いです。契約を交わした妖怪を召喚して戦います。しかし、力の元を妖怪王に食べられたので今はただの人間です。



 空守鷹

 春佑の従姉且つ符術使いの姉弟子です。春佑に恋愛という意味ではなく溺愛してます。

 基本の力は、春佑と同じく「符術」で、必殺技みたいなもの隠し持っています。正体は不明。



 空守嵩杜

 鷹の父親です。基本は何もしないでいます。

 基本の力は、「符術」です。嵩杜は鷹と春佑の師匠でもあります。



 こんなものでしょうか、あと智嘉さんや半妖の友達などが出てきますが、登場はしてないのでやめます。

 最後まで楽しんで読んで下さいね。

四月三日

締め切りがーと

思いながら書いていた

春風でした。

神になれ!(back


同日午後一一時四七分二六秒三二

 志矢神社内の空守宅の客間

 忍は目を覚ました。

「ここは、・・・・・・っ!」

 傷口が疼いた。

(私、生きてるの。それより、飛鳥は・・・・・・)

 その時、部屋の襖がスーッと開いた。

「! 何者!」

 忍は勢い良く起き上がって身を構えた。傷口が疼くのにかまってはいられないと思った。

「僕だよ」

 入ってきたのは春佑だった。しかし、忍にはこの姿を見せたことがないため彼女はただ首をかしげていた。

「あんた、誰?」

「一昨昨日、戦った相手ぐらい覚えてろよ。お前」

 春佑は呆れ顔を作って言った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・神谷春佑! 何で! アンタ女だったの?」

「いや、女じゃないし」

「嘘をつくな! じゃあ、その、・・・・・・む、胸の膨らみは何なのよ」

 忍は春佑の胸を指差して言った。もはや、意味がわからなかった。

「ん~。まあ、今は女なんだけど。一応、元の姿は男だよ。ついでに言うと、僕はあともう一つ形態を隠してるんだよね」

「何、その某アクション系アニメの悪役のりは。それに、アンタ、学校じゃすごい女顔で長い銀髪の未だに身長百五〇センチにも満たないチビだったじゃない」

「ぐっ、それはすべての力の封印をしてるから、成長機能も一緒に蓋されている所為だ。だから、本来の僕はチビじゃない!」

「……負け惜しみね」

 忍は布団の中に戻りながら言った。言った言葉は春佑の心に強く刺さった。

 春佑はその場にうずくまって、何かをブツブツと言っていた。

「それで、飛鳥はどうなったのよ」

 忍はようやく、本題を切り出した。

「助けられなかった。というのが第一の答えで。だから明日の夜改めて助けに行く。というのが第二の答えかな」

 自分の問いた答えを聞いて、忍は掛け布団で顔半分を隠した。

「あたしの、所為、だよね。私があいつに加担したから――」

「そんなこと無いよ。君はよくやった。記憶を覗いたが、君はあいつが飛鳥を狙ってるなんて知らなかったんだろ」

 春佑は立ち上がってから言った。

「・・・・・・・・・・・・うん」

「なら、その失敗のツケはしっかり傷を治してから払えよ」

 春佑は襖を開いて出て行こうとした。

「嫌だ、あたしも」

「ダメ」

「まだ、何も言ってないじゃない」

 忍は怒って起き上がった。

「一緒に助けに行くとでも言うんだろどうせ。無理だよ。来られたらむしろ迷惑だ。力の元を妖怪に食われた妖怪使いを連れて行っても、妖怪に食われるだけだ。それにお前は怪我人だ。怪我人を戦場に連れて行く馬鹿が何処にいる」

「八十年以上前の日本」

「それは、激しい戦場で負傷した場合だけだ」

「今、あたしがいるのも戦場よ」

「違う、ここは神聖な神社だ」

「~~~~~~~~~~~~!」

 忍は黙り込んで掛け布団を握り締めている。春佑はそんな様子など目に留めず部屋を出て行った。

「何であたしは、こんなに足手まといなの・・・・・・」

 忍は布団に顔を埋めて泣いた。悲しみと悔しさと怒りを抱いて。





 翌日午後八時三〇分五八秒一四

 志矢神社前

「それじゃあ、気をつけてね」

「うん。絶対、飛鳥を連れて戻って来るよ、鷹姉」

 鷹は心配そうな表情で春佑を見ながら、両手に持っている刀を俊輔に差し出した。一方で、春佑は自信に満ち溢れている様に笑い、刀を受け取った。

「心配すんなって。鷹姉が笑ってくれないと、こっちが心配になってくる」

 鷹は頷くと、笑った。しかし、上手く笑えなかった。どんなに笑おうとしても顔の筋肉が動かなかった。

「全く、どんだけ心配性なんだよ。ほら、これ持っとけよ」

 春佑はスカートのポケットの中から蒼い炎が中に点いている小さな水晶玉を取り出し、鷹の手に握らせた。

「それは、僕の力の存在を表している。その炎の色が変わっても消えない限り僕は死んでないよ。これで僕の安否が分かるだろ」

「うん、いってらっしゃい。シュン。私の可愛い弟分」

 今度は上手く笑うことが出来た。やはり、春佑は人を操るのが上手いと鷹は改めて思った。

「ありがとう。鷹姉。絶ッッッッッッ対、皆で笑って戻って来るよ」

 春佑は札をポケットから取り出して呪文を唱えると、一瞬のうちに天に舞い、飛鳥を助けるため妖怪の巣窟へと向かった。


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神になれ!(back


同日午後七時二六分十二秒七四
 志矢神社内の空守宅

「鷹の様子はどうだ、春佑」

 嵩杜が鷹の部屋である和室に入ってきた。

「今は眠ってます。一応、火傷と出血の方は符術で治しましたが、体力の方は何とも言えませんね。学校から走ってくることさえ体にダメージを与えてしまうのに僕の暴走を止めるために、・・・・・・」

 春佑は布団の上で眠っている鷹に視線を向けた。

「まあ、仕方がないさ。こいつは昔から何かと無理をしたがるからな」

 嵩杜は少々呆れ気味に言いながら、眠っている鷹の髪を手で軽く撫でた。

「さて、こいつはあと二時間は目を覚まさんが、春佑、救出はいつにする?」

「明日の夜です。今の姿での力を安定させるには明日の朝まで掛かるんで」

「それから、直じゃダメなのか?」

「妖怪は昼も活動してますが、夜じゃないと気配が僕でも感知できないんですよ。それに、ほらこれを見てください」

 僕は懐から一枚の紙切れを取り出した。

「何だそれは、むっ、これは何かの招待状か?」

「はい、そうです。それも、人間を誘き寄せて食べる物の怪もののけ達のためのパーティの招待状です」

「何だと、そんなもの何処で拾った」

「貰ったんですよ。知り合いの半妖に。一応、妖怪王主催っぽいんで妖怪王も来るかな? と思ったんで、妖怪王を撃退するつもりで貰っておいて正解でした」

 春佑はにやりと笑った。

「なら、出発は明日の夜ということにしよう。っと、これを渡しておかんとな」

 嵩杜は懐から赤い宝石が付いた腕輪を取り出して、春佑に渡した。

「封印系魔具の一種ですか? その割には術式がかなり薄いですが・・・・・・」

「智嘉ちかがお前に『炎の剣クサナギ』を託すまで使っていた魔具だ。効果は知らんがな」

 春佑は手の中にある魔具を見つめてから、嵩杜に礼を言った。

 嵩杜は「大事にしろ」と言って部屋を出て行った。



 智嘉というのは、春佑の母親の名前である。智嘉は現在、東京の大学病院で毎日を眠って過ごしていて、春佑とは五年も口を利いていない。原因は体に溜まった悪しき魔力だった。魔力を体から出す方法は無く、目覚めることはもう無いらしい。



 春佑は鷹の部屋を出て、つい二時間前までいた庭に出た。

 春佑はさっき渡された腕輪を腕にはめて思いつくままの呪文を一通り唱えたが、腕輪は一切反応しなかった。ただ、赤い宝石が月の光で輝いているだけだった。




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神になれ! 第三話

希宮 春風

前回のあらすじ

 二〇二五年九月三日午後三時二五分五九秒七七。

 立花たちばな飛鳥あすかは縁側から志矢しや神社の庭を見ながら、過去を思い返していた。すると、庭に傷ついた忍しのぶが空中より落下した。忍を傷付けたのは、先一昨日に路地裏で激突した妖怪王「闇ダをー支配クマするター者」。怒りに飲まれた飛鳥は戦力差が歴然であるのに関わらず妖怪王へと突撃した。

 その結果、飛鳥は妖怪王に完敗した。

 倒れた飛鳥を連れ去ろうと妖怪王は飛鳥を抱え上げた時に、春佑しゅんすけが駆けつけた。しかし、春佑は飛鳥の能力ディフェンスの封印が無理矢理、妖怪王の手によって解かれて、封印の副作用に犯されている飛鳥を見て、冷静さを失って力任せの突撃をしたため、妖怪王に一撃で撃破されてしまい、飛鳥は連れ去られてしまった。





 同刻、妖怪王が去った後の志矢神社

 庭にうつ伏せの状態で倒れている春佑を黒い炎が包み込んだ。炎は悲しそうな音を立てて燃え上がった。

一分ほど燃え上がっていた炎は灰を散らさずに消えた。炎が消えた後に残ったのは、燃え滓ではなく喪服のような巫女装束を着た少女・・だった。

 少女はしばらくすると起き上がって放心していた。





 同刻、志矢神社前

 空守からす鷹ようは走っていた。なぜ、走っているのかというと、神社に張ってあった感知術式ディスカバーの中に侵入者が現れたといって加速術式スピードコントローラを使って神社である自宅に向かった春佑を追っているからだ。

 鷹は春佑の従姉で、現在十六歳の高校ニ年生である。彼女は志矢神社の巫女で神主である父、嵩杜たかもりを尊敬している。幼い頃より春佑と共に札と言霊を使って術を敷く符術を学び、腕は春佑より上ではあったが、とある事情により使うことができない。そのため、春佑よりも到着が遅れたのだ。

 神社の本殿までにある石段、約二〇〇段を上っていく。上っている途中、本殿の方から黒い炎が上がったのが見えて鷹は階段を上るスピードをあげる。春佑の体に何らかの死に直結する力がかかって、春佑の命を守るために封印の開放が行われたのだ。その様子を見る限り、飛鳥の救出は叶わなかったと判断できた。しかし、鷹は飛鳥のことよりも春佑の事が心配だった。敗北により、春佑の心に負の感情が溜まってしまい、現在の春佑の力の暴走により、春佑が死んでしまうと思ったからだ。

 本殿にたどり着いて鷹は春佑の姿を探す。鷹は表を探した後、本殿の裏の庭に向かった。そこで、鷹は春佑を発見した。春佑は中学生ぐらいの少女の姿になっており血まみれで倒れていた忍に手当てをしていた。春佑の目は虚ろで心が負の感情に満たされ始めているのが分かる。

「・・・・・・・・・・・・シュン・・・・・・」

 その様子を見て、鷹は胸が締め付けられるような感じがした。

 敗北による悔しさと己に対する怒りが伝わってくる。

 鷹は見ていられなくなり春佑に近づいていく。それに気付いた春佑は顔を上げ、鷹を仰ぎ見た。

「ごめん、飛鳥を助けられなかった。冷静になっていれば助けられたかもしれないのに・・・・・・・・・・・・」

 春佑の目に涙が滲む。その時、春佑の足元に黒い炎が渦巻き始めた。



暴走の予兆



 鷹は唇を噛み締めた。

(落ち着け、まだ大丈夫だ。まだ・・・・・・)

鷹は拳を握り締め、春佑の胸倉を掴み、立たせると有りっ丈の力を使って春佑の顔面を殴った。

 春佑は殴られた事に気付いていないような虚ろな眼をしながら、肉を砂利に打ちつけ転がった。地面に仰向けに転がった春佑の周りにはまだ黒炎が渦巻いている。

 鷹はもう一度、春佑を無理やり立たせて殴った。

「・・・・・・くっ、いい加減、気付きなさいよ!」

 殴る。

「今、この状況で」

 殴る。

「飛鳥を救えるのが」

 殴る。

「あんたしか」

 殴る。

「居ない事に!」

 殴る。

「!」

 鷹の手は既に、火傷だらけで更に、出血をしていた。血がポタポタと砂利に落ちて染み込んでいった。しかし、鷹はそれでも春佑に殴りかかった。

 しかし、その拳は春佑の手に受け止められた。

「っ!」

 春佑の足元には既に黒炎は無く。腫れた顔にある目は光を宿していた。

「ごめん、鷹姉。もう、大丈夫だから」

 春佑は笑い、鷹を抱き締めた。その時、鷹は春佑の腕の中で意識を失った。


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鬼刀記(過去編)(back)


さて、そろそろ追いかけないとまた見失うな。
 座紅髏はもたれ掛っていた木から背を起こして立ち上がると、鎌を持って森の中へ入っていった。

 森の中には夜行性の生物達のけはいで満ちていた。

「ここから、五百メートルあまりってとこかな」

 座紅髏は走り出す。走った後の地面は割れ、彼の体に触れた木草は消飛んでいった。

 すると、一分も満たない家に山の中にある民家を発見した。

「ここか」

 座紅髏は民家に向かって足を踏み込んだ瞬間、何かが切れた。

 すると、辺りの風景は摩天楼へと姿を変えた。

(心象風景を作り出しただと! こんなことが出来るのは、あいつしか)

 座紅髏が辺りを見渡し、丁度後ろを振り返った時、剣先が暗闇から現れ、肩を掠めて通り過ぎていき、遥かへと飛んでいった。

「何処にいる! ××! 姿を現せ!」

「ここにいるじゃないか、君の後ろに」

 座紅髏の首筋の元に太刀の刃が当てられていた。

「××、封印を解いたのか」

「何を今更、お前が引き金だというのに」

「公恵はどうした、俺はあいつを殺しに来たんだ」

「安心しろ、この空間の外だ。さっさと鎌を捨てて自らに張った嘘を解け」

 刃が首筋に少しだけ食い込んで、血筋がスーと流れた。この状態から状況が覆るのはほぼ不可能だった。

「ウッるせえ!」

 座紅髏はそれでも鎌を振るって、抵抗した。すると、××は座紅髏から離れて間合いを取った。

「! 何でお前、俺の首を取らなかった」

「ふっ、雑魚の首など取るにたらんわ!」

「きっ! なめんな!」

 座紅髏は鎌を振るって××に襲い掛かる。しかし、鎌はただただ空を切っていくばかりだった。

「この! この! この! この!」

 座紅髏は息が切れてもなお、鎌を振り続けるが一向に鎌は××に当たらない。

 刹那、座紅髏は地面に押し倒され、心の臓を刀で簡単に貫かれた。

 血が傷口からドプドプと流れている。

(……し、死ぬ! ……いくら、鬼の治癒力があるからってこのままじゃ……)

 意識が薄れていく。さっきまで鎌を振っていた腕はもう上がらなかった。気管に入った血で息苦しくなり何度も咳き込んで血を吐いた。

「これから、お前の罪を殺す。そのためには、お前は一度今の自分を殺さなければならない。すまないが、もう少し苦しみに耐えてくれ」

 ××は優しい表情で言い、刀を座紅髏の体から抜いた。

 鮮血が飛び散り、座紅髏は目を開けたままピクリとも動かなくなった。

 ××は座紅髏の開いたままの瞼を右目だけ閉じた。

「さあ、蘇るんだ。君はもう在る筈のない罪を償わなくていいんだ。一緒に魅麗みれいがいる所へ戻ろう」

 ××は今まで前髪に隠れていた右目を出し、座紅髏の左目と合わせた。

 すると、××の右目は蒼く光り、座紅髏の体を蒼炎が包み込んだ。

 蒼炎に包まれた座紅髏の肌はどんどん燃えて灰となり、地面に落ちていった。座紅髏は骨だけになり、完全に焼き殺したようにも見えた。

 しかし、骨になった座紅髏の胸の中心から血のように真っ赤な炎が座紅髏を包み、灰は肉へと再生され骨にくっついて人間の姿に成っていった。そのとき、座紅髏が持っていた大鎌と小さなナイフ、「吸血鬼の刃」が粒子へと分解されて、座紅髏の中へ入っていった。

 座紅髏はさっきまでとは姿が異なる、少女の姿になっていた。



 鬼名「深紅の姫鬼(スカーレット・ヴァンパイア)」マリン・V・ガーネット、これが座紅髏の本当の姿である。血の色というのが相応しいほどの真紅色の髪を持ち、今瞑っている目は碧色をしている。肌は白く、艶めかしくも美しい肢体がとても印象的である。

 鬼名というのは、鬼に与えられるもうひとつの名前だ。鬼の属性にちなんで名前は家族でも姓が一致しない場合がある。

 ××こと神谷龍翔は右目を晒したまま、彼女の中に神罰刀「断罪」で取り出した彼女の魂を返そうとした時、龍翔の体内にあるマリンの魂が龍翔に語りかけた。

『私に魂を返さないで、龍翔』

『如何して、君はこれで元に戻ってもとの生活に戻ることが出来るんだぞ!』

『いいえ、私はもう元の日常に戻ることなど出来ません。何故なら、私はお義父様の自殺なさった亡骸をバラバラに切断してたんですから』

『! しかし、それは君の意志ではないんだろう?』

『いいえ、あの時までは自分の意志がありました。ただ、その遺体を魅麗に見せまいとバラバラに解体して運び出そうとしたんです。まるで、自分が殺して自分の罪を隠そうとするかのように』

 龍翔は刃を喰い縛っていた。マリンの記憶の中にその時の記憶が存在したからだ。

『けど、君がここで死んだら魅麗はあいつは、また悲しむことになるんだぞ。今度は心の乱れだけでは済まないかもしれないだぞ……』

『……そのときは貴方を頼りにしています、魅麗は貴方さえいれば大丈夫です』

『もし、そうだとしても、俺は君を見捨てた自分を許すことが出来なくなる』

 マリンの魂が揺らいだ。消えかかっているのではなく意志が揺らいだのだ。

『貴方の所為じゃありません。これは私の意志なんですから』

『死んで償うなんて馬鹿な事を言うな!』

『!』

『いや、償うんじゃないな。逃げるんだ。君は自分の責任を抱えきれないからって、ここからこの世界から逃げるんだ!』

『違う、私は自分への罰として――』

『違わない。君は逃げるんだ。それに君は人に頼ることを知らなすぎる。何で君一人で背負おうとしているんだ。どうして、俺達を頼ってくれないんだよ!』

『だって、私の事は貴方とは関係――』

『あるに決まってんだろ! 俺は君を助けるために力を取り戻したんだ。死のラインを超える手前からマリン! 君を助けるために這い上がってきたんだ。その俺の気持ちまで自分の思いと一緒に踏みにじるつもりか!』

『…………わ、たしだって。私だって元の日常に戻りたいって思ってるに決まってるじゃない! けど、私は他人を傷付けすぎたの、傷付けすぎてもう治すことが出来ないの!』

『じゃあ、俺がそれを治してやる。マリンが抱えてるもの全部俺が背負ってやる。だから、マリンはもう何も背負わなくていいんだ。君は他人には優しすぎるのに、自分には酷いほどに負担を強いる。もう、楽になってもいいんじゃないか?』

 龍翔はマリンの魂に呼びかける。



『………………うっうっ、……』



 彼女の魂は今、泣いている。

彼女は自ら、飛び込んだ闇の中なのに自らが望んだ結末なのに、それでも自分を光へ導いてくれる優しく、自分の全てを預けられる人に出会うことが出来たのだから。





 マリンが自分の魂を受け入れ、魂を再度からだの中に灯した頃には既に朝になっていた。

 太陽が山間から顔を出し、湖を月とは違う光で金色に光らせた。

「柘榴!」

 祖母の家に柘榴を連れて戻った時、鬼谷公恵(「陽光の姫鬼(シャイン・ヴァルキリア)」黒雛魅麗)が離れの方から走ってきた。

 公恵は勢い良く柘榴に抱きつくとそのまま地面に転がった。

 柘榴は「痛い、痛い」と言いながらも楽しそうに笑っていた。

 僕はしばらく柘榴に抱きついていた公恵を離れさせ、柘榴を立たせると取りあえず、離れの中に入った。

 さて、どうやって公恵に弁明しようかな。







 七ヶ月と二十日後

 僕と彼女達は再会した。

 もちろん高校でだ。

 あの後、調子を戻した僕(祖母の家にいた理由は、持病の療養のため)は、必死に勉強して、辛うじて県内の高校に入ることが出来た。

 担任は奇跡だと言っていた。まあ、間違いではないね。

 現在の僕の生活といえば、公恵が前の席にいるのでたまに後ろからいじって遊んでみたり、柘榴に部活で連れまわされたりと楽しい毎日を送りながら神と戦っている。



 追伸: 座紅髏は男のときで柘榴は今だから使い分けといてよね! という指摘をこの前受け取った。まあ、女の子の名前に髑髏の「髏」をいれる親なんていないしね。

鬼刀記 (過去篇)

希宮 春風



前回のあらすじ

 中学生活最後の八月十五日、深夜のコンビニでぶら~りしようとしていた僕は、いきなり会ったこともない少女、鬼谷公恵に拳銃を向けられてしまう。しかし、彼女の天然(?)っぷりのおかげで見事、九死に一生を得ることができた。彼女の話によるとただの人間違いであるということで一件落着だと思った矢先、襲撃者かつ鬼谷の兄である座紅髏に襲撃された。幸い、僕は鬼谷によって無傷で済んだが、助けに来た鬼谷が座紅髏のナイフに胸を刺され傷を負ってしまった。僕はその時、何もできずにそこにいた。



 そして、今僕は傷を負った鬼谷を背負って山中を駆けていた。




 胸の辺りが熱い。そう思ったのは、座紅髏に刺されてしばらくしてからだった。幸い即死するような傷ではなく、赤黒い血がゆっくりと体の外に出ている様だ。体はあの人に背負われている。服は鬼人化バーストした状態から家を飛び出したときの状態に戻っていた。

 私、負けたんだ。

 自分に対する怒りがこみ上げる。力を失い、記憶をなくしたあの人を傷付けられて頭に血が上っていた。本当は座紅髏を止めるのが目的だったのに、殺そうとしていた。

 私の頬を涙が伝った。

 悔しかった。また、あの人に助けられてしまった。今度は自分が守ってあげないといけなかったのに、あの人のことを忘れかけていた。

 気管に入った血を吐き出すために咽ながらあの人の背中にしがみ付いた。



 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。……





気絶したふりをしてから、五分が経った。

 オレは起き上がって近くの木に近づいて、その木にもたれ掛った。大鎌は人に見られないように木の後ろに掛けておいた。

 頭が痛い。さっき、あいつに投げられた時に間違って後頭部を打ってしまったからだ。鬼人化してなかったら確実に脳震盪を起こして気絶してると思った。(あいつ、本当に力を失ってるのか?)

 オレがあいつに顔を見せた時、あいつ、ビビってるクセに目の奥が真剣だった。ただ、オレを、オレの心をじっと見ていた。(あいつ、記憶が……)

 ナイフを持った手に赤黒い線が走っていた。復讐をしようとしてたのに何で急所を思わず外してしまったのだろうか。



 どうして、こんなに胸の奥が痛いのだろうか。





 息を荒あげ、公恵を背負って山道を駆け上がってすでに十分が経過していた。そして、ようやく目的の祖母の家にたどり着いた。

 僕は祖母がいる母屋の方ではなく、僕が泊まっている離れに公恵を連れて行った。祖母と血まみれの彼女との遭遇を回避するためだった。

 離れの中に入って和室の畳の上に公恵を背中から降ろした。

 血はどういうわけか止まっており、ただ公恵は眠っているだけだった。

「おい、大丈夫か。鬼谷!」

 僕が名前を呼ぶと、鬼谷は目を覚ました。

「……うっ……」

「よかった、気が付いたか」

「……ここは何処ですか?」

「一応、家まで逃げて運んできたんだけど、傷、平気なのか?」

「え、あ、大丈夫です。一応、鬼ですから。けど、大丈夫なんですか? 座紅髏が追ってくる可能性もあるのに……」

「うーん。大丈夫じゃない? ここ、森のど真ん中だし?」

 僕は座紅髏が追ってくる可能性を忘れていた。うーん、そういやそうか。

「早く、逃げてください。座紅髏が追ってきますから」

 鬼谷は起き上がるが、傷口が疼いた様で胸を押さえた。

「無理するな、俺は大丈夫だから」

 僕は鬼谷を寝かした。

 すると、鬼谷は目を見開いてから言った。

「紅葵がどうしてそこにあるんですか? 貴方には持てない筈なのに」

 鬼谷は床に転がっていた紅葵を見ていた。

「えっと、何か。勢いで拾ったら持ってこれたみたいな」

「まさか、封印が解けかけているんですか?」

 鬼谷は僕の方に顔の向きを変えて言った。その表情は何かに怯えている様だった。

「最近、急に変な映像が頭によぎったことはありませんか?」

「ん? あるけど? それがどうした?」

 鬼谷は完全に青ざめていた。

「封印が緩んできているのですか?」

「はい?」

封印? 今、封印って言ったか。僕の事を何か知っているのか!

「おい、鬼谷。お前、俺の何を知ってる! 答えろ!」

 僕は鬼谷に掴みかかって言った。鬼谷は僕から目をそらしている。

「嫌です。言ったら、貴方の封印は確実に解けてしまいます」

「だから、何の封印なんだ! それを早く言えって言ってるんだろうが!」

「……くっ、じゃあ、貴方は自分の命を捨てることが出来るんですか」

 鬼谷は唇を噛んでから僕に向き直って言った。

「は? 何言ってんだよお前。俺が自分の命を掛けるのと俺の事についてお前が話すことなんて関係ないだろ!」

「関係あるから、言ってるんじゃないですか!」

 鬼谷は噛みつくように言った。

「貴方が、自分の正体を聞いてしまうと貴方は二分の一の確率で死にます。貴方の正体を言うことは貴方の封印を解くことになるんです。もし、上手くいって封印が解けたら貴方は元に戻って、私よりも強く、座紅髏を救う力を得ることが出来ます。しかし、失敗すれば貴方は自分の力に潰されて死ぬんです。だから、その覚悟があるんですかって私は聞いているんです!」

 鬼谷は僕の胸倉を掴んで泣きながら言った。すると、僕の頭の中にまた映像が流れた。間違いない。これは僕が知らない過去だと分かる。そして、その映像が流れ終わるとすぐに僕の覚悟は決まった。

「鬼谷、俺の正体を教えろ。僕は座紅髏を救いたい。だかた、僕に力をくれ!」

 鬼谷はその言葉を聞くと、僕の胸倉から手を離し、床に手を着いた。

「やっぱり、貴方は昔から変わりませんね。敵いませんよ」

 鬼谷は顔を上げて笑い、立ち上がると僕を床に転がっていた紅葵で斬った。

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ランチとおやつ2(back)




昼休み


「なあ、滝峰。何で辰美は僕と付き合ってるんだ?」

 開放された屋上で坂木と昼食を取っていたところ、坂木の口からよく分からない言葉が飛び出してきた。

「どういうことだ?」

「いやさ、中三の春だっけ? 受験が終わってすぐ、アレが起こってしばらくしてから、僕と辰美は付き合い始めただろ」

「へえ、そんなに持ってたんだ。お前みたいな貧弱よく生きていけたな。褒めてやるよ」

 僕は坂木の頭を撫でるフリをして彼を弄った。

「うっ、まあ、僕が貧弱であるのは認めるけどさ。本当にこれで良かったのかなって」

 坂木は購買で買ったらしきパンを口に運びながら言った。

「何が?」

「・・・・・・辰美はさ、まだお前のことが好きっぽいんだよね」

「・・・・・・」

 僕は、サンドイッチを食べながら黙った。

「ほら、だってさ。僕、滝峰と辰美との間がこじれた時に辰美に告白しただろ、だから、その・・・・・・・・・・・・僕は卑怯者なんだよ」

 僕は最後の一切れを口にしてから言った。

「別に、卑怯で良いんじゃねえの? それと、辰美がお前と付き合ってるのは弱ってた時に漬け込まれたからじゃない。今のだと、辰美が軽く堕ちるって言ってるようでなんかムカつく」

 僕は紙パックのジュースを飲み干すと立ち上がった。

「告白した時、辰美はお前の事を好きになれるように頑張るって言ってたんだろ。じゃあ、今はその途中じゃねえかよ。簡単に諦めんなよ、辰美のこと」

 僕は出口に向かって歩き出した。

「それは助言かそれとも嫌味か?」

「両方って言っとくよ。頑張れ、少年」

 僕は屋上を後にした。


 もう、後戻りはできないんだよ。


放課後



 今日は六時限目までだったが、僕は急いで学校を出た。小学校の預かり施設にいる春歌を迎えに行く必要があるからだ。

 今頃は学校の友達と仲良く遊んでんのかな。



 小学校は高校から三分ぐらい歩いたところにある。施設はその中に隣接されている。

 僕は、校門ではなく施設の前にある門から中に入って春歌を探した。

 施設の中を覗くと、春歌はすぐに見つかった。どうやら、宿題を友達としているようだ。

 すると、中にいた施設の人がこちらに気付いて春歌に僕が来たことを伝えた。

 しばらくして、中から春歌は出てきた。

「おかえり、春歌」

「ただいま」

「よし、帰ろうか」

「うん」

 僕と春歌は手を繋いで門を出て家路についた。



 家に帰るとそこには先客がいた。

「辰美お姉ちゃん!」

 春歌は僕の手を解いて、辰美に向かって走っていった。初めて会ってから一月しか経っていないのによく懐いてるな。

「おっかえり~。春歌ちゃん。今日も可愛いねえ」

 こっちはベタ惚れか。

 家の中に入ると僕はリビングで学ランを脱いでキッチンのシンクで手を洗う。

「お兄ちゃん、今日のおやつって何?」

「ん、ちょっと待ってろ。ほら、辰美に紅茶でも入れてやれ」

 僕は棚から紅茶のティーパックを三つ、カップを三つ取り出しお盆の上にそれらを置いて、スティックシュガーを最後に春歌に渡して運ぶように指示した。

 春歌は快く、それを受け取った。猫被りやがって。

 僕は冷蔵庫の中から昨日の夜に作って冷やしておいたシュークリームを取り出した。そして、それを皿に盛り付け最後に粉砂糖を振り掛けてテーブルに持っていった。

「「わーい。シュークリームだ」」

 見事にハモっていた。なんだこいつら。僕は紅茶に砂糖を入れずに飲む。

 春歌と辰美は一緒にシュークリームにかぶりついていた。

「春歌、気をつけないと、クリームが落ちるぞ」

「わかってる、あ」

 春歌が持っているシュークリームからクリームがこぼれてテーブルの上に落ちた。

「ほら、言わんこっちゃない」

 僕は布巾を取って、落ちたクリームをふき取った。

「あーあー、勿体無い」

 春歌は反省せずに布巾に絡み取られていくクリームを見ながらいった。そうさせたのはお前だけどな、吾が妹よ。

 家に帰ってからのおやつの時間はその日の出来事を喋る機会である僕と辰美と春歌の習慣だ。

 今日は主に春歌が喋っていた。今日はクラスの係りがあって面倒だったとか、友達と遊んで楽しかったといっていた。



 夕食の買いだしついでに、僕は辰美を家まで送った。そこで僕は辰美に言った。

「今日、昼休みに坂木が言ってたよ。辰美は僕を見てくれてないって」

「そう、なんだ」

 辰美は下を向く。

「一応、あいつには頑張れって言ったけど、ちゃんとお前も見てやれよ」

「わかってる、わかってるよ。でも・・・・・・」

 辰美は立ち止まって、鞄を持っている手を強く握りしめた。

「でも?」

「私は、まだ、琢弥のことが・・・・・・」

 僕はその言葉の続きを知っている。けど、僕は何もせずに彼女を見ていた。春風が僕と辰美の間を通り抜けていった。

「ねえ、キス、してよ」

 辰美の口からとんでもない言葉が飛び出してきた。

「何言ってんだよ、お前」

 僕は今にも泣きそうな目をしていた辰美を睨んだ。多分、今僕は今まで誰にも見せたことも無いような怖い顔をしている。本当はこんな表情をしたくなかった。けど、これじゃ、また・・・・・・

「ねえ、お願い。キスしてよ。このままじゃ、私、琢弥のことを諦めることができない。だから――――」

 辰美は棒立ちの僕に抱きついた。僕は気持ちが迷って抵抗することが出来なかった。

 しかし、このままで良いのだろうか? このまま、辰美とキスをしてしまって良いのだろうか――――――――

「ダメだ、それは。それは、坂木に対する裏切りだ」

 僕は辰美の肩を持って、僕から引き離した。すると、辰美はその場に崩れ落ちた。

 僕はそんなことは気にせずに辰美の横を通り過ぎていった。

 後悔はした、しかし、これで良いんだ。僕が一緒だと辰美はまたあの時の様に傷つく。だから、これで良いんだ。

 僕は振り返ることなくその場を歩いて立ち去った。



 辰美はあの後どうなったんだろうか。それだけが気掛かりだった。

立ち去るまで聞こえていたすすり泣きはもう止まっているだろうか。

 僕は唇を噛み締めた。

 すると、家を出た時から立ち込めていた暗雲から透明な液体が落ちてきた。春特有の変わりやすい気候の所為のはずなんだが、その時の僕には暗雲が僕らの心に見えた。





 翌日

 急な胸の痛みによって僕は、通学路のど真ん中で倒れた。

 これが僕の新たな物語の始まりだった。

ランチとおやつ1

壱潟満幸







「お兄ちゃん、おはよ~う」

 いつものように小学一年生の妹、春歌が起きてきた。

 僕は弁当(二人分)を作りながら、眠たそうに現れた妹を見た。

「おはよう、春歌。朝ご飯もう出来てるから、早く顔を洗ってこいよ」

 弁当に今日の献立、野菜が多めのサンドイッチを詰め込みながら言った。

「うん」

 春歌は頷くと洗面所に向かっていく。

「よし、出来た」

僕は弁当箱の蓋を閉め、包みで包んで朝食をテーブルに並べていく。ご飯、味噌汁(実は豆腐と揚げ)、ハムエッグ(付け合せ:レタスとトマト)、春歌は牛乳(本人が希望した)、僕の所には煎茶を順に置いていった。

 さて、もう気付いているだろうがこの家の中には親がいない。なぜなら、両親は海外に転勤でアメリカいやオーストラリア? エジプト? まあ、そこら辺の国を飛び回っている。

 ついでに言うと、春歌は幼稚園までは海外で両親と一緒に過ごしていたのだが、小学校に上がると同時に日本に帰ってきたのだ。

 さらについでに、母親は毎日、朝の五時半(日本時間)に電話を掛けて異様なテンションでその日の愚痴や出来事、父親への不満を僕の鼓膜に叩きつけて電話を切っていく。全く、迷惑なことだ。

 ガチャッ

 リビングのドアが開いた。どうやら、春歌が戻ってきたようだ。

 僕は食事時の定位置に座り、春歌が座るのを待った。そして、春歌が座ったのを確認すると一緒に手を合わせて、日本流の挨拶をして朝食を食べ始めた。

 春歌は席に付く前に朝の子供向けバラエティをつけていたようで、そちらをじっと見ていた。僕もちらりとそちらを見ると某有名声優がお決まりの挨拶をしていた。テレビの左上には七時五分と表示されていた。うん、いつもと変わらないな。

「春歌、よそ見してないで早く食えよ」

「わかってる」

 春歌はテーブルの方に向き直り、味噌汁を啜る。

「そういや、保護者懇談だっけ? その手紙、ちゃんと書いたから持っていけよ」

「はーい」

 僕は味噌汁の汁を飲み干して、席を立ち食べ終えた食器を食洗器の中に入れた。

「食べ終わったら、ちゃんと、皿を水で濯いでから入れろよ」

「わかってる~」

 春歌はむくれながら箸を握ったまま腕を振り回していた。

 そして、僕はジャージから制服に着替えるためリビングを出た。



 自分の部屋に戻って、ジャージを脱いで制服に着替えた。

 そして、今日提出分の宿題と授業がある教科の教科書とノートをエナメル鞄に放り込んでいった。

「あれっ、筆箱は・・・・・・っと、あったあった」

 机の下に転がっていた筆箱を拾い上げ、鞄の中に入れた。

「あ、体操服」

 僕は箪笥たんすを開けて、サブバックの中に体操服を入れた。

「これで、全部・・・・・・・・・・・・だな。よし」

 僕は鞄を肩にかけ、サブバックを持って部屋を出た。



 リビングに戻ってみると、春歌は朝食を食べ終えて、登校時間が来るのをテレビを見ながら待っていた。

「じゃあ、俺もう出るから。ちゃんと、鍵閉めていけよ」

「はーい」

 丁度その時、チャイムが鳴った。

 僕は弁当をカウンターから取ってリビングを出て、靴を履くと外に出た。

「やっほー。琢弥!」

「いつもどおりの挨拶ご苦労。高校生になってここ半月それが挨拶の定番になってきているのだが、そこら辺どうにかしろよ」

 僕は門を出ながら、辰美に言った。

「えー、それしか気の効いた挨拶を私はあと何十個か知らないよ?」

「じゃあ、その何十個かの挨拶をせめてローテーションにしろ。でないと毎朝の新鮮さが失われていく」

「まあ、いいじゃん。どうでも」

「ああ、どうでもいいよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 辰美は僕の方を睨み始めた。

「今までの会話のために消費した私の今日のエネルギーのナンパーセントを返せ! この――」

「はい、これ今日の弁当ね」

 僕は辰美の怒り(フリ)を無視しながら、持っていた弁当箱の可愛らしい柄の包みの方を彼女に渡した。

「うわー、無いわーこの人。人が面白いことを言おうとしてたのに、何でスルーして弁当渡してきてんだよ!」

「え、いらないの?」

「いります。絶対、いります。無かったら午後の体力が持ちません。スイマセンでした。スイマセンでした。スイマセ――――

って何無視してるんですか! あなたは!」

 辰美とのつまらない朝のトークを無視して僕は歩き出していた。まあ、こんな毎朝が過ごせるんだから、コイツとの付き合いは飽きないんだけど。

 茅葺辰美、それがコイツの名前である。僕より、二十センチ以上も小さい一五二センチの身長でありながら中学の時に空手の全国大会を制覇したというのだから驚き。あ、身長は関係ないか。

 当然ながら、僕と辰美の関係は幼馴染以上恋人未満というよくある関係である。もう一つコイツとの関係を示すとしたら、弁当を作ってそれを毎朝渡し、かかった費用を利子を殆ど付けずにもらうという格安弁当の客かな?

「あれ? 今日の弁当箱はいつもより軽いな」

 辰美は弁当を上下にゆっくり移動させて重さを確かめていた。

「まさか、葉っぱ系の野菜を詰め込んだだけとは、言わないよね」

「三分の一正解」

「三分の一ってどういうことよ」

「パンが二分の一、玉子、ハムが六分の一だから」

「ああ、サンドイッチね」

 辰美は弁当箱を上下させるのをやめて、鞄の中に仕舞い込んだ。

「毎日ご苦労!」

 辰美はそういってにっこりと笑いながら、適当に小銭をポケットから取り出して僕に渡した。

「どういたしまして、まあ、こんなもんでいいかな」

 僕の手の中にあるのは百二十五円を見ながら言う。利益は五円ってとこかな。



 あれこれ、話している内に学校前で辰美が彼氏である坂木利章を辰美が見つけたので僕らは校門前で別れた。うん、今日も平和な一日になりそうだ。


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春号 By J

2012年05月02日
ころしあいコロシアム

  J



前回までのあらすじというか次回予告というか――

 迫りくる五人目の日記所有者。

 新たなる敵の出現。

 破綻する人間関係。

 崩壊する日常。

 遂に始動。運命を仕組まれた子供たち。

 前回! なで●スネイク其の弐!(←嘘です)

 みんな知ってる!

 今回! ころしあいコロシアム其の壱!

 さーて。今回も、サービスサービス!





   壱



「高校入学を期に、僕は変わるんだ」

 ある地元の高校の入学式。正門の前に一人、そんなことを叫ぶ、男子高校生の姿がそこにはあった。まあ、なんというか、ぼくである。

 そして、この僕は、周囲の視線を、明らかに、集めていた。

 いや、厳密にはこの表現はおかしい。

 なぜなら、誰も僕なんかを見ちゃあいなかったのだから。

 べ、べつに見てほしいなんていってないんだからねっ!



   弐



 朝。突然轟音が鳴り響き、僕の愛すべきマイルームのドアが吹っ飛んだ。吹っ飛ばされたドアは、エネルギー保存の法則に従い、むかい側の壁にぶちあったって粉々になる。部屋の入り口には彼女が立っていた。美しくも壮絶な笑みを浮かべて。

 うーん。まあ、美しく、という表現はあながち間違っちゃいないんだが、この場合は少しずれているように感じる。

 だって、幼女だし。

「おきろ」

 朝を幼女に起こしてもらう、という素晴らしいシチュエーションを味わいながら、まじまじと見つめていると、蹴られた。漫画だったら、効果音にドゴォとか、バキィとかが似合いそうな蹴り。首の骨が変な音をたてる。ぐっはああ!! おもいっきりけらられた―――――失礼! 噛みました!

「ちがう、わざとだ!」

かみまみた。

「わざとじゃない⁉」

 垣間見た。

「………。」

 つっこめよ。ていうか、僕の思考にまで突っ込みを入れるな。

「どっちやねん」

 貴様ああああああああああああああああああああああああ!!!!

「いや、そこまで怒る必要もないとおもうけどな」

 まあそれもそうか。でも脳内の思考がすべてお前に駄々漏れって言うのもなかなか慣れないんだよなあ。

「以心伝心だな」



多分続く

春号 By助兵衛

2012年05月02日
ある春の日の陽だまり2(back



「みゃーお」

 固定電話の前に立ち尽くすボクの足にすり寄って、黒猫が艶っぽい瞳で見つめてくる。屈んで、そっと小さな頭をなでてやった。


 昼食を終えて書斎に入ると、机に放り出していた携帯が青色の光を点滅させていた。メールが届いているらしい。静枝さんとボクが担当と作家だった時に、連絡手段を固定電話しか持たないボクに、静枝さんが持たせてくれたものだった。

〈ごめんなさい。30分って言ったんですけど、ちょっと遅くなりそうです。夕飯前には戻ります。――静枝より〉

「さて、静枝さんはしばらく帰ってこないらしい。君、これからどうしようか?」

 黒猫は後ろ足で頭を掻いていた。

「外は温かいだろうしね。散歩でも一緒にどうだい」

 言葉が通じたのか分からないが、猫はにゃーと鳴いてみせた。


 「散歩をしてきます」とだけ書いたメールを送り、玄関の鍵を閉めた。道へ出て我が家を眺めると、年代の古さを肌で感じた。この家は亡くなった祖父母が昔に住んでいた家で、ボクが中学に上がった頃、うちに(ボクの実家に)同居をしてきて以来、ボクの家族が小さな別荘として持っていたものだ。小説家として生活を始めてからはボクの家として使っている。

 「にゃーん」と切なげな鳴き声が足元から聞こえる。そうか、こいつにとってはここが家なのか。この猫とも付き合いは古い。この家に入ってきた時、縁側で気持ちよさそうにこいつが眠っていた。

「そうだよな、家主はお前なんだったな……」

 特に行き先もなかったから、黒猫の短い足の赴く先へ行くことに決めた。痩せ細った両足は、うちから歩いて数分の公園にたどりついた。公園の前

に来てしまったのは何かの因果だろうか? また、直ぐに忘れる疑問。

 桜の花びらはもう殆ど散ってしまい、桃色に土色が掛かって、地に伏している。風が吹き過ぎる度に一度死んでしまった花弁たちが宙に舞う。素直に、綺麗だと思った。

 公園を横切る人は散った桜には見向きもしないで、踏みつけて過ぎていく。ベンチには見知らぬおじいさんが座って、じっと、その桜を眺めていた。

「桜もこうなってしまうと、まったくみじめなものですね」

 傍に寄り立ち、静かに話しかける。

「そうですね。すっかり寂しくなってね……。でも、綺麗なもんですよねえ」

 桜から目を離さずに、ボクに答えるおじいさん。

「ええ、確かに綺麗だ」

「僕はねもう数十年間も桜を見てきたけどね。やっぱり今の景色がすごく落ち着いて、一番好きなんですよ。いや、僕だって満開の桜は素敵だと思うし、毎年お花見は行くんですよ。仕事が忙しくてお誘いを断ったりした時でも、あの甘い花の香りに誘われて、会社帰りにやっぱりほいほいと夜桜を見に行ってしまうんですよ。そして帰ってきてはああ今年もどこの桜は良かったとか、なんとか言うんです。でもね、爛漫も過ぎて、春も熟した後くらいになると、どうにもあの日みた満開の桜はよくないと思いだすんですよ。そうして、もやもやしながら、休日にでも公園に来て桜を見るとね、ああこれだっていう気がするんです。こういうのがいいんだって。ちゃんと公園に人はいるんです。だけど誰ひとり桜に目を向けているのはいない。花びらもほとんど散ってしまって寂しいもんなんですが、毎年毎年このみじめな桜を見に来ちゃうんですよねえ」

「ついつい足を運んでしまう。わかります。他のことには一切やる気が出ないっていうのに、ふと。そう、ふっと腰が持ち上がって動きだしてしまう」

「そうそう。僕はもう退職もして身内からは老後だとか、第二の人生だとか言われるんですけど、どうも考える気にならない。退職からの虚無感とかいうんですかね、こういうの。だけど風が吹いて、花びらなんかが流れてくると、気がついたらここにいちゃって」

「力の源とかって、あるのですか」

「源ですか。うーん……そうだな、言うのなら、春、かな? みんな、春になると変にエネルギーが湧いてくる。地球とか、世界が力を与えているみたいな。力と言っても、そんな力強いものじゃなくて、ただ、なんとなしに動かなければいけないような気持ちになるんですよね。人によってはひどく高ぶったり、ひどい鬱になったりしますがね。春の風にのって鼻腔に届くにおいが、そうさせるのじゃないかな。まあ、知りませんけどね」

 おじいさんは自嘲気味に笑った。

「世界、ですか……。もし、世界から孤立している者がいるとして、そいつにも、力は与えられるのでしょうか」

 口をついて出てしまう問い。それは、デキソコナイにとって「世界」が、一生抱える命題だからか。

あるいは、答えが欲しかったのか――?

「はは、面白いことを言うのですね。孤立ですか。うーん、そうですねきっと同じですよ。世界は、みんなの始まりを応援していますよ。ああ、そうだ、そうにちがいない」

 しわの多い顔をほころばせて、満足気に頷く。

「だってあなたがここの桜を見て、僕みたいなおやじに話すなんて、何かの巡り合わせとしか思えないですよ。きっと春のにおいのせいだ。僕もなんだか、あなたと話していると元気になってきましたよ」

 おじさんは、けらけらと愉快そうに笑うのであった。

 桜の木は風に揺られて最後の一片を散らしていた。

 大地は葉桜への準備を始めていた。


 それからしばらくの間、他愛もない世間話をして、ボクは家路についた。まだ静枝さんは帰ってきていなかった。書斎へ向かうと、とことこと黒ネコのやつもついてきた。ボクが縁側に腰を降ろすと、同じように縁側に座った。

 そっとお腹のあたりに手を伸ばして抱きかかえる。今度は抵抗もなにもしてこなかった。疲れてしまっているのだろうか。

 そっと毛並に鼻を添わせる。匂いは、何も分からない。しかし、何だかお日様の匂いがするような気がした。ぬくぬくとした春の陽光(ひかり)の匂い。

 玄関の方からがらがらと、扉の開く音がした。静枝さんが帰ったようだ。ぱたぱたと廊下を歩く、刻みのいい軽い足音が響いてくる。

「あ、恭之さん。お帰りになって、また猫と遊んでいるんですね」

 静枝さんは可笑しそうに、くすくすと笑う。そうして、ボクの隣に腰を掛ける。ボクがまじまじと見つめるから、少し顔を赤らめたりした。

「恭之さん、お夕飯は何がいいですか? お魚ですか、お肉ですか、それとも――」

 楽しそうに話す薄桃色の唇を、ボクの指でそっとふさぐ。静枝さんは驚いたような、困ったような、恥ずかしいような、そんな表情を浮かべていた。

「少し、話したいことがあるんだ」

 温かい陽だまりに包まれて、ボクはゆっくりと話しはじめた。

春号 By助兵衛

2012年05月02日
 ある春の日の陽だまり

助兵衛



 ぬくぬくとした陽光(ひかり)に包まれて縁側で寝転ぶ黒猫は、ボクの数少ない話友達である。書斎で机に向かい、やっきになって書きものをしている時、ふと手を休めて庭先を見ると、縁側にできた陽だまりの中でいつも気持ちよさそうにごろごろしている。今日もきょうとてごろごろ、ごろごろ。

 傍に腰を降ろして、ゆっくりと抱きかかえる。猫の方は、安心しきっていているのか、真っ黒いしっぽをぷらぷらさせて、ぼおっとしている。ついいたずらをしたくなるボクは、宙にぶら下がるしっぽの先を軽く引っ張ってやる。すると黒猫のやつは無理やりにでも両腕から逃れようとして、じたばたと短い足を動かすのだが、結局逃げられなかったりする。逃げられないのは、別にボクがぎゅっと強く抱き締めているのではなくて、こいつ自身が両足の爪をたてないからだ。その姿がいじらしくていつも笑ってしまう。ボクが笑うと、あいつはぶすっとへそを曲げて、しっぽをさっぱり動かさなくなる。これが黒猫(こいつ)とボクのいつもの風景。

 拗ねて固まってしまった黒猫の毛並にそっと鼻を添わせる。毛先が鼻頭をつんつんつついた。温かい温度が感じられた。

「今日は花弁の匂い、かな」

 香らない匂いを嗅ぐ。何だか甘い、花の匂いがするように感じる。昨日は雨だったから泥んこの匂いがした――のだと思う。

 ボクの世界には香りがない。生来匂いを嗅いだことがないのだ。いわゆる障害の類である。だがいわゆる身体障害者ではない。なんでも嗅覚の異常は障害として認められないそうだ。

 鼻のほかにも色々と不便はあったりする。身体の成長が小さく、およそ筋力と呼べるものは作家の生活に必要な、最低限ほどしかない。腹回りの脂肪などついたこともない。荒野を駆け巡ったことは、少年の頃の夢と小説の中だけである。

 腕の中の猫が、遠くを見つめて動かなくなった同居人(ボク)を上目遣いで見つめてくる。そっと頭をなでてやる。こうしていると何だか他愛もない世間話でも交えたような気分になる。

「あ、恭之(きょうすけ)さん、また猫と遊んで……もう、ちゃんと手を洗ってからお昼ご飯食べてくださいよ」

 廊下の曲がり角から静枝(しずえ)さんの声が響く。彼女はこの家の三人目の(二人と一匹というのが正しいのだろうが)同居人である。語尾の音(ね)が低くなかったから、いつものことだと呆れているのだろう。

 時計を見やると2つの針が丁度12の文字盤の上で重なっていた。

「真面目な人だなあ……静枝さんは」

 すっかり大人しくなった黒猫をもとの位置に戻して、居間へ歩いていく。日光を浴びていたから、影に覆われていた床はひんやりとしていた。



「あ、ちゃんと洗いましたか? だめですよ、そういうのはしっかりしないと……」

 こくこくと頷いてみせて食卓につく。合わせるように静枝さんも椅子に腰をかける。そうしてにこにことボクが食べるのを見つめているのだ。

「静枝さんは、食べないんですか」

「私は恭之さんの後に食べますから。心配しないで下さい」

 ボクに笑顔を向ける、目の前の女性を見つめる。彼女との同居も、もう半年近くになる。近所付き合いなども含めて、周囲の人も皆、この生活に慣れつつあった。

 だからこそ、感じてしまう。このままでいいのかと――――。

「ねえ恭之さん、今はどんな小説を書いていらっしゃるの?」

「今ですか。今は男の人のお話を書いています。不器用な、男の話。つまらない小説(はなし)ですよ」

「まあ、そんなこと仰って」

「はは、まあ生活費の足しくらいにはなるようにしますよ」

 こんな冗談でさえ静枝さんは頬を強張らせてしまう。真面目な人なのだ。静枝さんという人は。

「作品、楽しみにしていますね」

 それでも何とか笑ってみせようとする。その姿が、あまりに健気で可憐で――それ以上何も言えなくなってしまう。

「ああ、もうこんな時間! 恭之さんすみません。私、少し出てきますね。30分くらいで帰ってきますから」

 エプロンを外して、あれやこれやと小さな鞄に詰め込むとさっさと出ていってしまった。途端に家の中から音が消える。秒針の音がやけに大きく聞こえる。まるで時間の進み方が変わったことを教えているように。

「みゃ~」

 足元の黒猫がボクを見上げている。秒針の音は聞こえなくなった。

「ああそうか。君もお昼はまだなんだね。……そうか、ボクだけか」

 適当に引出しをあけて冷蔵庫をまさぐる。確か静枝さんはいつもソーセージを与えていたはずだ。同じ引出しをまた開ける。いつまでたっても見つけられないのに痺れをきらしたのか、猫のやつは一番下の引出しをぽかぽかと叩いた。どうやらそこにあるらしい。

「だめだな、猫の君よりも分かっていないなんて」

 思わず苦笑する。どうにもボクはだめなやつだと思ってみる。

 黒猫はソーセージをよこせと言わんばかりに、前足を必死に伸ばしている。プラスチックの皿にのせてそっと床に置くと、ボクはテーブルへ戻り、昼食の続きをとった。

「プルルルルルルル!!!」

 不意に電話が鳴りだした。着信はボクの実家からだった。

「もしも」

「ああ、静枝さん。昨日お隣さんからみかんをたくさん頂いたんだけど、うちじゃ食べきれなさそうだからそっちに送ったの。今日の4時頃に着くはずだから……」

「よく噛まずにそれだけ話せますね。母さん」

「……え、恭之なの? あらやだ、すっかり静枝さんだと思って喋っていたわ。だってあんたが電話に出ることなんてなかったんですもの」

 そういえば自分で電話に出たのはいつ以来だろうか? ふっと浮かんで、直ぐに沈んでいく疑問。

「ま、いいわ。取りあえずみかんは受け取っておいて。結構青かったから酸っぱいかも知れないけど。…………あ、ちょっと恭之」

 受話器を戻そうとしたところで呼び止められる。声色が変わった。

「あのさ、そろそろ話さないとだめだと思ってたんだけどね……その……」

「ボクと、静枝さんのことだろう?」

「う、うん……そうなんだけどね。…………そろそろはっきりした方がいいでしょう。あんたのためにも、静枝さんのためにも」

「そうだね。静枝さんのためにも」

「今度、また話を聞かせてちょうだい。きちんと会って、ね」

 言い残すとボクが何かを言う前に電話を切ってしまった。まあ何も言わないのだが。

「……ふう」

 つい、溜め息をついてしまう。



 ある、不器用な男の話をしよう。

 もの心ついた時から、男は世界から孤立した存在だった。少なくとも男自身はそう感じていた。

香らない世界に生きる男は、一つひとつの些細な事でさえ、存在のすべてが世界の常識(ルール)と異なっていた。金木犀の芳香は男の世界にはない。モクセイ科モクセイ属キンモクセイでしかないのだ。



そんな男――ボクは、デキソコナイ――



 静枝さんは、ボクが小説家として自立できるようになった頃、担当としてN社から来た人だった。当時は優秀な実績を出していき、期待の新人として将来を嘱望されていたらしい。

 それが、こうなってしまった。

 一年という長くも短くもある時間に、ボクと静枝さんは恋仲に落ちてしまった。きっかけはない。ただ、そうなってしまったのだ。

 静枝さんは心底真面目な人だから、自らボクとの関係を会社に伝えにいった。無論N社は大激怒した。ボクとの契約を切り、彼女は最前線から配属を変えられてしまった。

 しかし静枝さんは、休みの時間が増えるのを良き事として、ボクとの同居を望みはじめた。生活の助けをしたいのだと。

 そして、今に至る。

 その後どうにか地方新聞の連載小説の仕事をボクは見つけることができたが、これも半年間の契約である。食いも遊びもしない小説家が、やっと生活出来るほどの賃金でしかない。

 ボクはとにかく怖かった。

 若く、利口で、堅実で、気立てのいい……そんな女性が、ボクを慕って、同じ屋根の下で生活している。

 いつか彼女に話したことがある。「ボクはいつ沈んでいくか分からない凡庸なもの書きです。貴女の人生を、ボクは幸せにすることは出来ないかも知れない」と。すると「いいえ、いいんです。私は、こうしていられるだけで、もう……」彼女はそう言って、ボクに寄りかかった。もう何も言えなくなった。

ただただ彼女の信頼が怖かった。一人の女性を、愛する女性の芽(みらい)を、この手ですべて摘んでしまうのではないかと、恐ろしかった。

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春号 Byイルカ

2012年05月02日
新釈高瀬舟(2-2)(back



*異次元?*


「そういえばここ、本当に異次元なのか?」
「わたしたち、暗闇の中に入りましたから、たぶんそうだと思いますけど……なんというか、結構普通のお花畑ですね……」
「そうだな……」
異次元とは思えないな」
「生き物がいませんね……」
「ほんとだな
これだけ植物があるなら、普通はいそうなもんなのにな」
「やっぱり、そういうところがわたしたちの暮らしてた場所との違いなんでしょうか……
普通、植物だけでは、ありえないことですからね。」
「こんな世界を見てると、異次元ってこんなのだったのか……
って思っちゃうな~」
「そうですね~。
刑罰と思ってたら、拍子抜けです。
あっ……」
「どうしたんだ?」
「いえ、自己紹介とかしてなかったな~って思いまして……」
「ああ、確かにしてなかったな。
おれは市谷樹(いちがやいつき)だ。
樹木の樹でいつきだ」
「わたしは菊宮(きくみや)四季(しき)です。
季節の四季でしきです」


………………


「改めて自己紹介はちょっと恥ずかしいな……」
「そうですね……」




「ここ、異次元ですよね?」
「さっきも話したとおりそうなんじゃないか?」


どうしたんだろうか?


「だとしたら、ある種危ない場所ですね、ここ……」
「どうして?」
「だって、わたしはあの暗闇の中に入った罪人です。
わたしだけじゃなく他の罪人もいるはずでしょう。
わたしより先に入った罪人が……」
「確かに、それだとちょっと、まずい状況だな……」
おれの声が聞こえてないかのように
四季がどこかをじっと見ていた
「どうした?」
四季の見ている方に顔を向けると……


骸骨だった……


それも形から察するに多分、人のだ……


「……まさか、ここに流された罪人か?」
「……多分……そうですね……」


花畑には似合わない風景……


ここが異次元であるという現実を嫌でも見せつけてくるようだ……
「ここ、植物しかないから、餓死したのかもしれませんね……」


四季はそう言うが、何か違うような気がする……


餓死とかじゃなくて……
もっと、おれたちの考えの範疇でないものが関係しているように感じる……




 色々と考えてみたが、やはり、罪人たちが死んでいる理由は分からなかった……
飯についても探し回ったが、ちゃんと食べることの出来そうなものは全く無かった……
暗くなってから、一日ぐらい飯を食わなくても生きていける、ということでおれと四季は、今夜は寝ることにした。




「起きてください」
四季の声で目が覚めた。
「どうしたんだ?」
四季は慌てた様子で言った。
「あれ、見てください」
おれは四季の指差す先を見た。
おれは、愕然とした……
昨日と場所が変わっているのだ
昨日、おれと四季は確かに花畑で寝た
というよりはここに来てから、花畑以外の光景を目にしていない
そういうところも異次元たる所以なのかもしれないが……
まあ、それはさておき
今、おれたちのいる場所は花畑じゃあなかった……
場所が移動したにしても……


森林地なんて周りには無かった……


「どういうことだ……」
四季も訳が分からないというような様子だった


「とりあえず、探索してみましょう……」
四季がそう言った




 探索したが、何も収穫は無かった……
「……何も手がかりありませんでしたね……」
「ああ……」
おれと四季はそんなに体力を使うことをしていないというのに、疲れていた。
「四季……少し……休もうか……」
気づいたときには息切れまでしていた。
「何かおかしいですよね……」
体の力が足元から抜けていくようだった。


「もしかして……地面から……体力……吸われてたりしま……せんか……これ」
「たぶん……そう……かもしれない……」
これが、罪人が死んだ原因か……
そのことを悟ったとき、おれは死を決心し、目を閉じた。


が、死ななかった。かろうじて助かった。何が起きたのか、分からなかった。いつの間にか森林は花畑へと姿を変えていたのだ。


「どうなってんだ……」
気でも狂ってしまいそうだった。花畑から森林、森林から花畑とありえない変化が連続で起きていたのだから、まだ、意識を保っている自分が信じられないぐらいだった。
おれは目を閉じていたから、分からなかったが、四季は何かを見たらしかった。




 森林から花畑に変わり、体力が元に戻るまで、一休みした。
樹さんは目を閉じていたから、あの光景を目にしていなかったそうだ。
だから、あの人が目を閉じている間に起きた信じられない光景を教えることにした。
「……信じられないかもしれませんけど、森にあった木がいきなり、腐敗して、一瞬のうちにこの花畑に姿を変えたんです……」
樹さんは案の定、信じられないといった風な表情をしていた。


「さすが、異次元って感じだな……」
「でも、いい収穫もありますよ」
「どんな?」
「さっきまで森林を動き回っていましたから、たぶん、結構遠くまで歩いちゃったんでしょう。だから、森林が花畑に変わって、視界が開けた途端、さっきまで見なかったものを見つけました。ほら、あそこです」
わたしの指す方向を見て樹さんは嬉しいような嫌なようなよく分からない顔をした。
そこにはわたしたちをここに送った暗闇があったのだ。
「戻れるとは思っていないですし、別に戻りたくも無いですけど……
どんな空間に繋がっていても、今ここから逃げられるなら暗闇に入るべきです」
「まあ、もう、おれたち一回入ってるし、怖がること無いか……」
「それでなんですけど、いっせーのーで、で一緒に入りましょうよ」
「別にいいけど、なんで?」
「ここに来たとき、樹さん、気を失っていたから、許しましたけど、次、あんなセクハラされたらたまったもんじゃありません」
「え? こっちに来たとき、おれなんかしたの?」
「不可抗力でしょうけど、わたしの胸とか触ってましたよ」
…………
「ごめん」
「いえ、別に不可抗力っていうことは分かってるので謝らなくていいですけど、なるべくそれを避けたいから、一緒に入りましょう」
「分かった」
この人はわたしの本当の罪をまだ知らない。
だから、こんな風に接することが出来る。
でも、いつかは話そう。
そう心に決めてわたしは樹さんと一緒にもう一度暗闇に入った……


                   To be continued ……

春号 Byイルカ

2012年05月02日
新釈高瀬舟(2)

                          イルカ



     *前回までのあらすじ*

 西暦三〇〇〇年のとある日、日本は地球から姿を消した……

その後、犯罪者のための刑罰の一つに〟高瀬舟〟というものができた。

その刑罰は異次元に続いていると思われる暗闇に罪人を送るというものだった。ある執行人は罪人を暗闇に送り出した。だが、執行人もいつのまにか暗闇の中へと吸い込まれてしまっていた……





     *起きた先で*



 何だ、この甘い香りは……



目を開くと……



「……花……?」

「花ですねー」

………………

「……そうか、天国か」

「異次元じゃないですか?」

「天国じゃなかったか~

あっはははは……」

思考が停止したような感覚だった……

「やっぱり、夢じゃなかったか……

はぁ……」

おれは暗闇にこいつを送ってそれから……





暗闇なのに……光って……





「まあ、いいじゃないですか

かなり、いい場所ですし」

「お前、あの罪人だよな?」

「そうですけど?」

「雰囲気変わりすぎだろ……」

「まあ、どっちかって言うと、変わったというより、元から異次元空間に行ったら、キャラ変えようと決めてたんですけどね~」

「どうなんだ……それ……

罪の意識がないのか?」

「ありますよ……

でも、あなたには関係ないです……」

「ひどいな……

おれのこと、慰めてくれたのに……」

「それこそ、関係ないです……

わたしはあなたが悪い人ではないと言っただけです。あなたは、わたし自身のことについては何も関係ないんですから黙っていてください。」

なんだ? いきなり厳しくなったな、いや厳しいと言うか……

なんだろうか……

こいつを送り出す前、話したのはただの義理とでも言うような……

おれはこいつと舟で話していて、根はいい奴だろう、何かの間違いで人を殺めてしまったんだ、と思っていた。

だけど……

何だろう……

今のこいつの口ぶりは、おれが何も分かっていない、とでも言っているようだった。

何か、おれの見えてない何かを、背負っているような……





「そうだな……すまん……」

「分かっていただければ、それでいいです……」




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春号 Byイルカ

2012年05月02日
呪われた薔薇(2)(back




* 昔話と昔話 *


 一人の王がいました。


王は贅沢な暮らしをしていました。




 ある日、農民が道端に倒れている人を見つけ、王のもとへ連れて行きました。
 王は豊穣(ほうじょう)と酒の神、ディオニソスの養父であるシーレーノスだと分かり、すぐにディオニソスのもとへ連れて行きました。


それに感謝したディオニソスは王に一つだけ、願いを叶えてやろう、と言いました。
王は、触れたものが金になる力が欲しいと言いました。
王の願いは聞き入れられました。
王の触ったものは全て金に変わりました。
それが食べ物、水、人であっても変わりなく……


 悲しくなった王はディオニソスに力を消してくれるように頼みました。
ディオニソスは王にパクトロース河の源泉で行水すれば力は消えると言いました。


 王は富と贅沢が恐ろしく感じ、田舎に移り住み質素に暮らしました。




 そして、王が行水して落としたのは力だけでなく、彼の欲望、罪、罰をも流していました。


 そこには一つの美しい薔薇がありました。




 薔薇は最初は金色に染まっていましたが、どんどん黒色に染まっていきました。


 長い年月が経ちました。


 ある日、そこには一人の騎士がいました。


騎士は死にかけていました。


そのとき、黒い薔薇は言いました。
「お前の望みを叶えてやろう」と。


騎士は言いました。


「あの国を滅ぼしてくれ」と。






国は一夜にして滅びました……




     


* 王都 *


「何で、おれが王都まで行かなきゃならないんだよっ!」
「まあ、いいじゃないか。いつもは家の手伝いなんだから、王都に行ける方がまだ、ましさだろ? カイ」


そう言うのは幼馴染のシュウだ。
おれは武器屋、シュウは防具屋の息子で、今王都に向かっているのは、武器・防具に使える材料などの調達のためだ。


「確かにましだけどさ。王都まで相当歩かないとだめじゃん。百歩譲って行きはいいとしよう、帰りは材料、荷車に載せて帰らないとだめなんだぞ!」
「まあ、いいじゃん。王都なんて初めてだしさ。僕らの普段見れない武器や防具もいっぱいあるんだよ?」
「まあ、そのことに関しちゃ、楽しみだな」
「あと、父さんたちにやっと、材料を独断で決めてきてもいいって言われたんだから、疲れぐらいなんてことないって!」


王都は二千年以上も絶えず、栄えている。今までの歴史でも一番長く、続いてる都市が今の王都だ。おれたちの住んでいるエリタカ村もそうだが、王都の周囲にある町や村はかなり安全だ。


「そういえば、なんでこんなに、王都の周りだけ安全なんだろうな? さすがに、神の御加護とかじゃあないはずだよな? こんな広範囲でそんなことが出来るわけないし」
「確かに異常に平和だよね。神の御加護って中心から一〇㎞が限界だったような……」
「だよな? 魔法で結界っていっても、魔法みたいに体力の減るもん、一日間も続けられるわけないし……
となると何かの神器とかがここらいったいに等間隔で設置されてるのかも知れないな……」
「まさか、そんなはずないよ。神器なんて大量生産できるもんじゃないし、神器って言ってもギガンテスみたいな馬鹿力の怪物には対応できないだろ?」
「そうだよな……
んっ? あれは……」


「王都だ!」
「王都だね!」




「へ~、王都っていろんな物売ってるんだな~。おっ、これなんか面白そうだな~」
「すっかり、観光気分だね……」
「材料も買ったことだし、少しぐらい、いいだろ」
「まあ、いいけど帰りかなり遅くなるよ?」
シュウは溜息をついてそう言ったが、おれとしては、シュウの方が目が輝いてるんだが……


「結構、楽しかったな~」
「楽しかったけど、この時間帯に帰ったら、確実げんこつ一発は免れないよ……」
「言うな……
背筋がぞっとする。」
シュウと会話していると、何か背筋に凍るような感覚が走った。
後ろを振り向くと……何もなかった……
「カイ、どうかした?」
「いや、なんでもない……」
「あっ、村が見……えて……


何これ……」
「おい……
マジかよ……」
おれたちの村は破壊という言葉を具現化したかのようにそこにあった…………


「……父さんたちはどうなったんだ……」
「死んだよ」
おれの声に答えたのはシュウの声でも村人の声でもなかった……
悪魔のように冷め、そして人の死をどうとも思わないような声だった


おれはその声の主を確かめようとしたが、そこで意識が途切れた……
 






 ……貴様の願いは何だ……




願い……




おれの願いは――――
     * 呪いと繰り返し *


「カイ、大丈夫か?」
「シュウ……
おれは寝てたのか?」
「いきなり気絶したんだよ……
まあ、無事でよかったよ」
「シュウ……
ここに黒い薔薇、ないか?」
「黒い薔薇?
ああ、確かに、ここにあるよ? それがどうかした?」
なんだろうか、この匂いは人を寄せ付けないような……
臭いとか……甘すぎる匂いとかじゃなくて何か、心の奥にあるどす黒い物を無理やり引きずり出すような……
「カイ、どうかした?」






「おれの願いは王都の破滅……」




「カ、イ?」






 王都は容易く滅んでしまったそうだ。 




二千年以上も長く存在していた風格もなくなるほどに……
そして……






王都に残ったのは……


多くの死体と……


ケラケラと笑う……




異常なほど鮮血色に染まった薔薇だったそうだ……








                            (終)

春号 Byイルカ

2012年05月02日
呪われた薔薇

                           イルカ



 誰もいない国にあったのは黒い薔薇でした……







     * 騎士と王 * 



 昔、昔、遠い昔の話、一人の騎士がいました。





その騎士はとても強かったため、戦場では無敵でした。





騎士は必ず勝利を収めてきたので王に可愛がられていました。



王が騎士にパーティーに参加するように言い、騎士は王女さまに一目ぼれしてしまいました。



 その後、騎士は王女に何度もばれないように会いに行きました。





王女も騎士のことを好きになっていました。





 ある日、王は多くの功績を残したその騎士に褒美を取らせようとしました。

王は言いました。



「お前の願いを一つだけ叶えてやろう」と。



そして、騎士は言いました。



「それでは王女を私にください」と。





王は激怒しました。



「お前に私の娘などやれるわけがなかろう! 身をわきまえろ!」



 騎士と王女の希望は消え、ついには王が騎士を国から追い出してしまいました。





 騎士は王を憎み、憎み、憎み、憎みました……



そして、騎士は森の中に姿を消しました……





 ある日、森の中で騎士が死にました。



死ぬ直前、騎士は願い事をしていました。



騎士は言いました。







「呪ってやる……」と。





そこにあったのは一つの黒い薔薇でした……


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