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3学期 by風船犬 キミドリ

   白身魚の死
風船犬 キミドリ
 彼は、そこそこ都会といった雰囲気の街の道を歩いていた。カジュアルでありながらそれなりに洒落ているというような格好で、特に何に目を向けるわけでもなく、ただただ歩いていた。彼はどこへ向かっているのだろうか。実は彼もわかっていないのではないだろうか。いや、そうではなかった。彼は左腕にはめた腕時計を確認すると、少し慌てたような顔をし、きょろきょろとあたりを見わたす。が、目的のものは見つからなかったようでポケットから携帯端末を取り出すと、不慣れな手つきで何かを入力し、しばらく画面を見つめた。そして彼は先ほどより少し早足で歩き始める。携帯端末を握り締め、ちらちらとそちらに目を向けながら不安げに道を進む。
 そこへ、一人の女性が姿を現す。彼と同じくらいの年齢と思われる彼女は、彼よりも着飾り、若造りしているようにも見えるがそれなりに整った顔立ちで、スタイルも悪くない。彼は彼女を見るとほっとしたような顔をし、彼女へ近づく。彼は何事かを彼女に伝え、彼女はそれに答えた。
 二人はしばらく一緒に歩き、やがて大きなビルの前にたどり着く。ここが彼らの目的地なのだろうか。デートにしてはいささか不自然な場所だ。しかし二人はビルの裏手に回るとそこでひっそりと営業しているカフェへと入っていった。
 カフェのなかにはこの店の店主と思われる老齢な男性が不機嫌そうな顔をしてカウンター内にいるだけで、他の客の気配はなかった。二人が席に着くと店主はすぐに二人のもとへとやってきて水を並べた。あまりに乱暴な置き方だったため水が若干こぼれたが、三人のうち誰も気にした様子はなかった。
 水を一口飲んだ彼はメニューも見ずにブラックコーヒーを二人分注文する。彼女は全く口を開かず、ただぼんやりとこぼれた水が傾いたテーブルを流れていく様を眺め続けていた。
 不機嫌な顔をした店主がカウンターへせかせかと戻っていったあと、彼女はようやく口を開いた。
「そろそろ本題に入ろうじゃないの。私は何をして、あなたは何をするのか。それを教えてもらわないとこれは渡せないわ」
彼女の言葉を聞いて、彼は少々焦燥感を顔に出しながらも、落ち着き払った調子で笑いながら答える。
「ああ、それなら心配ないよ。僕らは確実に目的を達成できる。君がそれを渡してくれるならね。痛みもないし苦しみもない。あるのはまどろみと幸福感と現実からの解放だ。これは最大の放蕩で浪費だといえるね。なにせ……」
「お待たせしました、コーヒーです」
ちょうど店主がコーヒーを運んできたので彼は言葉を切った。そして一息つこうとコーヒーを飲む。彼女も彼に倣ってカップに口を付け、紅いルージュの痕を残した。しかし彼も彼女もすぐにコーヒーを飲むのをやめた。何故ならそのコーヒーはアメリカンといったわけでもないのにカップの底が透けて汚れが見えるくらいに薄く、まるで泥水か何かのようにまずかったのだ。彼のしかめっ面がそう言っていた。
「話の続きは?」
同じくしかめっ面の彼女が彼に続きを促す。
「ああ、そうだったね。なにせこの行為は……」
彼は、ここでこらえきれないというように、歯をむき出しにしてにたりと笑うとこう告げる。
「この行為は人ひとりの人生そのものをまるごと一気に使い切ることになるんだからね」
「それは爽快ね、きっと。私たちはその一瞬の快楽を必ず得られるのね」
「ああ、そのとおり。まあそれは君が本当に、本当の本当に…………自殺するほどこの世界に嫌気がさしているならね」
「心配ないわ、すぐにでも死んでしまってこの汚れた世界から解放されたいの」
彼がニヤつきながら放った言葉に同じく口角を釣り上げて返事をする彼女。二人はまずいコーヒーを前に凄絶な笑みをその顔にたたえていた。
 二人は店を出ると倉庫街の方へと足を運ぶ。
「自殺に倉庫街とは……最高のロケーションね」
「じゃあドラマにでもでてきそうな崖が良かったのかい?」
「まさか、そんな華々しく散っていこうなどと思わないわ。この世界に未練なんてないわけだし」
それから二人は黙ったまま歩き続けた。
 倉庫街に着くと彼は彼女にポケットの中身を要求した。
「これが一人分。結構高かったけど、どうせ死ぬんだし貯金は使い切ってきたわ」
「そうかい、ならいいよ。僕たちはこの世になんの未練も残してはいけないのだから」
二人は顔を見合わせ穏やかに微笑み合う。
「最後に聞くよ。君は本当に死んでもいいのかい?」
「何度言わせるの? 私は現実から解放されたいの。とっとと死んでしまいたいのよ」
「これは哲学で一番大切な問いだ。自殺するべきか否か、今後の人生には本当に苦しんで生きる価値がないと言えるのか。さあちゃんと二人で考えようじゃないか」
「本当に何度言わせるの? あなたがなんと言おうが私は死ぬの。あなたが怖がって意味不明な質問をなげることによって時間稼ぎをしているというのなら、私はとっととこれを飲んで死ぬわよ」
「まあ、そんなに急くことはないだろう? 時間ならいくらでもあるんだ」
「いいえ、時間などない。私はもう現実世界でこうやって生命活動を行うということに疲れたのよ! 今後の人生? そんなものいらない! あなたの言うように一瞬の快楽に身を投げたいの!」
彼女の激昂に、彼は長い沈黙を挟んでから答えた。
「オーケー、了解だ。君はもうこの世に生きる価値がないと思うんだね。それならばそうだね、君はこの世で生きている価値がない。とっとと死ぬのがベストだろう。僕と一緒に死んでくれるかい?」
「ええ、もちろん。あの世で会いましょうね。もしあの世があってこの世よりましで私の存在する価値がそこにあればだけれど」
彼女は冗談めかした調子で笑うとなんのためらいも見せずに握り締めたそれを飲み込み、それと同時に彼も飲み込む。二人の内蔵がそれを処理しようと働き始める。次の瞬間ごぼりと口から血を吐くと彼女は笑みを浮かべたまま、彼は何かを諦めたかのような表情のままこと切れた。

 「ふう、やれやれ。彼女もまたダメだったのか」
二体の死体に近づく男。格好こそ変わっているものの、その男はまさに彼だった。
「まったく世も末だな。いや、ここが世の末というべきか」
彼は死体を袋に詰めて鍵の開けてある倉庫の中へと運び入れた。
 何十個と並ぶ倉庫の中身は全て彼と、彼と一緒に死ぬことを選んだ憐れむべき人々の亡骸だった。地獄だろうか、いや違う。ここはむしろ天国なのだ。死を望みつつも、一人では死ねない人々が安心して死んでいった幸せに満ちた場所。それがここだった。




あとがき
 あけましておめでとうございます、キミドリです。今回、本気で原稿落としそうになりました。今まで皆勤なのにここで落とすわけにはいかない! 部活くらい皆勤で! と頑張ろうとした結果、申し訳ないことにストック放出、という形になりました。言わなきゃばれなかったのに。 
 で、ちょっと不安なのがこの話既に部誌に掲載したことあるような気がする点です。大丈夫かな……(言わなきゃばれなかったのに)

もし、これが掲載済みだったとしたら申し訳ないので、今回のテーマ「白色」についての思考をダダ漏れにしたいと思います。


 私は普段、病弱虚弱と罵られることがとても多いのだが、病院には最近あまりお世話になっていない。そんななか、これは珍しくちゃんと病院へ行った時のことだった。
 最近の病院は白一色の無菌室のような、というイメージではなく、暖色系の色合いや木で出来ているような雰囲気を与えるものを多く置いている。この理由については心理学的な話になるので今回は割愛する。
 しかし、私の行った病院の診察室はやたらと白かった。先生を待つ間、私は一人診察台に寝転がっていたのだが、だんだんと妙な気分になってきた。
 この部屋の扉はすべて白色で塗りつぶされ、私は白色の中に閉じ込められてしまうのではないか。徐々に白色が私を侵していくのではないか。
 白色というと、無個性的で、紙の印象だろうか、弱いイメージを何となく思う。しかし、白色は人の心をその上に描きだし、それに直面させて不安を呼ぶ。圧倒的に純粋な「白色」は、複雑な人の心とは馴染まずに、人の心を内側に取り込んで染め上げてしまう。そんな気がした。
 日本人は白色に神聖さを見る。部屋を囲う障子の「紙」は「神」に通じるし、米だって栄養価ではなく「白米」であることにこだわる人が大多数だ。真っ白であることに神聖さを見るのは、やはり恐れからなのかもしれない。

真っ白な原稿、真っ白なワードの画面、真っ白の頭の中。なるほど締め切り前に覚える、異様な、体の内側に走る寒気の原因は白色だったのか。                         
おわり 



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