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3学期 by清水玉

2014年05月04日

   何かを起こす古本屋 Ⅲ
清水玉
《前書き》
とある繁華街から逸れた小道を進んだ所に、古本屋と洋菓子屋が並んで建っている。それぞれの店では、美しく、営業用の微笑以外には常に無表情でいる女性の店員が、一人で働いている。いつもは人気がほとんどないが、たまにこれらの店にたどり着く人も、いたりする。


学校から急いで帰っている途中、猫を見つけた。道の脇にうずくまっていた。
「……」
 見た瞬間、どうしようか悩んだ。冬だから早く帰らないと暗くなる。でも猫は弱っているみたいで、放っておくのも気が引けた。
 数分後、私はその黒猫を抱えて人気のない小道に入り込んだ。

 行くあてはないけれど、とりあえず猫を診てくれる人を探さないと。キョロキョロと辺りを見回していると、何かの建物を見つけた。
「……本屋さん?」
 両手が猫を抱えていて使えないので、背中でガラス戸を押して中に入る。少し暗いけど、どこか安心できる雰囲気があった。なんというか、自分の家の屋根裏部屋みたいな。
「あのー、すみませーん……」
 しばらくすると、奥から綺麗な人が出てきた。でも目に輝きがなくて、少し怖い。そのお姉さんは私を見ると、笑みを浮かべて言った。
「いらっしゃいませ」
「えと、猫を拾ったんですけど、弱ってるみたいで……」
お姉さんはチラリと私の抱えているものを見て、
「手当てします」
「あ、ありがとうございます!」
 猫を手渡すと、お姉さんは手招きした。
「こちらにどうぞ」
「え?」
「隣の店のケーキがあるんです」

 猫の左腕に包帯が巻かれていくのを見ながら、私はケーキを食べた。よく見ると、猫の瞳は宝石みたいな紫色。
「あとは安静にしていれば大丈夫です。私の店で預かりましょうか?」
「いいんですか?」
「はい」
 ふと窓の外を見ると、ほとんど真っ暗だった。思わず顔がこわばる。お姉さんは私を少し見た後、おもむろに口を開いた。
「梓さん、家まで送りましょうか」
「それはさすがに悪いですよ」
「小学三年生の女の子を一人で帰らせるなんて、出来ませんから」

 結局私は、お姉さん――――ルイさんに送ってもらった。
私の家は結構田舎で、街灯と田んぼと原っぱ以外、ほぼ何もない。だから実は、ルイさんがついてきてくれて安心していた。この夜道を一人で歩くのは、凄く嫌だから。
「……本当は私、ルイさんがついてきてくれて、嬉しかったんです。夜道を一人で歩くの、怖くて」
自然に本音を漏らしていた。
「……夜は苦手なんですか」
ルイさんに聞かれ、私は答えた。
「小一の時までは、夜に散歩するのが好きだったんです。悪い事だけど、お父さんとお母さんが寝ている間に外に出て、風を浴びるのとか気持ち良くて。……でもある時、いきなり停電になって、街灯が全部消えて、真っ暗になったんです」
 突然の事に、私は固まった。真っ暗で何処に何があるのかわからない空間。虫の声も、風の音も聞こえなかった。
「その時、急に怖くなったんです。世界に私しかいない気がしてきて。そのうち灯りはまたついたんですけどね。それからは夜道に出るだけで身体が固まっちゃったりして。もうすぐ私の地元で冬祭りがあるんですけど、多分今年はいきません」
 笑おうとしたけど、多分上手く笑えていない。今はルイさんがいてくれているからまだマシだけど、両手が汗で濡れていて気持ち悪い。少しの沈黙の後、ルイさんは喋った。
「梓さん、冬祭り、一緒に行きませんか?」
「……?」
「迎えに来ますから、日にちを教えて下さい」

 冬祭り当日。私は家でルイさんを待っていた。
『まぁ、一緒に行く人がいるし、大丈夫なはず』
一人で頷いていると、上から声が聞こえた。
「梓さん、浴衣お似合いですね」
見上げると、ルイさんともう一人、金髪のお姉さんが立っていた。この人も綺麗。
「はじめまして、時宮メアです」
「は、はじめまして」
メアさんは外国の人形のようで、ちょっと緊張した。

 綿あめを片手に持って、私は例の道を歩いていた。
「あー、楽しかった」
思わず声に出てしまい、恥ずかしかったけど、何だか嬉しかった。
「座りましょうか」
 ルイさんが土手を指差して言う。その手には林檎飴が握られていて、ちょっと意外。
「……月だ」
上を向いたメアさんが呟くのが聞こえて、私も土手に座って空を見た。
「……本当だ」
そこに広がっていたのは、金色の満月と星が輝く夜空だった。綺麗で、何も言えなくなって、私達は黙って空を眺めていた。
 こんなに綺麗な空がある事、夜の散歩が好きだった頃も気づかなかった。
「夜も悪くないでしょう?」
 声のする方を向くと、メアさんがこっちを見て少し笑っていた。
「……はい」
メアさんの言う通りだ。あの停電の日も、きっと夜空は綺麗だったのに、私は全然見ていなかった。
「見かたを変えると、新しいものを見つけられる事もあるんですよ」
月を見つめながら、ルイさんが語りかけてくる。その言葉が身に沁みた。
「ありがとう、ございました」
 メアさんは微笑し、ルイさんは静かにこっちを見た。相変わらず無表情だったけど、その顔はほんの少し、笑っているようにも見えた。

梓さんが月を見つめている。無邪気そうなその笑顔は幼い頃のメアそっくりで、私は何年か振りに胸が温かくなった。

家に帰った私はベッドに腰掛けて、窓から外を見てみた。さっきの月の光が部屋に射し込んでくる。さすがに、深夜に外を一人で出歩くのは駄目かもしれないけど、夜に田舎道を歩くのは、ちょっと大丈夫になった気がする。
「夜を楽しむ方法も、まだあったんだな」
布団に潜り込み、目を閉じた。今日はきっと、穏やかに眠れる。

 古本屋の店員時宮ルイと、洋菓子屋の店員時宮メアは、祭りから帰っている途中だった。
 突然、メアが足を止めた。
「どうかした?」
「……ルイ、先に帰ってて」
「? ……わかった」
 ルイが先に帰るのを見送り、メアは正面からやってきた黒猫に話しかけた。
「何?」
『久しぶり、メア』
「久しぶり。……そう言えばあなた、ルイに看病してもらったんじゃ?」
『おや、何で分かった?』
「梓さんに運ばれて来て、ルイの店から包帯を巻いて出てくる様子をみたから」
『なるほど。実は魚を店から獲るのに失敗して、そこの店員に怒られたんだ』
「何やってるんだか。……で、何の用?」
『予告しに来たんだ』
「……」

『メア、君、もうすぐ消えるよ』

「……わかってるよ」
『そうか』
「でも」
『ん?』
「……ルイには、まだ言わないで……」
『……わかった』
 黒猫は紫の瞳を光らせて、闇の中へ消えていった。
メアは少しの間立ち尽くしていたが、やがてその場を去った。
 金色の月は、静かに街を照らしていた。

【あとがき】
 こんにちは、清水玉です。途切れ途切れにこの連載物を書き続けています。突然ですが復習(?)がてらに、主な人物二名の紹介を書かせてもらいます。

時宮ルイ……古本屋の店員。漆黒のショートヘアで銀の瞳を持つ、氷系の美人。外見年齢は十七歳くらい。物に触れて、それの持ち主や今に至る過程を感じ取れる。

時宮メア……洋菓子屋の店員。柔らかな長い金髪と碧眼を持つ、フランス人形のような容姿をした美人。ルイよりも微笑する回数が少し多い。動物の言葉がわかる。

 こんな感じです。ちなみに、次回かその次の回辺りで最終回にしようと思っています。
 ではでは、お腹が空いているのでこの辺で。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



この一日を
ざっきー☆   


 白い雲が前方の空に浮かんでいた。雲の隙間からは鮮やかな青色が見える。
 こんな綺麗な世界がもうすぐ終わってしまう……。
 こういうときは何も考えないほうが良いのかもしれない。
叶(かのう)は左手をハンドルから手を離し、右肩を揉んだ。さらにハンドルを持つ手を替え、左肩を揉む。最後に首を左右に振るとポキポキと音がした。
僕の運転する紺色のBMWは、中央自動車道の右側車線を、制限速度よりちょうど二十キロオーバーで走っている。 ラジオからは渋滞情報が流れていた。例年に比べて渋滞は少ないらしい。
 例年に比べて渋滞は少ない……当たり前だろう。
 今時、もうどこへ行っても状況は変わらない。
 そう考えると、自分がわざわざ田舎を目指して車を走らせているのが馬鹿らしくなってきた。
 でも仕方ない。母から電話がかかってきたのだ。
「お父さんが叶に用事があるらしいわよ。どうしても家に戻ってきてほしいらしいわ」
 まったく、今時になって父はどういうつもりなのだろう。
 いや、今時だからだろう。そう、あと二年となった今時。

「もうここには二度と帰ってこない」
 そう言ったのが十九のことだ。それから東京に行き、親と仲が悪いという重荷を背負いながら自分は二十九になっていた。 
 父は僕の事を小さい子供のときから「馬鹿だ、馬鹿だ」とずっと言っていた。
 そして十九の時には失敗作と、そして何をしても失敗すると、父は俺に言った。
 その時、誓った。絶対成功してみせると。
 そして家を出た。その後はいろいろ大変だった。東京で成功するためにアルバイトをしながら勉強した。そして大学に入り、精一杯がんばった。
そしていつの間にか会社を持ち、妻を持ち、子供を持った。
果たして僕の人生は失敗だろうか――いや僕はそうは思わない。
そう、あと二年しか生きられないとしても、失敗ではない。
俺の寿命があと二年――そういうわけではない。
俺の寿命ではなくて世界の寿命だ。

*****************************

地球に彗星がぶつかると発表されたのが三年前、そのとき地球はあと五年と発表された。
 初めの一年は恐怖と焦りで混乱した人たちが、あちこちで暴れだした。
 むやみに人が殺されることが多発し、警察の手には負えなかった。
 また、大半の人間が働くのを辞めた。
 貯金をする必要がなくなったからだ。
 あとたった五年間、預金がもてばいいのだから。
 しかし、人間の大半が消費者の世界で生産者が働かなくなるとどうなるだろうか。
 消費者は怖がった、食糧危機になることを。
 初めは買いだめなどが各地で起こった。
 そして、食料が本当になくなってきたとき、あちこちの店が襲われた。
 略奪、暴動があちこちで起こっている中、恐怖に耐え切れず自殺していく人が後を絶えなかった。

 発表から二年目
 政府は強硬手段に出た。多少の犠牲が出ても犯罪者を捕らえることにしたのだ。
 警察は重装備が基本になり、銃の発砲に何の躊躇をしなくなった。
そして、捕らえた犯罪者は無理やり食料を生産させられた。

 発表から三年目
 大量の人が犠牲となり、どうにか食糧などのバランスが取れてきたため、犯罪を起こそうとする人は少なくなった。
 生き残っている人は、いかに有意義に残りの時間を過ごそうか考え始めた。

*******************************

 あと五年と聞いたとき、僕は初めに友人など、会いたい人に片っ端から会っていった。
 既に死んでしまった友人や目の前で自殺した友人など、様々な友人に会った。会えて良かったと思っている。
 その次に行きたい場所に行った。今更どこも同じ状況なのだが海外に行った。そして、何も考えずにやりたいことをやった。何から何まで。あと、美味しい物も食べた。
 そして……妻に謝った。
 今まで「愛してる」や「ありがとう」は何回も言ったことはあったが謝った事は一度も無かった。
 それでも何かにまだ、けじめをつけられていない気がした。
 それが何なのかに気づいたのは母からの電話だった。
 電話を取った後は、妻に話してすぐに車に乗って実家に帰ろうとした。
 もう重荷は下ろしたかった。

*******************************

 もうすぐ実家だ。ふと、胃が痛くなった。 
自分は父と会うのを別に怖がっているわけでもない。しかし、異様に緊張した。
 実家が見えた。十年前の記憶と何も変わっていない。
 俺は心臓が異様に早く鼓動を打っているのを感じながら、玄関の呼び鈴を鳴らした。
「叶っ! 久しぶりね」
 母が顔をほころばせながら出迎えてくれた。
「さ、食事にしましょう」
 私は母の後ろについていった。
 元々自分も住んでいた家なのに、全く他人の家に感じられた。
 台所に行くと父がいた。
 外見は十年前とほとんど変わっていないように見えた。
 父が顔を上げた。
 父と目が合った。
 目が合わさったとき、どんな顔をすればよいのか、全くわからなかった。
その後は出来るだけ目を合わせないようにした。
「元気にしてた?」
「うん、元気だよ」
 そんなたわい無いことを母と話して夕食を終えた。
 父とは何も話さなかった。
 そのあと風呂などに入って寝る用意をした。
 母の電話を思い出した。
 父が何か用事があると。
 そんな父は今、酒を馬鹿みたいに一人で飲んでいる。
 何を考えているか、全くわからない父は放っておき、俺は母と話しをした。
「母さん、明日、僕は妻が心配だから帰るね、今までありがとう」
「そう、もう帰ってしまうの」
母は悲しそうな顔をした。
 そして俺は寝床に就いた。

*******************************

「叶」
 少し厳しい口調で呼ばれた。
「はいっ!!」
なっ、なんだ? いきなり父に呼ばれた。
「話がある」
 なんだろうって、酒臭え!
「どれだけ飲んでいるんだよ!」
「黙れ、馬鹿! シラフで息子と話せるか!」
 この時点で僕は父に乗せられた。父は僕に話をさせるのがとても上手い。
「はあぁ?」
 今、偉そうに情けないこと言ったぞ!
「とりあえず黙れ、お前には色々聞きたいことがある」
 そういえば、用事があるって……
「な、なんだよ」
「父さんが知らないうちに結婚して子供もいるそうじゃないか。奥さんとはしっかりやっているのか? お前を器の小さい男に育てた覚えは無いからな」
「シラフで息子と話せない器の小さい男が語るなよ!! 別に……上手くやっているよ」
「よし、じゃあお前も飲め、これから話す内容はお互いシラフで話す内容じゃないんだよ」
 なんだ? 今のが、本題じゃないのか?
「叶、父さんはお前が子供の頃から馬鹿だ馬鹿だと言い続けてきたな」
そう、僕は昔から成績が悪かった。
 父としては僕以上に苦労がかかった事は無かったはずだ。
 それは父の口癖の「叶は、いつもいつも……」と言う要因にもなったはずだ。
 それは僕にもわかっていた。
 わかっていたからつらかったのかもしれない。
「父さんはあの頃、ちょうど仕事で失敗していてな」
「……」
「お前は百歩譲っても父さんの子だから、父さんの悪いところを受け継がれたと考えると認めたくなくてな」
「……」
 言葉が出ない。
 まさか、そんなことを考えていたなんて。
 それに僕は、父さんは僕を息子と認めていないとも思っていた。
「それに、頭の良さは成績や学歴ではないしな。成績が悪くても大きな事は出来る。お前に馬鹿と言ったのは父さんが馬鹿で認めようとしなかったからだ。それにお前は俺が馬鹿と言わなければもっといろんなことが出来たかもしれない」
「……」
「父さんはお前の人生をつぶしてしまった。父さんが悪かった……」
 胸が苦しいような不思議な感情があふれ出てきた。
 気づくと、父さんの顔がしっかり見えずに、にじんで見えた。
 果たして僕は何を憎んで十年も逃げてきたんだろう。
「誰が許すか! この馬鹿父!」
「あぁ、本当に馬鹿だったのは父さんのほうだ」
最終的に父に言った「許さない」は嘘になってしまった。

*******************************

「父さん、母さん、ありがとう。僕は家に帰るよ。妻が待っているからね。あと二年だけど、必ず妻を連れてもう一度ここに来るよ」
 実家の玄関、今は他人の家に感じられない。
「あぁ」
 父さんが笑った。
 人生で父さんが笑っているのを見たのは初めてかもしれない。
「それじゃあね、叶。十年前のように家に帰ってこない、なんて事はやめてよね」
 母さんも笑っていた。
「うん、必ず帰ってくるよ」
 十年間背負っていた重荷を、今ようやく下ろせた気がした。
 妻に話すと妻も笑ってくれた。実は妻も僕に仲直りしてほしかったらしい。
 僕はこの人生を誰にも失敗とは言わせない。

*******************************
...
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餞別
ざっきー☆


「そんなことで食べていけるか! だめだ!」
 直後、ガンッ、と俺の頭と視界が激しく揺れた。意識と視界が同時に真っ白になったと思うと、気づけば俺は床に大の字になっている。
「…………つ……」 
親父が怒鳴っている中俺はゆっくりと身体を起こした。
体中が痛む。
ここまで怒っている親父は俺でさえも見たことがなかった。
「俺の人生だああぁ!」
 俺がここまで声をはりあげているのは親父もはじめて見たのだろう。
親父は少し目を見開いたかと思うとまた手を上げた。
「馬鹿野郎!」
 歩はいつも温厚な親父が自分を殴っていることが考えられなかった。
「うわああああああああぁ」
この後のことは余り覚えていない……。
 ただ……むなしさだけが残っている。
 何を言ったって親不孝になることがわかっていたからだった。

 どうしてこうなったのか。はっきり言って俺が聞きたいぐらいだった。
 ほんの少し前まで、いつもどおりのんきに新聞読んでたのに!

 俺、綾川(あやかわ)歩(あゆむ)は高校生活も最後の年になり、本格的に進路をかんがえなければならない頃だった。
 俺は高校3年間美術部に所属していた。
 絵はそんなに上手くなかったが、イラストやデザインは子供の頃から好きだった。
 当時、俺はあるデザイナー兼写真家の作品に夢中になっていた。
 マスコミに登場するような有名人ではなかったが、デザイン集や写真集は俺にとってとても魅力的で宝物のようなものだった。
 ある時、その人が東京のデザインスクールで授業を開講していると知り、俺は狂喜した。
 その学校に入学したら、憧れの人に会えるだけでなく、直接授業を受けられるのだ! この瞬間、俺の希望は決定した。
 俺は早速高校の進路相談前に両親に自分の希望を言った。しかし、親父は俺の話を聞くや否や猛反対で、聞く耳を持たなかった。
 なぜここまで反対されるのかこの時はまったくわからなかった。
 そんなこんなで親子喧嘩が始まったわけだが……。
 それでも自分の希望を譲らない俺を見た親父は俺を怒鳴り続けていた。
 そんななか親父がいないとき母は俺に話してくれた。


自分で決める


「歩には水産業会社を経営している親戚のおじさんがいるでしょう」
「ああ」
 主に魚のすり身や蒲鉾を作っては町に出荷している小さな会社だ。
「案外流行っているのは知っているでしょう?」
「ああ」
「おじさんは会社の規模を大きくしようと考えているの、それでお父さんはね、歩が高校を卒業したらそこに就職させるという口約束をしてあるの」
「え?」
 びっくりだった……そんなことが決められていたなんて……
 しかし俺をもっとびっくりさせたのはこのあとの母の言った言葉だった。 
「それにいずれ会社が大きくなったら、将来の幹部や重役に歩は確実になれるらしいわ」
 人生がここでおおきく変わる、そんな気がした。
 俺は夏休みなどで時々、そのおじさんの工場で手伝いをしていた。おじさんは良い人だし、俺も海や釣りは好きなほうだ。
「歩にとっては悪い話ではないはずよ、堅実な仕事だし間違いはないと思うわ、そんなデザイナーのはなしよりはね……」
 母はそう心配げに俺を見た。

 それでも俺の気持ちは変わることはなかった。

 母の話があってからも俺と親父の親子喧嘩は止むことはなかった。
 そのうち母は折れたのだが親父はいっさい俺の話を聞かなかった。
 デザインスクールの出願期限ぎりぎりの日……
 親父は、
「勝手にしろ!」
「勝手にするよ!」
 その日から俺は一切親父と話さなかった。
 俺が親不孝しているようで胸が痛んだが、デザインの道こそ自分の道だと決心した。
 結局、親父は怒ったままで…………。

「仕送りは一切しない! 金はださん!」

 これは流石に面食らった。
「アルバイトするよ!」
 一応こう言い張ったがなんたって遠く離れた東京での初めての一人暮らし、強がったが、内心は不安でいっぱいだった。


 親父が俺にくれた物


 東京に発つ日、俺は大きなバッグを持ち駅に向かった。
「………………………………」
 駅に向かっている間も全く話さず……。
 それに俺は親父の顔も見なかった。
 ホームで母からいろいろ注意を聞いていると、出発の直前、父が何かを差し出した。
「ほれ」
本屋の封筒だった。
「?」
「新幹線は長いだろ、新聞と雑誌を入れている」
「あ、あぁ」
 それだけ言うと、親父は背を向けて階段を下りて帰っていった。
「もう……」
母は困った顔をしながら俺に囁いた。
「あとでお母さんが生活費入れてあげるからね」
「いいよ、無理しなくて。自分でがんばるからさ」
 俺は半分意地になっていた。
出発のベルが鳴り俺は手を振った……。
 母は泣いてるのか笑っているのかわからない表情をした。
 母は手を振っている。
 俺も手を振りながら、親父の姿を探した……。
 やっぱりホームにはいない……。
 まったく、見送りぐらいはしてくれてもいいじゃないか。俺は腹立ちまぎれに席に着いた。
 出発後、見慣れていた風景が後ろに飛んでいくかのように離れていった。
 弁当を食べてしまうと、すぐにやることがなくなってしまった。
 しばらく外の風景を眺めたり、コーヒーを飲んだりしたのだが、ふと親父から新聞と雑誌をもらったのを思い出した。
 本屋の封筒を破って新聞を開くと、ぽとりと何かが床に落ちた。
「…………?」
 それは親父が大切によく使っていた銀色の物入れだった。
 開けると中から長方形の冊子があった。
 表には俺の名前が印字されてあり、大きく「○○銀行」の文字が……。
 中を開いて目を見張った。
「そ、そんな………………」
 俺が一度も見たことがないような大金が貯金されていた。
 通帳にはメモ用紙があった。
 そっけなく「一年分」とだけ書いてあった……。
 俺は茫然としながら車窓の風景に目をやった。
 もうとっくに故郷の町を離れていた。
電車が規則正しく俺の体を揺らす。なんだか笑ってしまうような、悲しいような複雑な気持ちだった。
 胸が苦しいような不思議な感情があふれ出てきた。
 気づくと、さっきから飛ぶように後ろに走る景色が、にじんで見えた。

*******************************
 
 あれからもう十年がたつ。あの時のことに触れようとすると、親父は
「もういい」
としか答ええてくれない。
 口で伝えるのもいろいろ照れくさくていまだにしっかりと感謝を伝えられていない。
 そのうちメッセージカードを送ろうと思っている。

 そう、その時僕が作ったオリジナルデザインカードで。

    完
...
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冬号 By no name1

2012年11月30日
何かを起こす古本屋
no name1

ある繁華街の大通りを右に曲がり、人気のない小道を突き進むと、二つの店が並んでいる。向かって右が古本屋。左が洋菓子屋。どちらの店でも、女性の店員が一人だけで働いている。
古本屋の女性の名前は時宮(ときみや)ルイ。漆黒のショートヘアで、銀色の瞳を持つ、氷系の美人。洋菓子屋の女性の名前は時宮メア。やわらかな長い金髪と碧眼を持っていて、容姿はフランス人形のようである。
 どちらの店員も少女のような美しさがあるが、彼女たちは営業用の微笑を浮かべている時以外は、常に無表情でいる。

 いらっしゃいませ。当店には、珍しいものや、大変貴重な品も置いてあります。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

     Ⅰ

また迷ってしまった。
つくづく自分の方向音痴に嫌気がさす。足が速いのは警察(ポリ)から逃げるのに便利だが、警察を撒いた後、自分がどこにいるのか把握できないのは情けなく思う。
 ここはどの辺りだ。人気が全くない。俺はとりあえず歩いていると、古そうな店を見つけた。休息がてら入ってみようか。ついでに金も手に入れよう。
 ガラスの引き戸を押して入る。こげ茶の棚に、古そうな本が並んでいる。その隣の机の上には、アクセサリーなどが置いてある。これらも売っているのか。
俺は誰もいないことを確認して、レジなど、金がありそうなところを探してみたが、見つからなかった。見当違いだったようだ。
 足音がした。部屋の奥にある階段から、誰かが降りてきた。女だ。多分、ここの店員だろう。外見年齢は高校生くらい。こっちに気づいて、近づいてくる。
「いらっしゃいませ、何か御入用ですか?」
「いや、入ってみただけだ」
いつもやってるように、脅して金を出させればよかったのかもしれない。なのに出来なかった。そいつの顔を見たとき、誰かに似ていると思った。
もう出よう。女に背中を向け、俺は入り口に近づいた。
だがそのとき、女は声音を変えずにこう言った。
「お客様、何か罪を犯しましたね」
驚いて振り返ると、女は笑みを崩さないまま、
「上着にカラーボールの跡がありますよ」
と言葉を重ねた。
 しまった、脱ぎ忘れていた。でも俺は動揺を悟られないように、
「だから何なんだよ。ってか、あんたに関係ないだろう」
すると女は、やっぱり笑みを崩さないまま、
「その通りです。失礼いたしました」
とだけ言った。拍子抜けした。おまけに、通報する様子もなく、また二階の部屋に行ってしまった。                                                                    
 再び出ようとした時、俺はとあるものに目を惹きつけられた。黄色いしずく形の宝石を埋め込んだ、プラチナ製のペンダント。
 俺はそれをいつの時か、見たことがある。
姉貴がつけていたものだ。辛い思いをして、失意のまま消えた姉貴が。

「姉貴いないけど?」
二年前の高校の卒業式の日、五歳年上の姉貴が家に帰ってこなかった。朝、式が終わったら母さんと帰ると言っていた。俺は式には行かず、ごく普通に通学した。
 部活で帰宅したのが遅れたとき、玄関に姉貴の靴がなかった。
「母さん、姉貴いないけど?」
掃除をしていた母さんは、手を休めず話す。
「帰る途中で、樹(き)多(だ)さんっていう高校の同級生の人達に誘われて、カラオケに行ったよ。もうそろそろ帰るんじゃない?」
樹多?
嫌な予感がした。
「どこのカラオケ?」
「××だけど?」
場所ならわかる。俺は無言で飛び出した。後ろから呼び止めるような声が聞こえるけど、気にしない。

姉貴の様子がおかしかったのは、この出来事を回想している今の俺と同じ、中三の頃からだった。初めに、いつも深夜に上履きや制服を洗っていた。ある時、俺は偶然その様子を見た。セーターに、ボンドのようなものがこびりついていて、なかなか取れなさそうだった。
見かねて手伝おうとしたら、姉貴はハッとしてから俺をじっと見て、
「母さんには絶対に言わないで」
と言った。かすかに目が潤んでいたのは、気のせいだろうか。
 それから、俺はちょくちょく色々な様子を見た。携帯に出た瞬間閉じて放ったり、教科書を濡れたタオルで拭いたり、必死に歯を磨いたりする所。姉貴は俺が見ていることに気づくたびに
「母さんには言わないで」
と口にした。俺が生まれて二週間後に親父が亡くなり、女手ひとつで俺たちを育ててきた母さんに、心配をかけたくなかったのだろうか。
日に日に姉貴は、目が虚ろになっていったが、母さんの前ではいつもの明るさを演じていた。母さんが姉貴の演技に気づくことはなかった。
 姉貴へのいじめに大きく関わっていたのは、樹(き)多(だ)智(さと)美(み)と言う人だった。一度だけ、姉貴から聞いたことがある。確か俺はそのとき、最低な事を言った。
「何で標的にされたのか、心当たりはあるの?」
 姉貴は怒らずに、淡々と答えた。
「智美の、あ、智美って私のクラスメートね、で、その智美の彼氏が私に告白してきたことがあったの。その事を智美が知って、私、恨まれたみたい。あと、智美はクラスの中でけっこう権力を持っているから、智美の指示で動く人も結構いるらしい」
 推量形だけど、本当の事だろう。姉貴は何もやってないのに、ひどすぎる。
「でも、智美だって完全に嫌なやつじゃないだろうし、そのうち何とかなるよ」
姉貴はそう続けたけれど、俺はそうは思えなかった。それに虚ろな目で言われても、説得力がない。
いじめの事は、教師にも言ってないらしい。面談のときに、親に伝えられるからだそうだ。 
結局、姉貴の目が母さんの前以外の場で明るくなる事は、なかった。

 いた。
俺は海沿いの道路のガードレールから下を見下ろした。へその辺りを赤く染めたブレザー服を身にまとった人体が、岩石の上に仰向けに倒れていた。階段を駆け下り、人体を揺さぶった。背中側の、両肩の骨の間の所も赤く濡れていた。
「姉貴、おい、何か言えよ! 姉貴!」
姉貴の目はよく見るとうっすらと開いていたが、呼吸をしていなかった。心臓からも、何の音もしなかった。
「…………なんで?」
右頬に、涙の筋の跡があった。右手に握っていたのは、親父が、中学受験に合格したら姉貴にあげてほしいと母さんに渡したという、黄色いしずく形の宝石のペンダント。学校につけて行けないので、姉貴がいつも鞄の中に入れて持ち歩いていたものだ。貰った時、お守りにする、と喜んでいた顔を思い出す。
 命の消える瞬間、姉貴は親父に何かを呼びかけていたのかもしれない。
俺はしばらく、呆然とした。波の砕ける音が冷酷にこだまする。

数日後、姉貴を殺した奴らは、やっぱり樹多智美とその友人達だったと警察から知らされた。昨日逮捕したらしい。カラオケに誘い、母さんから姉貴を離れさせた後、崖の上で記念撮影するふりをして、一人は姉貴の左隣に並んでナイフで背中側を刺し、一人は適当に姉貴の体を刺し、最後は―――樹多智美は姉貴を崖から突き落としたらしい。
 そんなに憎んでいたのか。姉貴があんた達を悪く言ったことは一度もなかったのに。
 姉貴が可哀想だった。卒業直後も自分をいじめていた相手を信じたなんて、馬鹿だったかもしれない。でも、姉貴はそういう奴だった。誘われた時、すごく嬉しかっただろう。そして突き落とされる瞬間、どんなにショックだっただろう。
 母さんも可哀想だった。自分がもっと早くいじめられている事に気づいていたら、あの時、カラオケに行かせなければ、あんな事にはならなかったのに。自分を強く責め、ずっと後悔していた。
 俺だって辛い。数年前からいじめの事はわかっていたのに、それを誰にも伝えなかった。助けようともしなかった。母さんも、俺を責めてほしかった。姉貴が死んだ後、俺はいじめの事を知っていた事を母さんに打ち明けたが、母さんはまったく俺を責めず、ただ自分を責め続けた。

 その後、現在、母さんは明るさをなくし、時に姉貴の事を思い出して泣くようになった。俺は不登校になり、むしゃくしゃして、物を盗むようになった。母さんに迷惑をかけたい訳じゃないが、一度やって成功すると、快感になってしまった。

同じ物がこんな店にあったとは。
「お買いになられますか?」
 後ろからいきなり話しかけられた。ビビる。ためらっている俺に、女はさらに言った。 
「何か心残りがお有りなら、お買いになられるほうがいいかと思います」

数分後、俺は例のペンダントを入れた箱を持って街にいた。何で買ってしまったんだろう。(何故か無料だった。)店員の言う事なんか、聞かなくてもよかったのに。
ただ、一つわかった事がある。あの女は、俺の姉貴に似てたんだ。いじめられていた時の姉貴と、同じ目をしてたんだ。
 もう帰ろう。今日はもう動きたくない。
家に帰った俺は、晩御飯を作っている母さんを尻目に、二階へ行き、布団に潜り込んだ。
眠気はすぐにやってきた。

目が覚めた俺は、まだ暗い部屋の隅に、光る大きな塊を見た。次第に形がくっきりと表れていく。 サラサラの長髪、大きな目、ブレザー服、首元で光る黄色い宝石。
「……姉貴?」
「久しぶり、滝(たき)登(と)」
驚きはしなかった。姉貴の服に血はついてなく、目はいじめにあう以前のもので、明るく光っている。
「私が死んでから二年経つけど、前より暮らしが荒(すさ)んでるんじゃないの?」
「まあ当たってるかな。母さんは姉貴が死んだのを自分のせいだって言って、今でも悔やんでる」
込み上げてくる辛さを押し殺すように、俺は無理矢理笑った。
「母さんは何も知らなかったのに、おかしいよな。んな事しても姉貴が帰って来る訳じゃないのにさ。本当に最低なのは……俺なのにさ……」
「……あのさ、滝登。私のために、そんなに苦しまなくていいんだよ」
「……んな訳いかねえよ」
「……何で?」
少し間をおいて姉貴が訊ねてくる。穏やかな表情を見ていると、辛さが我慢できなくなった。
「姉貴は、俺だけに自分の苦しみを教えてくれたのに、俺は姉貴を助けなかった! 他の誰かに姉貴の苦しみを伝えて、助けを呼ぼうともしなかった! 母さんを気遣って、一人で重荷を抱え込んでいた姉貴に、気の利いた事も言わなかった! もし、俺が何かをやっていたら、姉貴は樹多智美の標的から外れて、殺されずに済んで、母さんが傷心する事もなかったかもしれないのに。姉貴が一番わかってるだろ? 本当に最低なのは、俺なんだよ!」
気がつけば、怒鳴っていた。いや、同時に、泣いていた。俺が泣いたのは、姉貴がいじめにあうようになってから初めてかもしれない。
「……滝登、私、今まで大変な事もあったけど、結構幸せだったんだよ。あんたが生まれて、友達が出来て、笑いあって、喧嘩して、いろんな人に優しくしてもらって……。いじめにあっていた時も、あんたや母さん、そして父さんがいたから、一人じゃないって思えて、生きてこられた」
「親父?」
「うん。中学受験に合格したとき、父さんが母さんを通じて私にくれたペンダント。これには、父さんの祈りが込められているって母さんから聞いたことある。強く、真っ直ぐに生きられますようにっていう思い。これを持ってたら、お父さんが側にいてくれてるような気がしたんだ」
首元の宝石を撫でながら、姉貴は喋っている。
「でも、姉貴すっごくツラそーだったじゃん。目虚ろだったし」
「確かにあの時は本当に辛かった。でも、死んでから、あんたと母さんの様子を見てわかった。辛いのは私だけじゃなかったって。これからもずっと後悔しながら生きていこうとしているあんたたちに比べたら、私は幸せだったよ。あの時は心配させてごめんね。
 死んじゃったのは残念だけど、こうなっちゃったのも仕方なかったんだよ。滝登、お願い。もう私のために苦しまないで。万引きはやめて。あんたならやり直せるから。そしてもう一度、学校にも行って。あんた、陸上続けたかったでしょ? 友達と、もっともっと思い出作りなよ。貴重な中高ライフなんだから、あたしが楽しみ損ねた分も、思いっきり楽しみなよ。
それから、母さんに伝えといて。もう泣かないで、いつもの明るい母さんに戻ってって。私は父さんと一緒に、ずっと見守ってるからって。
 あんたと母さんがずっと後悔してたら私、安心して向こうにいけないよ」
「……わかった。じゃあ代わりにさ」
姉貴、泣きなよ。あの時から、泣きたくても泣けなかっただろ? 今泣いても、誰にも心配かけないから、大丈夫だよ。もう、我慢しなくていいんだ。
「……わかった。じゃあ、あんたも泣きなよ」
「え?」
「あんたも、今まで泣いてなかったでしょ。まあ、さっき泣いてたけど、目一杯泣いた事はなかったじゃん。思いっきり泣いて、それからは、もうあたしのことでは泣かないこと。いい?」
「……知ってたんだな。わかったよ」
 俺と姉貴は、今までの苦しみや悲しみを消し去るように、思いっきり泣いた。涙が姉貴の宝石に落ちる度(たび)、宝石はきらきらと光った。

泣き終わった後、姉貴は俺の机に近づき、まだ開けてなかったペンダントの箱を開け、姉貴の持っていたものと同じペンダントを取り出した。
「滝登、これ、あんたのだよ。さすがにつけたくなかったらつけなくてもいいから、あたしみたいに、お守りとしてもっていて。」
ペンダントを渡された。よく見ると、宝石を囲んでいるプラチナの部分に、
TAKITO・AOGAWA
と彫ってある。
「父さん、あんたが生まれる前に、宝石店の店員に頼んで、私のと一緒に作ってもらったんだって。本当はあんたが中学受験で合格した時に渡すつもりだったんだけど、その前に失くしちゃって、渡せなかったんだって。何であんたがこれを持ってるのかは知らないけど、あんたのとこに戻ってきてよかった」
 ん? じゃあ何であの店にこれがあったんだ? 一瞬疑問に思ったが、すぐにどうでもよくなった。
「じゃあ、行くね。長居しちゃった」
姉貴の体が消え始めた。やっぱり、もう行っちゃうのか。少し寂しくなった。姉貴はいつもの明るい笑顔で笑った。
「また、どこかで会おうね。父さんと気長に待ってるから」
「姉貴、ありがとう。ペンダントの御礼、親父に伝えといて」
「うん」
姉貴は隣の部屋で眠っている母さんの顔をそっとなでてから、
「ありがとう。私、生まれてきて良かった」
スッと消えた。

目が覚めると、もう朝日が昇っていた。片手にペンダントを握っていたから、あれは夢じゃなかったんだろう。気分がいい。泣ききったからか。
 もう、姉貴の事では泣かない。母さんに、姉貴の思いを伝えよう。また学校に行きたい事も言おう。それが、俺が姉貴のために出来る事だから。

 時宮ルイは、昨日来た中学生のことを思い出していた。ずっと前、街で拾ったペンダントに手をかざした時、それに込められた思いや、それの持ち主に起こった出来事が、脳にイメージされた。生まれたばかりの息子への、父親の置き土産。親に関わる事からは逃げたかったのに、なぜか見捨てられなくて、店に持ち帰り、商品と一緒に並べていた。昨日来た中学生を見た時、脳のイメージと一致して、そのペンダントを買わせた。
 心残りは、果たせただろうか。

 朝ご飯を食べた後、ふと思った。
あの店員も、辛い思いをした事があるのだろうか。もしそうなら、姉貴みたいに、いつか苦しみから解放されればいい。
 金木犀の匂いがした。